1535年2月2週目。肥前で龍造寺が負けた理由を知る会。戦後の市の立ち上げと寺社市の立ち上げ。
宴が終わった翌朝。
佐賀城の広間には、龍造寺家兼、島津本家・分家の将、八郎軍の主だった者たちが集まっていた。
昨夜の酒宴とは違い、卓上には肥前の地図と、何冊もの帳面が広げられている。
八郎が地図を指した。
「まず軍の配置です。」
「現在、戦える兵は約二万一千。」
「このうち一万五千を、有馬と松浦の境へ向かわせます。」
家兼が眉を上げた。
「もう動かすのか。」
「はい。」
「ただし、すぐ攻めるわけではありません。」
「国境に立って、戦うのか、降るのか、返事を待ちます。」
「残り六千は佐賀周辺に置きます。」
「治安維持と、龍造寺軍の再編、国人衆との話し合いを進めてもらいます。」
島津本家の老将が頷いた。
「一万五千を見せれば、有馬も松浦も軽々しくは動けまい。」
「こちらの損耗を見ても、まだそれだけ残っておるからな。」
八郎は家兼へ向き直る。
「そして、龍造寺家についてです。」
「家兼様には、当主の座を退いていただきます。」
広間の空気が少し硬くなる。
しかし家兼は、昨夜より落ち着いた様子で頷いた。
「負けた以上、それは仕方あるまい。」
「ありがとうございます。」
「そのうえで、龍造寺の血筋の方や、肥前の国人衆を中心に、統治の形を組み直します。」
「私たちは薩摩や肥後に自分たちの領地があります。」
「肥前のことは、肥前を知る人に治めてもらった方がええです。」
家兼が少し意外そうな顔をする。
「全部、おぬしの家臣で固めるのではないのか。」
「無理ですよ。」
「道も水も、村同士の関係も、誰が誰を嫌ってるかも分かりません。」
「知らん者だけで治めたら、また揉めます。」
八郎は続ける。
「ただし、何も変えないわけにもいきません。」
「特に借金です。」
帳面役が一冊の仮帳面を開いた。
「まだ調査前ですが、八郎領では三万五千石を一つの単位として見ております。」
「だいたい一単位につき、城の借金が二千万文。」
「農民と商家の借金が一千万文。」
「侍衆の借金も一千万文。」
「合計四千万文前後を、ひとまずの目安といたします。」
家兼が低く唸る。
「肥前全体となれば、とんでもない額やぞ。」
「はい。」
「だから一度には返せません。」
「順番に消します。」
八郎は地図に記された市の候補地を指した。
「肥前には、三万五千石単位で見れば三十ほどの地域があります。」
「それぞれに市を作ります。」
「農民から米、野菜、魚、薪、布の材料を買います。」
「飯屋も、寺社市も開きます。」
「商人には、借金証文を持ってきてもらいます。」
「仕入れ代と証文を合わせて、少しずつ借金を消していきます。」
家兼が帳面を覗き込む。
「どのくらいで消える。」
「三万五千石の束あたり30の市で合計すると仕入れに一週間で百万文ほど使うとします。」
「順調に回れば、農民の借金は三か月から四か月でかなり消せます。」
「全部を一気に銭で返すのではありません。」
「商売を動かしながら消すんです。」
島津分家の将が笑った。
「我らも同じ説明を受けた時は、何を言うとるのか分からなんだ。」
「それが気付けば、本当に証文が消えておった。」
家兼は苦笑する。
「商人の仕入れが、そのまま民の借金返済になるわけか。」
「そうです。」
「次に侍衆です。」
八郎は別の帳面を開いた。
「侍には仕事を作ります。」
「例えば四月から九月まで、鳥獣対策。」
「畑を荒らす猪や鹿を狩ってもらいます。」
「三万五千石につき、五か月で二百万文ほど仕事として計上します。」
「借金がある侍は、報酬を借金返済へ回す。」
「借金がない侍には普通に銭を払う。」
「ほかにも、町の警備、街道の巡回、訓練、荷駄の護衛があります。」
龍造寺方の将が戸惑った顔をした。
「侍に猪狩りをさせるのか。」
「畑を守る立派な仕事でしょう。」
「民からすれば、戦で首を取るより、猪を取ってくれた方がありがたい時もあります。」
島津の将たちが笑う。
「耳が痛い話じゃ。」
八郎も小さく笑った。
「城の借金は最後です。」
「正直、どこの領地も城の収支だけでは赤字か、良くてもぎりぎりです。」
「だから八郎商会が外で稼ぎます。」
「飯屋を出す。」
「酒を売る。」
「温泉を作る。」
「交易をする。」
「土地の値段差を使う。」
「そうやって新しい収益と仕事を作り、その利益を城へ戻します。」
家兼は腕を組んだ。
「今回の戦も、その銭で続けたわけやな。」
「はい。」
「武勇だけで勝ったとは思ってません。」
「銭があった。」
「米があった。」
「村から奪わず買えた。」
「何日でも平野に陣を置けた。」
「負傷者を治療できた。」
「亡くなった兵の家族へ、今後も銭を出せる。」
「その仕組みがあったから、じわじわ攻められたんです。」
家兼はしばらく黙っていた。
やがて、苦笑しながら口を開く。
「つまり、わしはこれから。」
「龍造寺がなぜ負けたかを、目の前で一つずつ見せつけられるわけか。」
「そうなりますね。」
八郎は悪びれずに頷いた。
「市ができるところも。」
「借金が消えるところも。」
「侍が仕事を得るところも。」
「領民の顔色が変わるところも。」
「全部見てください。」
「それで納得してから、隠居していただきます。」
「随分丁寧な敗因の説明会やな。」
家兼は笑った。
「負けた身からすれば、腹も立つ。」
「だが、面白くもある。」
「では、見ていただけますか。」
「見よう。」
家兼は地図へ視線を落とした。
「武勇で負けたのではなく、仕組みで負けたというなら。」
「その仕組みが本物かどうか、最後まで見届けてやる。」
八郎は笑顔で頭を下げた。
「お願いします。」
「それと姫君の話は、また後で。」
「忘れておらんぞ。」
「顔を見てからです。」
「五歳児のくせに、そこだけ慎重やな。」
広間に笑いが広がった。
戦は終わった。
だが肥前を作り直す仕事は、ようやく始まったばかりだった。




