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1535年3月4週目。広がる交易と減らない借金。大きな借金の返済は今回はなし。残金12,611万文

 三月四週目。

 兄たちは肥前で最後の市を整え、今週中には本拠へ戻る予定となっていた。

 しかし、帳面合わせの日にはまだ間に合わない。

 八郎は父や帳面係、商人衆、そして姫君たちとともに、今週も兄たちのいない広間で帳簿を開いた。

「では、三月四週目の帳面を合わせます」

 帳面係が各地から届いた数字を読み上げる。

「今週の利益は、二千三百二十二万文にございます」

「前回より少し増えましたね」

 八郎は帳面を確認し、そろばんを弾いた。

「これを加えると、八郎商会の手持ちは一億二千六百十一万文です」

 姫君たちから感嘆の声が漏れる。

「今週は、どちらの借金を完済なさるのですか?」

 夏姫が尋ねた。

 八郎は首を横へ振る。

「今回は、大きな借金を丸ごと消すことはしません」

「えっ?」

「来月、四月一週目から鳥獣駆除を始めますからね」

 八郎は肥前の地図を広げ、三万五千石ごとに区切られた束を指した。

「猪や鹿を狩り、田畑を守ってもらいます」

「その仕事を侍の皆さんに振ります」

「まだ侍の借金を完済していない束については、鳥獣駆除の仕事代として、

 一律二百万文ずつ借金を減らします」

 帳面係が頷いた。

「先に仕事を割り振り、その報酬を借金返済へ充てるのですね」

「はい」

「今ここで大きな借金を一つだけ消してしまうより、まず各地の侍に仕事を作り、

 広く借金を減らした方が効率がよいと思います」

「その後、残高を見て、完済できるところから順番に消します」

 商人の一人が納得したように頭を下げた。

「確かに、その方がよろしいかと」

「毎週のように何千万文も消しておれば、いくら八郎商会でも手元の銭がなくなります」

「そういうことです」

 八郎は一億二千六百十一万文と書かれた帳面を指した。

「多く見えますけど、肥前にはまだ何億文もの借金があります」

「芋の栽培、市の整備、湯釜、人足、鳥獣駆除にも銭が要ります」

「使わずに置いておく必要はありませんが、使い切るのも違います」

 続いて、広域交易の帳面が開かれた。

「今週も交易利益は四百五十万文です」

「ですが、肥前の港が少しずつ動いておりますので、来週には五百万文へ届くかもしれません」

 港を担当する商人が報告する。

「相場表も、ようやく各港から集まり始めました」

「薩摩で安い品、肥前で高い品、その逆も少しずつ分かってきております」

「よいですね」

 八郎は九州の地図を広げた。

「四月一週目には大友様との会談があります」

「そこで交易の話がまとまれば、肥後から豊後へ抜ける陸路を使わせてもらえるかもしれません」

 大友の姫君が地図をのぞき込む。

「豊後を通れば、瀬戸内へ出られますね」

「はい」

「肥後から豊後へ運び、そこから船で四国や本州、畿内へ流す」

「逆に瀬戸内や畿内の品を、豊後経由で八郎領へ入れる」

「今まで海路だけだったところに、陸路が一本加わるだけでも、荷の流れは大きく変わります」

「大友家へ通行料を払うことになりますが」

「もちろん払います」

「倉を借りる銭も、道を守ってもらう銭も必要です」

「それでも、扱える商いの大きさが何倍にもなれば十分利益が出ます」

 八郎は芋焼酎の徳利を指した。

「例えば芋焼酎です」

「薩摩や八郎領では珍しくなくなりましたが、瀬戸内や畿内には、まだほとんど流れていません」

「味を知ってもらえれば、高く売れる可能性があります」

「地域が変われば、同じ品でも値段は大きく変わりますからね」

 夏姫が尋ねた。

「豊後との道が開けば、交易利益はどの程度になるのでしょう?」

「うまく回れば、毎週一千万文が見えてくると思います」

「一千万文……」

「さらに大内との関係が整って、博多も交易に加われば」

 八郎は少し考えてから続けた。

「毎週一千五百万文から二千万文まで伸びる可能性があります」

 広間がざわめいた。

「今の四倍近くですか」

「どんどん商いが膨らみますね」

「膨らみます」

 しかし八郎は、すぐに表情を引き締めた。

「ただ、交易利益が二千万文になったからといって、肥前の借金が一度に消えるわけではありません」

「船を増やすにも銭が要ります」

「倉を作り、道を整え、人を雇い、品を先に買うための銭も必要です」

「儲けが増えれば、その商いを維持するための銭も増えます」

 帳面係が深く頷いた。

「大きな商いほど、動かす元手も大きくなるということですな」

「はい」

「だから、儲かった分を全部借金へ入れるのではなく、次の利益を作る銭も残します」

「鳥獣駆除で侍の借金を減らす」

「市の仕入れで農民の借金を減らす」

「交易の利益で城の大きな借金を消す」

「役割を分けて、順番にやっていきましょう」

 夏姫は帳面を見ながら微笑んだ。

「一億二千六百十一万文あっても、八郎様には余っているようには見えないのですね」

「余ってませんよ」

 八郎は即答した。

「全部、これから働いてもらう銭です」

 広間に小さな笑いが起きる。

 兄たちが戻り、大友との会談が開かれれば、八郎領の商いはさらに外へ広がるかもしれない。

 だが、その先にあるのは派手な浪費ではない。

 侍に仕事を与え、農民の借金を減らし、市を育てるための、長い帳面仕事だった。

「焦らず、止めずに進めます」

 八郎は帳面を閉じた。

「借金も交易も、一つずつです」

 その言葉に、集まった者たちは力強く頷いた。

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