1533年1月。市でマグロのみそ煮が売れる兆し。四郎兄さま達には酒を、五郎兄さま達には椀を買いに行かせるwww
マグロの味噌煮を一口食べた常連たちの顔が変わった。
「坊主」
「はい」
「これは酒に合うぞ」
その一言で、八郎の目が光った。
「四郎兄様」
「なんや」
「お嬢さんと一緒に酒を追加で買ってきてください」
「もうか?」
「はい」
「これは多分、酒が足りなくなります」
四郎は笑った。
「ほんま、お前は客の顔見たらすぐ動くな」
「売れる時に売ります」
「三歳児が言うな」
四郎はお嬢さんを連れて、市の酒売りの方へ走っていった。
「五郎兄様」
「今度は俺か?」
「はい」
「お椀が足りなくなります」
「またか!」
五郎が叫ぶと、常連たちが笑った。
「出たぞ!」
「売れた銭で器買いに行く店!」
「ほんま急ごしらえやな!」
八郎は真面目な顔で言う。
「最初からたくさん買って売れなかったら困ります」
「だから売れたら買います」
「理屈は合っとるんやけどな」
「見た目がおかしいんや」
五郎も笑いながら銭を受け取った。
「分かった。買ってくる」
「お願いします」
八郎は母を見る。
「母上」
「はいはい」
「売り切れたら、もう一回マグロをお願いします」
母は少し驚いた。
「そんなに出る?」
「出ます」
「言い切るね」
「はい」
八郎は鍋を見る。
「これは覚えながら作ってください」
「覚える?」
「はい」
「次からもっと早く作れるようにしたいです」
「大きさ」
「味噌の量」
「酒の入れ方」
「ネギや椎茸の量」
「火の入れ方」
「全部、母上の勘で整えてもらうんです」
母は苦笑した。
「また私の仕事が増えたわね」
「でも母上」
「これはすごいことになります」
「そんなに?」
「はい」
近くで聞いていた客がうなずいた。
「母ちゃん、ほんまこれはすごいぞ」
「今まで捨てとった魚が、こんなにうまいとは思わんかった」
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別の男が聞く。
「坊主」
「これ、いくらで売るつもりや」
「本来は四十文です」
「四十か」
「ただ」
「複数で来ていただければ二割引です」
常連たちが爆笑する。
「出た!」
「坊主の二割引!」
「もう名物やな」
「はい」
「四十文で四十人前なら千六百文」
「二割引が混じっても」
「千二百から千三百文ぐらいは売上になると思います」
男たちは顔を見合わせる。
「三歳児がさらっと千文超えの計算するな」
「で、仕入れはなんぼや?」
漁師の男が聞いた。
「できれば三百文ほどで欲しいです」
「三百?」
「はい」
「今まで値がついていなかったものに値がつくんです」
「もちろん」
「先々、欲しい人が増えれば五百文ぐらいになるかもしれません」
「でも」
「今は三百文でお願いしたいです」
「薪や味噌や野菜を入れると、四百から五百文になりますから」
漁師の男は唸った。
「なるほどな」
「坊主、ちゃんとこっちにも銭落とすつもりなんやな」
「はい」
「ただ、続けられない値段では困ります」
「うちの稼ぎ頭になってくれたら」
「村としても助かります」
「村?」
客が笑う。
「お前、もう村のことまで考えとるんか」
「はい」
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四郎が酒を買って戻ってきた。
「八郎、買えたぞ」
「ありがとうございます」
「結構売れそうやな」
「はい」
男たちは椀を片手に酒を受け取る。
「坊主に酒を奢ってもらったからな」
「もう一杯いくわ」
「ほどほどにしてくださいね」
「三歳児に酒をたしなめられるとはな」
「長生きすると色々あるわ」
皆が笑った。
だが、笑いながらも箸は止まらない。
「これ、ほんま進むわ」
「魚やけど肉みたいや」
「味噌が濃いのがええ」
「飯にも合うぞ」
「酒にも合う」
「坊主、これは次もやれ」
八郎は小さくうなずいた。
「はい」
「次も赤身が手に入れば」
「やります」
昼を過ぎる頃には、噂が広がり始めた。
「マグロがうまいらしいぞ」
「坊主の店で出してるやつか?」
「捨て魚を煮たんやろ?」
「それが酒に合うらしい」
他の店にいた客まで覗きに来る。
「ちょっと一杯だけ」
「味見で」
「本当に食えるんか?」
最初は疑い。
次に驚き。
そして追加。
鍋は見る見るうちに減っていった。
「母上」
「はいはい、次ね」
母はもう二度目の鍋を作り始めていた。
最初より手際が良い。
ネギを入れるタイミング。
味噌の濃さ。
酒の加減。
少しずつ整っていく。
「母上、さっきよりさらに良いです」
「あら、そう?」
「はい」
「これは定番になります」
「そんな大げさな」
母は笑ったが、顔は少し誇らしそうだった。
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夕刻前。
マグロ味噌煮は売り切れた。
しかも一度だけではなく、二度作って。
最後には椀が足りず、五郎が何度も買い足しに走った。
酒も追加で仕入れた分までかなり出た。
片付けの頃。
銭袋は、いつも以上に重かった。
新しく雇った娘たちは、それを見て言葉を失う。
「……これ」
「全部、今日の売上ですか?」
父が苦笑する。
「そうじゃ」
「でもな」
八郎が横から言う。
「全部利益ではありません」
「仕入れ」
「人件費」
「寄進」
「器」
「酒」
「全部引きます」
娘は小さく頷く。
「それでも……すごいです」
「はい」
八郎も珍しく素直に笑った。
「今日はすごいです」
マグロが売れた。
捨てられていたものに値がついた。
それはただの新商品ではない。
海辺の漁師。
市の酒屋。
器屋。
働く者。
その全てに銭が回る、新しい流れだった。
父は銭袋を持ち上げ、顔をしかめる。
「もう数えるの怖いな」
「家でゆっくり数えましょう」
「ほんま、そうしよう」
夕暮れの市を後にしながら、八郎は思った。
これはいける。
村を変える種が、また一つ増えた。




