1535年2月3週目。まずは三日、信じてみてや。龍造寺の領地での市と寺社市の立ち上げに奔走する。
肥前が八郎領となって数日。
佐賀寄りの三万五千石二束では、三郎から七郎、そして姫君たちまで総出で、
市と寺社市の立ち上げに走り回っていた。
とはいえ、そう簡単にはいかない。
「いやあ……。」
三郎が頭をかく。
「やっぱり最初は難しいな。」
「八郎はようこんなん毎回やっとるわ。」
四郎も苦笑する。
「店はできても、人が集まるまで時間かかるしな。」
五郎も帳面を見ながら頷いた。
「まあ、兄弟みんな分かっとることや。」
「姫様方も見とるやろ。」
春姫や夏姫、龍造寺家の姫君たちも頷く。
「ええ。」
「最初から全部うまく回るとは思っておりません。」
「一週間回せば借用証文が消える瞬間を見せられるんですよね?」
三郎が笑った。
「そうそう。」
「そこからや。」
「一回見てもらえたら、後は早い。」
そんな話をしていると、市へ村人たちが集まってくる。
「なんや?」
「姫様まで来とるんか。」
「あれ……。」
一人の老婆が目を丸くした。
「龍造寺の姫様ちゃうんか?」
龍造寺の姫は静かに頭を下げた。
「はい。」
「この度は、ご迷惑をお掛けしました。」
「これからは八郎様のもとで学び、肥前を良くするため働かせていただきます。」
老婆は腕を組む。
「ふん。」
「あんたらには苦しめられたからな。」
「そう思われても仕方ありません。」
姫は素直に頷いた。
「ですが、家臣団はこれまで肥前を知る者が中心となります。」
「私たちは八郎商会のやり方を学び、一緒に立て直していきます。」
「え?」
「結局、変わらんのか?」
三郎が笑って割って入る。
「変わらんのやない。」
「人が足らんねん。」
「八郎商会だけで肥前全部なんか回せへん。」
「だから教える。」
「覚えてもらう。」
「それだけや。」
老婆は鼻を鳴らした。
「どうせ借金なんか消えへんのやろ。」
三郎は肩をすくめる。
「そう思うなら。」
「三日だけ待ってみ。」
「三日経っても何も変わらんかったら、好きなだけ文句言うてええ。」
「ほれ、この前も米を三倍で買うたやろ?」
「騙された思うて、もう一回だけ信用してみ。」
老婆はむっとした顔をしたまま黙る。
三郎は店番に声をかけた。
「おーい。」
「団子一本。」
「あと、お茶。」
「はいよ!」
焼きたての団子と湯気の立つ茶碗が運ばれる。
「ばあちゃん。」
「食うてみ。」
「ちょっとは機嫌直し。」
老婆は団子を受け取り、一口。
もぐもぐ。
もう一口。
「……。」
「どうや?」
「……。」
「まあ。」
「三日待っても借金は減らへんわな。」
「そうや。」
三郎が笑う。
「ええやん。」
「とりあえずお茶もう一杯。」
店の者が慌てて注ぐ。
周囲から笑いが起こった。
「ばあちゃん!」
「怒っとるんか、満足しとるんか、どっちや!」
老婆は団子を食べながら笑う。
「両方や!」
「ばばあは忙しいねん!」
市場中がどっと笑いに包まれた。
険しかった空気が、少しだけ柔らかくなる。
こういう積み重ねが、一番効く。
その後も兄弟たちは走り回った。
三十ある市を全部一週間で整えるなど到底無理。
それでも優先順位を決め、二束の中心となる場所から順番に整えていく。
最後の二日。
ようやく主要な市では地元から米や野菜、魚を仕入れられるようになった。
三郎が帳面を閉じる。
「まあ、こんなもんや。」
「十分やろ。」
六郎も頷く。
「最初から全部なんか無理や。」
「漏れがあって当たり前。」
「利益?」
三郎は笑う。
「最初はゼロでもええ。」
「まず飯食うてもらう。」
「うまい言うてもらう。」
「まずい言われへんかったら合格や。」
五郎が笑う。
「まずい言わせる気もないけどな。」
「そうそう。」
「捨ててた魚も野菜も料理したら立派な飯になる。」
「それを知ってもらうんが仕事や。」
四郎が空を見上げた。
「ここからやな。」
「ここからが俺ら兄弟の見せどころや。」
三郎も頷く。
「八郎は金集める天才や。」
「でも、人と話して笑わせるんは俺らの仕事や。」
姫君たちも微笑む。
「兄様方、すごく頼もしいです。」
「いやあ。」
「そう言われると照れるな。」
一方その頃――。
一郎とニ郎は、市ではなく畑を歩いていた。
荷車には、薩摩から持ってきた芋が山積みになっている。
一郎が農民へ声をかけた。
「今日は、この芋を食うてもらう。」
「芋?」
「見たことないな。」
「薩摩や肥後で植えている芋や。」
「腹持ちええし、痩せた土地でも育つ。」
次郎は焼き芋を割って見せる。
湯気が立ち、甘い香りが辺りへ広がる。
「ほれ。」
「食うてみ。」
恐る恐る口にした農民の目が丸くなった。
「……甘い。」
「なんやこれ。」
「うまい。」
子どもが思わず叫ぶ。
「もう一個!」
一郎と次郎は顔を見合わせて笑った。
「これや。」
「まず食うてもらう。」
「うまいと思うてもらう。」
「そしたら畑を貸してくれる。」
「農業は急がん。」
「一歩ずつや。」
焼き芋を頬張る農民たちの笑顔を見ながら、一郎は静かに空を見上げた。
「肥前でも、きっと育つ。」
「今年の秋には、この芋がこの国を支えるかもしれんな。」




