1535年4週目。龍造寺本体との決戦前夜。八郎、最後の軍議。敵の夜襲や突撃に警戒。突撃をいなし、耐えて島津と交代。その流れまで耐える。
龍造寺の城を望む平野。
二万二千の軍勢が整然と陣を敷き、各隊の旗が冬の風に揺れていた。
明日には、いよいよ龍造寺との決戦。
八郎は本陣へ島津本家、島津分家、日向、大隅の将たちを集め、最後の軍議を開いた。
地図の前に立った五歳の総大将は、静かに全員を見渡す。
「皆さん、ここまで本当にありがとうございます。」
「いよいよ明日です。」
場が静まり返る。
「まず一番気を付けていただきたいことがあります。」
「夜襲です。」
「向こうも、この兵力差は分かっています。」
「真正面から長く戦えば不利だということも理解しています。」
「ですから夜襲、火攻め、小部隊による攪乱、この辺は十分考えてくるでしょう。」
「夜番は二重、三重に。」
「索敵も普段以上に。」
「少しでも怪しい動きがあれば、すぐ報せてください。」
島津本家の武将が頷く。
「承知。」
八郎は地図の中央を指差した。
「そして、明日ぶつかった瞬間ですが。」
「私は、一度は必ず突撃してくると思っています。」
皆が真剣な表情になる。
「龍造寺は一万三千。」
「こちらは二万二千。」
「普通に並んで押し合えば、数で負けます。」
「農民兵も、この数を見た時点で怖くなっているでしょう。」
「だからこそ。」
「最初だけでも勢いを付ける必要があります。」
「精鋭を先頭に、一気に突っ込んでくるはずです。」
島津分家の武将も同意した。
「間違いなく来ますな。」
「ええ。」
「なので最初はこちらから火矢を五百本ほど放ちます。」
ざわっと場が動く。
「本来なら籠城戦用です。」
「ですが風向きが良ければ使います。」
「狙いは人ではありません。」
「馬です。」
「火を見て馬が少しでも怯めば、それだけ勢いが落ちます。」
「それだけで十分です。」
ある武将が笑う。
「五百本も飛んできたら、人も馬も驚きますな。」
「驚いてくれたら勝ちです。」
八郎も笑って返した。
「もし止まらず、そのまま突っ込んできたら。」
「そこで八郎軍の出番です。」
八郎は島津勢ではなく、自軍の兵たちを見る。
「盾を前へ。」
「無理に押し返さなくていい。」
「勢いだけ殺してください。」
「まず耐える。」
「止める。」
「それだけです。」
「そして。」
「馬を狙う。」
「将を狙う。」
「ただし一人で英雄になろうとは思わないでください。」
兵たちは真剣に頷く。
「体の大きい相手ほど、一人で相手をしない。」
「二人、三人、四人。」
「囲んで馬から落としてください。」
「落ちたら動けなくします。」
「首級を狙えるなら狙う。」
「無理なら戦えなくするだけでも十分です。」
島津本家の老将が笑った。
「普段の訓練そのままですな。」
「そうです。」
「散々練習しました。」
「本番は練習と違います。」
「でも、体は覚えています。」
「慌てないでください。」
「いつも通りやれば十分です。」
さらに八郎は少し照れたように続けた。
「あと。」
「後ろで飯を炊くかもしれません。」
一瞬、場が静まる。
「……飯?」
「はい。」
「味噌汁とか。」
「鍋とか。」
武将たちが顔を見合わせる。
「いや、別に毒を入れるわけじゃありませんよ。」
「ただ。」
「向こうの農民兵は興奮して突っ込んできます。」
「でも。」
「戦場の後ろから味噌汁の匂いがして。」
「飯が炊けていたら。」
「『あれ?』って、一瞬でも冷静になる人がいるかもしれない。」
「家族を思い出すかもしれない。」
「逃げたくなるかもしれない。」
「そういう人が一人でも増えたら。」
「それだけでこちらの勝ちです。」
一瞬静まり返った後。
どっと笑いが起こった。
「戦場で飯炊く大将なんか初めて見たぞ!」
「鍋で敵を倒す気か!」
「最後の最後まで商人ですな!」
八郎も苦笑する。
「最後のは半分冗談です。」
「……半分だけ。」
さらに笑いが広がった。
張り詰めていた空気が少しだけ和らぐ。
笑いが収まると、八郎はもう一度真剣な顔になった。
「皆さん。」
「こちらは攻めてきています。」
「でも。」
「勝つ条件はこちらにあります。」
「向こうが、この陣を崩さない限り。」
「龍造寺は勝てません。」
「だから。」
「突き崩されないこと。」
「それだけを考えてください。」
「島津勢は交代で前へ。」
「八郎軍は受ける。」
「崩さない。」
「農民兵には逃げ道を残す。」
「逃げる者は追わない。」
「向こうの兵が減れば、それだけ城は孤立します。」
最後に八郎は全員を見回した。
「戦場で『死ぬな』と言うのは野暮かもしれません。」
「でも。」
「私は、できるだけ皆さんに生きて帰ってほしい。」
「だからここまで訓練してきました。」
「島津の兵隊さん方にも、本当にしごいていただきました。」
「明日は、その成果を見せる日です。」
「まずは崩れない。」
「それだけで十分です。」
島津本家の老将が静かに立ち上がる。
「心得た。」
「明日は。」
「島津が前に出る時は任せてもらおう。」
分家の武将も槍を立てる。
「八郎様が止め。」
「我らが削る。」
「いつもの訓練通りですな。」
八郎は深く頭を下げた。
「よろしくお願いします。」
本陣の外では、冬の夜風が旗を揺らしていた。
決戦は、もう翌朝に迫っていた。




