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1535年2月2週目。五歳の大将と肥前の虎。戦の後帳面を見て回る5歳児の大将にいらつく龍造寺当主。

 佐賀城が落ちた、その日の午後。

 城内には、刀や槍を持った侍よりも、帳面と筆を抱えた商人たちの姿が目立ち始めていた。

「蔵の米俵、数えてください。」

「借金の証文は捨てずに全部集める。」

「庄屋ごとの貸し借りも分けてください。」

「市を開けそうな場所と、飯屋に使えそうな建物も見て回ってください。」

 八郎の指示を受け、薩摩や肥後から同行してきた商人衆が、城下や蔵、役所の中を走り回っている。

「城を取ったら終わりじゃありません。」

 八郎は当然のように言った。

「ここからが仕事ですよ。」

 その姿を、縄こそ掛けられていないものの、周囲を島津兵に囲まれた龍造寺家兼が苦々しく見ていた。

「おい。」

 低い声が飛ぶ。

「わしらのことは無視か。」

 八郎は振り返り、軽く頭を下げた。

「無視はしてませんよ。」

「龍造寺家兼様、お疲れさまでした。」

「何が、お疲れさまや。」

「城を取った相手に言う言葉か。」

「でも実際、お疲れでしょう。」

 八郎は家臣へ合図した。

 ほどなくして、温かい飯、味噌汁、漬物、それに芋焼酎の入った徳利が運ばれてくる。

「とりあえず食べませんか。」

「芋焼酎も持ってきました。」

「勝負はもう決しました。」

「ここから無駄に抵抗されても、誰も得しません。」

「ですので、今後は私たちに従っていただきます。」

 家兼の眉間に深いシワが寄った。

「こんな五歳児に従えというのか。」

「嫌でしょうね。」

 八郎はあっさり頷いた。

「ぽっと出の庄屋の子どもですから。」

「分かっておるなら――」

「でも、それは島津本家や分家の皆さんも同じでしたよ。」

 八郎は後ろに控えている島津の侍たちを指した。

「最初から私を大将として敬っていたわけではありません。」

「むしろ、何やこの子どもは、と思っていたはずです。」

 島津の老将が苦笑する。

「否定はできませぬな。」

「初めは、銭をばら撒く変な童と思っておりました。」

 周囲に小さな笑いが起こった。

 八郎は家兼へ徳利を差し出す。

「一杯飲んで、この人たちと話してみてください。」

「今回、島津本家と分家は強かったでしょう。」

「……強かった。」

 家兼は悔しそうに認めた。

「中央が止められた後、あれだけきれいに入れ替わって押してくるとは思わなんだ。」

「うちの兵だけなら、正面から肥前の兵と戦って勝てたかは分かりません。」

 八郎は正直に言った。

「八郎軍の役目は、勢いを止めることです。」

「島津の兵が、その後でがっつり戦う。」

「今回勝ったのは、うちの兵が特別強かったからではありません。」

「八郎商会が、戦う前から何か月も準備してきたからです。」

 家兼の顔が険しくなる。

「飯か。」

「はい。」

「村々へ団子や握り飯を配る。」

「米を三倍で買う。」

「城へ集まらなければ傷つけないと伝える。」

「そもそも兵を集めさせない。」

「あれは卑怯や。」

 家兼は吐き捨てるように言った。

「あんなことをされたら、こちらはどうにもできん。」

「領地の差もある。」

「銭の量も違う。」

「そうですね。」

 八郎は否定しなかった。

「だから、使えるものを使いました。」

「僕は武芸の達人ではありません。」

「島津のような強い侍も、最初から持っていたわけではありません。」

「持っていたのは、商売の知識と、少し先のことを考える頭だけです。」

 家兼は八郎をじっと見る。

「お前は、どこから始めた。」

「庄屋の八男です。」

「二歳半か三歳くらいの頃、家に五千文足らんと言われまして。」

「一家離散するかもしれないから、混ぜ飯を作って売りました。」

 家兼の目が止まった。

「何やと。」

「最初は五十個です。」

「十文で売りました。」

「それで寺に五十文寄進して。」

「残りを家へ持って帰った。」

「そこからです。」

 家兼はしばらく言葉を失った。

「わしが聞いていた八郎領は。」

「薩摩北部を押さえ。」

「肥後を取り。」

「日向と大隅を落とし。」

「島津と縁を結び。」

「大友と停戦し。」

「大内へ二千万文を払う大勢力や。」

「全部、五歳児がやったと聞いても、話半分にしか思えなんだ。」

「僕も、こんなことになるとは思ってませんでした。」

 八郎は味噌汁をすすった。

「借金を一つ消したら、次の借金が見えました。」

「市を一つ作ったら、隣の村も助けてくれと言われました。」

「それを順番にやっていたら、ここまで来ただけです。」

 家兼は徳利を見つめたまま動かなかった。

「わしは……。」

 やがて、低い声で言う。

「大事な兵を失った。」

「家も失った。」

「本来なら、腹を切るべきやと思うとる。」

「それは困ります。」

 八郎は即座に答えた。

「肥前のことを知っている人が足りません。」

「家兼様には、これから借金帳を見てもらいます。」

「市をどこへ作るか。」

「どの国人衆が信用できるか。」

「水害が出る場所はどこか。」

「働いてもらうことは山ほどあります。」

「負けた相手に使われろというのか。」

「はい。」

「その代わり、命も暮らしも守ります。」

「それで納得せえと言われても、すぐには無理や。」

「でしょうね。」

 八郎は島津の老将を見る。

「ですので。」

「今夜、島津の皆さんと飲んでください。」

「私がどういう人間なのか。」

「島津がなぜ私と一緒にいるのか。」

「借金を消されると、侍がどれくらいやる気になるのか。」

「当事者から聞いた方が早いです。」

 老将が豪快に笑った。

「ええでしょう。」

「我らも最初は、童に使われる気などありませんでした。」

「それが今では、借金を消してもろうて、飯と酒を出してもろうて、

 龍造寺まで一緒に攻めております。」

「その辺り、芋焼酎を飲みながらゆっくり話しましょうぞ。」

 家兼は深く息を吐いた。

「……分かった。」

「自害するにしても、まずは話を聞いてからや。」

「自害は困りますって。」

 八郎が真顔で返すと、島津の侍たちが笑った。

 その夜。

 佐賀城の一室には、芋焼酎と温かい飯が並べられた。

 敗れた肥前の虎と、島津の老将たち。

 そして、そのすべてを動かした五歳の商家の子ども。

 奇妙な酒宴が、静かに始まろうとしていた。

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