1535年3月2週目。肥前から薩摩へ帰国前の八郎。帰国前の九州談義。大友との話し合いの可能性を共有する。
三月二週目。
仮の帳面合わせを終えた八郎は、佐賀城の一室で帰り支度を始めていた。
着物や帳面を木箱へ詰めながら、兄たちへ声をかける。
「そろそろ私は帰ります。」
「兄様方は、あと一週間か二週間ほど肥前に残ってください。」
三郎が荷物を眺めながら尋ねた。
「残り二つの市を立ち上げて、十二の市の様子を見るところまでやな。」
「はい。四月の頭くらいには、こちらも一段落すると思います。」
八郎は大友領の方角を指した。
「それと、その頃には大友様から返書が届くでしょう。」
「停戦を延長するのか。」
「九州を今後どうするのか。」
「おそらく、その辺りの話をしたがっておられると思います。」
一郎が腕を組む。
「まだ返事は来とらんのやろ?」
「来てません。」
「ただ、今の九州で大きく動けるのは、八郎領、大友、大内です。」
「ですから、大友様から『一緒に大内を九州から追い出しませんか』という話が来ても、
不思議ではありません。」
「また戦か。」
五郎がため息をつく。
「戦をするかどうかは、話を聞いてからです。」
「でも、同盟を結ぶのであれば、姫君方との婚姻が条件になる可能性は高いです。」
八郎は大友の姫君たちへ視線を向けた。
「ですので兄様方。」
「大友の姫君様方とは、特に仲良くしておいてください。」
「なんで俺らを見るんや。」
「大いなる野望ですよ。」
八郎は笑顔で言う。
「大友の姫君との間に子供が生まれれば、その子が将来、九州を統べる男か女になるかもしれません。」
「可能性は十分あります。」
「なんでそんな重たいもんを、急に俺らの背中へ載せるんや!」
三郎が声を上げた。
「あと、浮気したら大友から攻め込まれるかもしれませんね。」
「なんで、まだ付き合ってもないのに浮気する前提やねん!」
「姫君同士なら、家同士の話で収まるかもしれません。」
「でも町娘に手を出したら危ないですね。」
「そんな暇ないくらい忙しいわ!」
五郎が叫ぶと、姫君の一人がにこやかに近づいた。
「でも、軽いお付き合いはお好きなのでしょう?」
「いや、そんなことはないぞ。」
「本当ですか?」
「一回一回の出会いを、大切にしたいと思っている所存でございます。」
急にかしこまった五郎が、背中を丸めて縮こまる。
姫君たちは顔を見合わせ、くすくすと笑った。
八郎も首を傾げる。
「兄様方が縮こまってしまうことに問題があるのか。」
「外からの圧が強すぎることに問題があるのか。」
「難しいところですね。」
「兄たちで遊ぶな。」
一郎が八郎の頭を軽く小突いた。
笑いが収まったところで、八郎は大友の姫君へ向き直る。
「ただ、本当にそういう話になりますか?」
姫君は少し考えた後、静かに頷いた。
「おそらく、なると思います。」
「父上も、停戦を延ばすだけでは終わらせないでしょう。」
「八郎様と結ぶのであれば、次にどこへ向かうのかを必ず考えます。」
「やっぱり大内ですか?」
「大内を攻めるという話は、十分あり得ます。」
姫君は九州の地図を広げた。
「結局、筑前と筑後には大内の影響が残っています。」
「特に博多は大きな港です。」
「大友としても欲しい。」
「八郎様も欲しいのではありませんか?」
「博多をいただけるなら、軍を動かす意味はあります。」
八郎はあっさり答えた。
「例えば、筑前の一部を大友様。」
「博多や筑後側をこちら。」
「そのように分ける話なら、検討できます。」
三郎が呆れた顔をする。
「帰る話をしとったのに、もう次の領地分けか。」
「まだ決めてませんよ。」
「考えてるだけです。」
八郎は地図の北側を指でなぞる。
「大友とこちらが二方向から四万、五万で攻め上がれば、大内は難しいと思います。」
「本州から九州へ兵を渡すには船が要ります。」
「一度に二万から三万運ぶのが精いっぱいでしょう。」
「それを相手に、こちらは陸続きで兵糧を送りながら、少しずつ削れます。」
大友の姫君も頷いた。
「父上たちも同じように見るでしょう。」
「本州側から兵を動かすにしても、海を越えなければなりません。」
「大内にとって九州は重要ですが、すべてを九州へ賭けているわけではありません。」
「本国を空にすることもできませんから。」
一郎が地図を見つめる。
「大内を九州から押し出すだけなら、できるかもしれんと。」
「はい。」
八郎は答えた。
「ただし、その後を誰が治めるのかまで決めないといけません。」
「戦って追い出して終わり、では困ります。」
「また市を作るんやろ。」
「借金を調べるんやろ。」
「湯釜も入れるんやろ。」
三郎たちが順番に言う。
「その通りです。」
八郎は笑った。
「だから私は一度帰ります。」
「戦費を締める。」
「芋の苗を用意する。」
「肥前の帳面を整える。」
「それが終わらないうちに次の戦を始めたら、八郎商会が先に倒れます。」
大友の姫君は八郎を見つめた。
「では父上には、戦の相談だけでなく、戦後をどうするかまで考えて来るよう伝えます。」
「お願いします。」
「仲良くするにしても、一緒に戦うにしても、先の帳面まで見られる相手でないと困りますから。」
三郎が肩をすくめた。
「結局、婚姻も戦も帳面なんやな。」
「帳面が合わない結婚は揉めますよ。」
「五歳児が言うな。」
帰国前の穏やかな話し合いは、いつの間にか九州の次の戦と、その後の国分けにまで広がっていた。
八郎は荷箱の蓋を閉じながら、小さく息を吐く。
「……やっぱり帰る前に、もう疲れました。」
「最近、そればっかりやな。」
広間には、兄弟と姫君たちの笑い声が響いた。




