1533年1月。1月5度目の市終わり。集計。マグロのおかげで売上8100文。利益2040文www銭袋が心配。台車を買う提案をする。
「皆さん、本当に今日はありがとうございました」
家に戻り、土間に家族と手伝ってくれた娘たちが集まる中、八郎はぺこりと頭を下げた。
その姿を見て、父は苦笑する。
「いやいや八郎、お前が一番働いとるやろうが」
「いえ、私は口を出しているだけです。実際に鍋を振っているのは三郎兄様ですし、
つみれ汁を見てくれているのは父上、味を決めているのは母上です。四郎兄様と
五郎兄様は走り回ってくれていますし、お姉さん方も助けてくれています」
「三歳児がそれ言うか……」
三郎が呆れたようにつぶやく。
「普通三歳なら『俺がやった』って言いたがる歳やぞ」
「言うても、私一人やったら鍋も持てませんから」
「そこだけ三歳児になるな」
みんなが笑った。
そして八郎は銭袋を前に置く。
じゃらり。
その音だけで、家族全員が黙った。
以前なら一年でも見ない量の銭が、今は一度の市で動いている。
「では帳簿合わせをします」
「お、おう」
父ですら少し緊張した顔になる。
「まず売り上げです。いつもの三つのお店、混ぜ飯、炒め飯、天ぷら、つみれ汁。
そして今回試したマグロ」
そこで母が笑う。
「まさか、あんな魚が売れるとはねえ」
「母上の味付けのおかげです」
「はいはい」
母は嬉しそうに笑った。
「合わせて売り上げは八千百文でした」
「……」
一瞬、誰も言葉を出さなかった。
新しく来た娘など口を開けたままだ。
「八千……?」
「はい」
「八郎様……八千文って……」
「売り上げですよ。全部残るわけじゃありません」
八郎は小さな指で帳簿を押さえる。
「材料費が四千七百六十文です」
「そんなにかかるんか」
五郎が驚く。
「はい。米、卵、油、魚、味噌、野菜、酒、薪。全部必要です」
そこで八郎は少し笑った。
「ただ、今回はマグロを三百文ほどで仕入れられたのが大きかったですね」
父が頷く。
「あれはすごいな。今まで捨てていた魚やからな」
「はい。でも、これから値は上がると思います」
「なんでや?」
「売れると分かったからです」
八郎の一言に、父が目を細めた。
「……そこまで見とるか」
「漁師さんも暮らしがありますから。うちだけ得したら続きません」
和尚から何度も言われた言葉だった。
銭は奪うものではなく、回すもの。
「それから器です」
八郎が続ける。
「今回、お椀や箸を追加しました」
「ああ、また売れた銭持って走ったやつな」
四郎が笑う。
「市の人にまた笑われたわ」
『坊主の店は売れてから道具買うんか!』
そんなことを言われたのを思い出す。
「器代が三百文です」
「高いな」
「でもこれは次も使えます」
八郎はそこを強調した。
「食べ物は食べたら消えます。でも器は残ります。だからこれは半分、家の財産です」
父は感心したように息を吐く。
「ほんま、お前の銭の見方は違うな」
そして続ける。
「人件費です」
みんなが少し姿勢を正した。
「今回は八百文です」
「多いな」
「はい。でも人が増えましたから」
八郎は雇った娘たちを見る。
「働いた人にはちゃんと払います」
娘の一人が慌てて首を振る。
「でも八郎様、私はそんな……」
「だめです」
珍しく八郎が強く言った。
「働いたら銭をもらうんです」
みんなが八郎を見る。
「それが続けば、家に銭を持って帰れます。家族も助かります。だから仕事になるんです」
三歳児の言葉とは思えない。
「それから、お寺と市のまとめ役様へ二百文」
父が頷いた。
「そこは大事やな」
「はい。勝手に大きくなったら嫌われます」
そして最後。
「残りの利益ですが」
全員が息を飲む。
「二千四十文です」
静まり返った。
「……」
「……」
「二千?」
三郎が聞き返す。
「はい」
「一回で?」
「はい」
「……」
父が頭を抱えた。
「八郎」
「はい」
「うち、いつからこんな家になった?」
その言葉でみんな笑った。
だが八郎だけは真面目だった。
「まだまだです」
「まだ!?」
「はい」
八郎は銭袋を見る。
「問題があります」
「なんや?」
「銭袋です」
「……は?」
「穴が空きそうです」
一瞬の沈黙。
そして。
「そこかい!」
全員が声を揃えた。
「いや、大事ですよ!」
八郎は必死だった。
「帰り、父上と兄様たちで分けて持っていますけど、これからもっと増えたら危ないです」
「いや、銭が増えすぎて袋の心配する三歳児がおるか」
三郎が腹を抱えて笑う。
「なので」
八郎は言った。
「五百文くらいで台車を買いませんか?」
「台車?」
「はい。荷物も運べます。仕入れにも使えます。器も運べます。銭も載せられます」
父が腕を組む。
「……確かに」
「これから湯浴みも作るなら、薪も運びます。魚も増えます。米も増えます」
「また先見とるな」
「必要になると思います」
父はしばらく黙った後、笑った。
「分かった。買おう」
「ありがとうございます」
「しかしなあ」
父は八郎を見る。
「普通、銭が増えたら良い着物とか、美味い飯とか考えるもんやぞ」
八郎は首を傾げた。
「それもしたいですよ?」
「するんかい」
「でも先に銭を増やす道具です」
また全員が笑った。
和尚が聞いたら、きっとこう言うだろう。
――三歳児ではない。
だが、不思議と周りはもう怖がっていなかった。
八郎が増やしているのは銭だけではない。
仕事。
笑顔。
希望。
小さな村が、少しずつ動き始めていた。




