1533年1月。市でのマグロ挑戦回。母親の調理と八郎の常連さんへの勧めもあり食べてもらえる。市の人間がマグロの旨さに気づく
次の市の日。
朝早くから八郎の家は慌ただしかった。
混ぜ飯。
魚のつみれ汁。
天ぷら。
酒処。
この三つは、もう家族や雇った娘たちも慣れ始めていた。
三郎は炒め物を任され、父は汁物を見る。
娘たちも言われなくても道具を運び、火を見るようになっていた。
そんな中、八郎が母の横に立つ。
「母上」
「はいはい、今度は何かしら」
母はもう笑っていた。
「今日はお願いします」
「マグロですね」
「はい」
八郎は頷く。
「他の店は兄様方や父上に任せます」
「今日は母上の料理勝負です」
母は少し困った顔をする。
「そんなこと言われてもね」
「私だってマグロなんて料理したことないわよ」
「大丈夫です」
「多分」
「多分なの?」
母が笑う。
「はい」
八郎も正直に答える。
「だから挑戦会です」
「失敗したらやめます」
「でも、うまくいったら大きいです」
母はため息をつく。
「本当にあなたは……」
「まあ、やってみましょうか」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
市へ着くと、いつもの貸主が待っていた。
「おう、坊主」
「今日は四軒か」
「はい」
「少し場所をお借りします」
「少し?」
貸主は笑う。
「最初は端っこの小さい店だったのにな」
「気づいたら四軒並べとる」
「次は何をするんや?」
八郎が答える。
「マグロです」
「……まぐろ?」
「はい」
その瞬間、周りの常連たちも寄ってくる。
「おいおい」
「坊主、今なんて言った」
「マグロ?」
「食う魚ちゃうやろ」
八郎は笑う。
「そう言われると思いました」
「だから試します」
「昨日、漁師さんのところで見てきました」
「赤いところを分けてもらいました」
常連の一人が腹を抱える。
「ほんま何でもやるな、お前」
「次は捨てる魚か」
「はい」
「捨てるものが美味しかったら得でしょう?」
「また始まったぞ」
「坊主の銭作りや」
みんな笑いながら集まってくる。
母はその横で真剣だった。
大きく切られたマグロの赤身。
それをさらに食べやすい大きさに切る。
鍋には湯。
そこへ野菜の切れ端。
ネギ。
椎茸。
少しずつ味を作る。
味噌を溶き。
塩で整え。
少し酒を入れる。
ぐつぐつと煮える鍋から、今までとは違う香りが漂ってきた。
「……魚というより」
母が呟く。
「肉みたいね」
八郎が横から覗く。
「だから試したかったんです」
「魚なのに肉みたいな食べ応えが出るかなと思って」
母が小皿に取る。
「八郎」
「はい」
「味見」
「ありがとうございます」
八郎は少し冷まして口に入れた。
そして目を丸くする。
「……母上」
「何?」
「美味しいです」
母も一口食べる。
「……あら」
少し驚いた顔になる。
「本当ね」
「思ったよりずっと食べられるわ」
「でしょう?」
「肉みたいですよね」
母は笑う。
「私すごいわね」
「はい」
八郎は即答する。
「母上はすごいです」
「でも」
「マグロもすごいです」
「今まで誰も見てなかっただけです」
・・・・・・・・・・・・・・・・・
八郎は常連たちへ声をかける。
「おじさま方!」
「できました!」
「おお!」
「毒味か?」
「はい!」
「私もしました!」
その瞬間、母が八郎の頭を軽く叩く。
「毒味って言わない」
「私が作った料理でしょう」
周りが爆笑する。
「坊主!」
「母ちゃんに失礼やぞ!」
八郎は慌てる。
「違います違います!」
「マグロですよ!」
「マグロ!」
「これは挑戦なんです!」
「もし駄目なら次から出しません!」
常連が笑う。
「客で試すな!」
「だから今日は特別です」
八郎は指を立てる。
「本当は四十文です」
「でも」
「最初に食べてくれるおじさま方は二十文でいいです」
「さらに」
「酒一杯つけます」
ざわっとする。
「酒?」
「はい」
「私のおごりです」
また笑いが起きる。
「三歳児に酒おごられるんか、わしら」
「情けないような面白いような」
四郎も横で笑っている。
「八郎らしいわ」
そして一人目の男が椀を受け取る。
「ほな食うぞ」
周りが見る。
男は汁を飲む。
そしてマグロを噛む。
しばらく無言。
「……」
八郎が少し不安になる。
「どうです?」
男は顔を上げた。
「坊主」
「はい」
「これは……」
周りが固まる。
「これはすごいぞ」
「え?」
「うまい」
「ほんまですか?」
「おう」
「魚と思って食ったら違う」
「肉や」
「噛み応えがある」
「味噌と酒に合う」
別の男も食べる。
「ほんまや」
「なんやこれ」
「マグロってこんなんやったんか」
漁師の男が一番驚いていた。
「おいおい……」
「海の常識変わるぞ」
「そこまでですか?」
八郎が笑う。
「そこまでや」
「今まで捨てとったんやぞ」
「こんなもん」
「飯にもなるし酒にもなる」
「値がつくぞ」
八郎は首を振る。
「ただ」
「脂の多いところはやめた方がいいと思います」
「腹を壊されたら困ります」
「赤身だけ」
「しっかり火を入れて」
「味を濃くする」
「それがいいと思います」
常連が酒を飲む。
「くぅ」
「進むわ」
「坊主」
「これは酒売れるぞ」
父が遠くからその様子を見る。
そして小さく呟いた。
「またやりおった……」
三郎も笑う。
「ほんまやな」
「捨てる魚まで銭に変えた」
母は鍋を混ぜながら笑った。
「次から次へと」
「本当に忙しい子ね」
その日。
誰も見向きもしなかったマグロの赤身が。
八郎の市で、初めて銭になる瞬間だった。




