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1535年1月3週目。八郎出陣前、最後の帳面合わせ。利益2048万文。島津本家の借金1200万文返済。気持ちよく出陣できる。

一月三週目。

 島津本家、島津分家、そして日向・大隅の軍勢が、すでに各地から北へ向かって動き始めていた。

 薩摩川内の館でも、荷駄車へ米俵や味噌樽、塩、干し魚、湯釜などを積み込む音が、

 朝から絶えず響いている。

 そんな中、八郎商会では出陣前、最後の帳面合わせが開かれていた。

 兄弟たち、父と母、庄屋衆、帳面役、島津本家・分家の連絡役、それに肥後や薩摩から

 来た主だった侍たちが広間へ集まっている。

 八郎は帳面を開き、皆を見渡した。

「それでは、一月三週目の帳面合わせを始めます。」

「来週は、たぶん無理や。」

 三郎が笑う。

「そらそうやろ。」

「来週にはもう国境へ向かっとる。」

「はい。」

 八郎も頷いた。

「ですので、今日が出陣前最後の帳面合わせになります。」

「ただし、市も商いも止めません。」

「私たちがおらん間も、皆さんは今まで通り動かし続けてください。」

「私たちは龍造寺との境まで進み、そこから少しずつ陣を前へ出していきます。」

「でも、後ろの市が止まったら、戦も続きません。」

 商人衆がそろって頭を下げた。

「承知しております。」

「お任せください。」

「八郎様方がお戻りになるまで、きっちり回しておきます。」

 八郎が頷くと、帳面役が今週の数字を読み上げる。

「一月三週目。」

「各地の市、寺社市、飯屋、湯浴み、高級湯浴み、交易、酒、話会、その他を合わせまして――」

「利益、二千四十八万文でございます。」

 広間がどよめいた。

「ついに二千万文を超えたか。」

「毎週の利益で二千万文とはな。」

 父も感心したように腕を組む。

「出陣前に、景気のええ数字が出たな。」

「はい。」

 八郎は次の帳面を開いた。

「ですので、使います。」

「やっぱり使うんか。」

 六郎の言葉に、広間から笑いが起きる。

「まず、島津本家のお侍さん方に残っている借金。」

「合計一千二百万文。」

「今日、全部消します。」

 一瞬、広間が静まり返った。

 島津本家の連絡役が目を見開く。

「……全部でございますか。」

「はい。」

「これから一緒に龍造寺へ向かうんでしょう。」

「借金のことを気にしながら槍を持つより、家族に何も残さず出陣できる方がええと思います。」

「ですので、正月の続きみたいなものです。」

「出陣祝いですね。」

 島津本家の侍たちは、一斉に頭を下げた。

「ありがたき幸せにございます!」

「これで心置きなく戦えます!」

「家の者にも胸を張って出立できます!」

 一人の年配の侍は、目元を押さえながら言った。

「長年、利の膨らんだ証文を抱えておりました。」

「まさか戦へ出る前に、それが消えるとは……。」

「八郎様。」

「必ずや働きでお返しいたします。」

 八郎は少し困ったように笑う。

「無理して返さんでええですよ。」

「死なずに帰ってきてください。」

「それが一番の返済です。」

 島津の侍たちは、さらに深く頭を下げた。

 帳面役が続ける。

「さらに、龍造寺領の村々へ送り込んでおります米、団子、握り飯、味噌など。」

「今週分、百万文を計上。」

「以上を差し引きまして。」

「今週の黒字、一千百四十八万文でございます。」

 三郎が笑う。

「千二百万文の借金消して、百万文の飯を撒いて。」

「それでも一千百万文残るんか。」

「だいぶ稼ぐようになりましたね。」

 八郎も帳面を見ながら頷いた。

「そして。」

「これまでの残りを合わせた八郎商会の手元残高は――」

「八千百五十三万文です。」

 また広間がざわつく。

「八千万文か。」

「とんでもない額になったな。」

 八郎はその空気を抑えるように手を上げた。

「ただし。」

「このうち二千万文は、今回の出陣へ持っていきます。」

「銭だけではありません。」

「米、味噌、塩、干し魚、薪、薬、布、馬の飼葉。」

「それらを合わせて二千万文分ほど用意します。」

 帳面役が頷く。

「現銭と物資に分けて運びます。」

「はい。」

 八郎は地図の肥後国境を指差す。

「向こうでは、村の米を買います。」

「野菜も買います。」

「薪も買います。」

「必要なら三倍でも払います。」

「兵が勝手に取ることは絶対にさせません。」

「八郎軍が来たから物を奪われた、ではなく。」

「八郎軍が来たから銭が落ちた。」

「そう思ってもらわなあきません。」

 島津分家の連絡役が感心したように頷く。

「そのための二千万文ですか。」

「はい。」

「戦の費用は、帰ってからまとめて帳面へ付けます。」

「不足した分は、また八郎商会が順番に返します。」

「その代わり、現場では細かいことを惜しまないでください。」

「飯が必要なら買う。」

「道を借りたら払う。」

「壊したものがあれば記録する。」

「全部、後で精算します。」

 父が苦笑した。

「戦へ行くいうより、大きな市を持って動くようなもんやな。」

「そうですね。」

 八郎は笑う。

「軍も、飯を食べて動く大きな町みたいなもんです。」

 帳面合わせが終わると、館の前では出陣準備が本格化した。

 銭箱が縄で固く縛られる。

 米俵、味噌樽、干し魚、塩、酒、薬、布。

 そして日向・大隅から届いた大きな湯釜が、何台もの荷車へ積み込まれていく。

「それ、割らんようにしてくださいね。」

「占領した後に使いますから。」

「戦の前から、取った後の話か。」

 三郎が笑った。

「取るつもりで行かんと、取れませんよ。」

 八郎はそう答え、小さな体に合う馬へと乗せてもらった。

 腰には刀。

 背後には、二千万文分の銭と物資を積んだ長い荷駄の列。

 その先には、すでに北へ向かう島津と八郎軍の兵たちがいる。

 八郎は館を振り返った。

「市と帳面をお願いします。」

「必ず帰ってきます。」

 母が手を振る。

「無理だけはせんときや。」

 父も静かに頷いた。

「行ってこい。」

「はい。」

 八郎は前を向いた。

 五歳になって最初の大戦。

 龍造寺との戦が、いよいよ始まろうとしていた。

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