1535年3月2週目。八郎と昼寝のある暮らし。家の風紀を心配していたが今はとりあえず大丈夫そうと安心する母
本拠へ戻ってからの八郎は、肥前にいた頃とは少し違う暮らしをしていた。
朝は父母や側室候補の姫君たちと一緒に朝餉を食べる。
その後は近くの寺や市を回り、品物の並びや人の流れを眺める。昼になれば館へ戻り、
菓子と茶を楽しんでから昼寝をする。
起きれば、届いている帳面や書状へ軽く目を通す。
夕餉を皆で食べ、急ぎの用事だけを済ませれば、夜更かしをせず眠る。
肥前で毎日のように軍議、市の立ち上げ、利息の交渉、港の確認を続けていた時と比べれば、
ずいぶん健康的な生活だった。
「八郎様、今日はどちらへ行かれますか?」
朝餉の席で夏姫が尋ねる。
「午前中は寺社市を二つ見ます。その後は帰って昼寝です」
「昼寝は予定に必ず入るのですね」
「母上から、休まないと怒られますから」
「私が言わんでも寝なあかん年やろ」
母が呆れたように言うと、広間に笑いが起きた。
昼になると、八郎は本当に菓子を一つ食べ、夏姫たちに囲まれながら横になった。
「帳面は起きてからにします」
「はい。お休みください」
「皆さんも休んでくださいね」
そう言い残して目を閉じれば、疲れが残っていたのか、すぐに規則正しい寝息を立て始める。
八郎が寝ている間、姫君たちは少し離れた場所で茶を飲みながら、
その日に見た市について話し合っていた。
「今日の髪油は、香りはよかったですけど、少し高すぎましたね」
「でも入れ物は綺麗でした」
「あの入れ物だけ別の品に使えないでしょうか」
「昨日見たかんざしと一緒に並べれば、若い娘たちには受けそうです」
八郎に命じられたから無理に話しているというより、姫君たち自身が面白がっている。
母は少し離れた場所で針仕事をしながら、その様子を静かに見ていた。
八郎へ取り入ろうとして、誰かを押しのける様子はない。
姫君同士で張り合うことはあっても、今のところは品物の目利きや、
誰が帳面を早く覚えられるかという程度だった。
もともと八郎の家は、父母と八人の兄弟が一緒に飯を食べ、騒がしくも仲良く暮らしてきた。
八郎自身も、家の中が乱れることだけは嫌だと何度も口にしている。
母が何より見ていたのも、そこだった。
多少の思惑があったとしても、それを表へ出さず、皆で穏やかに過ごせるなら、
今のところは十分である。
「なんや、仲良さそうでよかったわ」
母が声をかけると、夏姫が振り向いた。
「はい。毎日、楽しく過ごさせていただいております」
「でもなあ」
母は姫君たちを見回す。
「本来のお姫様として暮らしとる方が、待遇はよかったんちゃうの?」
「うちに来たら、朝から市を見て、帳面を覚えて、品物まで調べさせられるやろ」
夏姫は少し考えてから笑った。
「確かに、お姫様として館にいる方が、体は楽だったかもしれません」
「ですが、姫として置かれているのも、案外寂しいものです」
「決まった行事の時だけ呼ばれ、あとは館で待つことが多いですから」
「私はこうして、あちらへ行ったり、こちらへ行ったりする方が性に合っています」
母は納得したように頷いた。
「あんたは、そんな感じするわ」
「じっと座っとるより、八郎と一緒に走り回っとる方が似合っとる」
皆が笑う中、龍造寺の姫君が遠慮がちに口を開いた。
「私は、まだついていくだけで精いっぱいです」
「帳面も相場も、市の仕組みも、覚えることばかりで」
「でも、つらいより楽しい方が勝っております」
「借金が消えて泣いて喜ばれる姿を見ると、もう少し頑張ろうと思えます」
「ほんなら、徐々に慣れていったらええわ」
母の言葉に、姫君はほっとしたように頭を下げた。
「ありがとうございます」
母は改めて部屋を見渡した。
夏姫たちは茶を飲み、八郎は昼寝をしている。
争う気配も、家を乗っ取ろうとするような険しさも、今のところは見えない。
母は胸の内で、少しだけ安堵していた。
「八郎があんまり気ぃ遣わんから、うまくいっとるんかな」
夏姫が笑う。
「それはあるかもしれません」
「私たちが姫であることを、時々忘れておられるようですから」
「お小遣いを渡された時も、最後は寺社市の商品調べの話になりました」
「全部仕事につなげるんやな、あの子は」
母が苦笑した、その時だった。
「……私が、あまり気を遣わないからですかね」
布団の方から声が聞こえた。
八郎が寝ぼけ眼をこすりながら、よろよろと起き上がってくる。
「あんた、起きとったん?」
「最後の方だけです」
「まだ五歳児やねんから、そんな気を遣うとか考えんでええの」
母が八郎の乱れた髪を手で直す。
「でも、そうも言ってられないんですよ」
八郎はあくびをしながら夏姫の隣へ座った。
「皆さん、それぞれ家を背負って来ておられますから」
「一緒に暮らすなら、できるだけ楽しくやりたいです」
夏姫が八郎へ茶を差し出す。
「では、まず目を覚ましてください」
「はい」
「それから今日見た品物について、情報交換をいたします」
「もう仕事ですか?」
「八郎様がおっしゃったことですよ」
姫君たちが笑い、母も肩をすくめた。
「まあ、こんな感じでやっとるなら、しばらくは大丈夫そうやな」
八郎はまだ半分眠ったまま、温かい茶をすすった。
側室候補を連れ帰ったことで、館が騒がしくなったことは間違いない。
それでもその騒がしさは、家を乱すものではなく、これまで以上に
食卓を賑やかにするものになりつつあった。




