1533年1月。市でマグロが売れた翌日。兄たちは大騒ぎ。和尚様は奥で今回2,000文利益を出したことを聞き、事の重要さを八郎と確認しあうwww
次の日。
寺子屋に着くなり、静かな朝は一瞬で終わった。
「和尚様!聞いてください!」
真っ先に声を上げたのは四郎だった。
「なんじゃ朝から騒がしい」
和尚は苦笑しながら振り返る。
「マグロです!マグロ!」
「……まぐろ?」
「売れたんです!」
その言葉に和尚の手が止まった。
「売れた?」
「はい!八郎が言うてた通り、味噌で煮たらうまかったんです!」
横から五郎も興奮気味に続ける。
「あんな誰も食わん言うてた魚がですよ。酒飲む人らが、もう一杯くれって」
「……ほんまか」
和尚は八郎を見る。
八郎はいつものように小さく頭を下げた。
「母上の味付けがよかっただけでございます」
「またそれか」
和尚は笑った。
「お前はほんま、自分の手柄を人に渡すのがうまい」
「いや、私は鍋振れませんので」
「そこだけ三歳児になるな」
寺子屋の子供たちも笑う。
その日はいつも通り文字を書き、数を数えた。
だが和尚は途中でため息をつく。
「八郎」
「はい」
「正直、お前に教えることがだいぶ減ってきたわ」
「そんなことありません」
「いや、普通は三歳なら一から十を数えて褒めるところじゃ」
和尚は苦笑した。
「お前、千文万文の計算しとるからな」
そして勉強が終わったあと。
いつものように和尚の部屋で茶を飲む。
「それで」
和尚が切り出した。
「あれでも売れたか」
「はい」
八郎は頷く。
「ただ、母上がどこまで作れるかですね」
「ほう」
「今回は試しでしたので四十食ほどでした」
「それで?」
「四十文で出しましたが、最初は値引きもしました。それでも十分利益が出ました」
和尚は黙って聞く。
「次は六十食でもいいと思っています」
「……」
「今回の市だけでも利益が二千文を超えました」
その瞬間、和尚は茶を置いた。
「二千か」
「はい」
「一日でか」
「はい」
和尚は天井を見る。
「恐ろしいな」
八郎は首を傾げる。
「恐ろしいですか?」
「恐ろしいわ」
和尚は笑う。
「お前、前に庄屋衆の借り入れ含めて十六万文ほど足りんと言うとったな」
「はい」
「一回二千文」
和尚は指で数える。
「週二回なら八回」
「はい」
「月一万六千文」
「ですね」
「十ヶ月で十六万文」
八郎は頷く。
「計算上はそうなります」
和尚は大きく息を吐いた。
「殿は読み違えたな」
「そうですか?」
「ああ」
和尚は言った。
「殿としては、お前に五万文、十万文の不足を何とかしてみろというつもりもあったはずじゃ」
「はい」
「ところが蓋を開けたら、隠れていた借り入れまで含めた十六万文を一年かからず返せる目が出てきた」
和尚は八郎を見る。
「三歳児がな」
「皆が動いてくれるからです」
「それは分かっとる」
和尚は静かに笑う。
「だが、人を動かすのも力じゃ」
そして続けた。
「しかもまだ一月じゃ」
「はい」
「お前、湯浴みも考えとるな」
「はい」
「十村に一つずつ作ると言うていたな」
「できれば、です」
和尚が指を折る。
「一つで月三千文ほど利益」
「うまく回ればですね」
「十個なら三万文」
八郎は黙る。
和尚も黙った。
そして小さく言った。
「それ、一つの小さな国並みじゃぞ」
「……」
「飯屋を作り、仕事を作り、湯浴みを作り、人を雇い、銭を回す」
和尚は八郎を見る。
「領主が本来やることじゃ」
その言葉に八郎は少し困った顔をした。
「そこなんですよね」
「分かっとったか」
「はい」
八郎は茶を見る。
「数字が大きくなりすぎています」
「そうじゃな」
「税の不足を全部払いました、借金も減らしましたとなると……」
「庄屋どもはどう思う?」
和尚が聞く。
八郎は答える。
「領主様より、私が問題を解決してくれると思うかもしれません」
和尚は頷いた。
「もう思っとるぞ」
「……」
「この前の集まりで分かった」
和尚は静かに言う。
「庄屋どもは、お前を見る目が変わっとった」
「困りましたね」
「困ったか?」
「はい」
「なぜじゃ」
「領主様と争うつもりはありません」
和尚は笑った。
「まあ、今はな」
「今はって何ですか」
「お前も分かっとるじゃろ」
和尚の目は鋭かった。
「殿も悪人ではない」
「はい」
「だが戦続きで金がいる。武具もいる。兵もいる。だから商人から借り、税を重くする」
「はい」
「その結果、村が苦しくなった」
八郎は頷く。
「殿自身も分かっておられました」
「ああ」
和尚は茶を飲む。
「だから、お前に任せた」
「……」
「しかしな」
和尚は少し笑う。
「もしお前が全部解決したらどうなる」
八郎はため息をついた。
「民の気持ちがこちらに寄りますね」
「そういうことじゃ」
少し沈黙。
そして和尚がぽつりと言う。
「追い出すか?」
「和尚様」
八郎が目を丸くする。
「不吉なこと言わないでください」
和尚は笑った。
「まだ、じゃろ?」
「……」
「今、まだと言った顔をしたぞ」
「してません」
「した」
和尚は楽しそうだった。
「三歳児が領主を追い出す話をして、否定が『しません』ではなく
『まだ』になる時点でおかしいんじゃ」
八郎は茶を飲む。
「まずは村を豊かにします」
「そうじゃな」
「飯を増やして、仕事を増やして、借金を減らします」
「その先は?」
和尚が聞く。
八郎は少し考えて。
笑った。
「その時考えます」
和尚は腹を抱えて笑った。
「ほんま恐ろしい三歳児じゃ」
外では寺子屋の子供たちが、必死に数字を書いていた。
銭を数えられれば仕事になる。
仕事になれば飯が食える。
たった数ヶ月。
八郎が動かしたものは、もう店だけではなくなっていた。




