1535年1月2週目。龍造寺への出兵の時を量る。1月末日か2月末まで待つか。流れで1月末に国境に2万2千の兵を並べる話になる。
一月二週目の帳面合わせが終わった後。
勘定役や庄屋衆が下がり、広間には島津本家、島津分家の連絡役、兄弟たち、
それに軍を預かる者だけが残っていた。
広げられたのは、肥前までの街道と城を書き込んだ大きな地図である。
八郎は地図の肥後国境を指でなぞりながら口を開いた。
「今日は数字ではなく、出兵の時期について相談したいと思います。」
皆の表情が引き締まる。
「今の予定では、二月末まで龍造寺領へ食料を少しずつ送り込み、農民へ浸透させ続ける予定です。」
「ですが……。」
そこで八郎は一度言葉を切った。
「逆に、一月末には兵を動かすという案も考えています。」
島津本家の連絡役が腕を組む。
「ほう。」
「具体的には?」
「島津本家三千。」
「島津分家二千。」
「日向・大隅から二千。」
「合わせて正規兵二万二千。」
「日向・大隅の兵は兵站や輜重を兼ねる形で後方支援に回し、主力は薩摩・肥後の兵で構成します。」
七郎が地図を見ながら頷く。
「二週間ほどかけて国境へ集結する、と。」
「はい。」
「一月三週目の終わりから四週目頃には、肥後国境へ二万二千を並べる。」
「そして龍造寺の反応を見る。」
島津分家の連絡役が静かに言う。
「なるほど。」
「実際に国境へ立った時、相手がどう動くかを見るわけですな。」
「そうです。」
八郎は続ける。
「そのまま農民の米を三倍で買いながら進みます。」
「飯も炊きます。」
「村を荒らさず、市場も荒らさず。」
「ゆっくり前へ出る。」
「龍造寺が出てくれば受ける。」
「出てこなければ、そのまま圧力を掛け続ける。」
広間は静まり返る。
島津本家の武将が口を開いた。
「正直に申し上げます。」
「時期は、一月でも二月でも、大きな違いはないと思います。」
八郎が頷く。
「理由は?」
「飯は確かに時間を掛ければ掛けるほど浸透します。」
「ですが、一月延びたからといって劇的に変わるものでもございません。」
「結局は、戦ってみないと分からない部分があります。」
分家の連絡役も同意した。
「わしも同じ考えです。」
「遅らせれば遅らせるほど、こちらの施しは効く。」
「しかし。」
「向こうもその間に兵を集め、城を固める時間が増える。」
「結局、どちらにも利がある。」
「悩ましいところです。」
六郎が腕を組む。
「龍造寺が集められる兵は。」
「一万三千くらいやろ?」
「総動員なら一万八千ほどでしょう。」
島津本家の連絡役が答えた。
「ただ。」
「その一万八千は農民兵をかなり無理に集めた数字です。」
「実際に戦場で最後まで残る兵は、一万三千前後と見ています。」
八郎は静かに頷いた。
「こちらは。」
「正規兵二万二千。」
「訓練もかなり積んでいます。」
「簡単には負けません。」
島津分家の武将が笑う。
「負ける気はありません。」
「八郎様の兵は、攻めより守りを中心に鍛えております。」
「龍造寺が勢いよく突っ込んできても、一度はいなせるでしょう。」
「そこです。」
八郎が地図を指差す。
「勢いを殺したところで。」
「島津本家、分家が交代で前へ出る。」
「敵を削る。」
「農民兵の士気が落ちる。」
「離散が始まる。」
「龍造寺本隊は城へ退く。」
「そこまで持ち込めれば。」
「後は、いつもの形です。」
父親が深く頷いた。
「なるほどな。」
「野戦で勝ち切るんやなく。」
「籠城へ追い込むまでが勝負や。」
「はい。」
「その形を作るための二万二千です。」
しばらく全員が地図を見つめた。
やがて島津本家の連絡役が口を開く。
「わしなら。」
「一月末に兵を上げます。」
「二月まで待つ必要は、それほど感じません。」
「向こうへ考える時間を与えるだけです。」
分家の連絡役も頷いた。
「同意します。」
「国境へ立つだけでも相当な圧力になります。」
「国人衆がどう動くか。」
「農民がどう反応するか。」
「それを見る意味でも早い方がよいでしょう。」
八郎は少し考えた後、小さく笑った。
「私も、その考えです。」
「一月末を目途に兵を集めます。」
「国境へ立ち。」
「じわじわ進めます。」
「まずは国人衆がどう動くか。」
「そこを見極めましょう。」
七郎が尋ねる。
「有馬と松浦は?」
「おそらく動きません。」
八郎は即答した。
「不可侵を選ぶ可能性が高いです。」
「こちらも、まずは龍造寺に集中します。」
「肥前を押さえた後で、有馬・松浦とどう向き合うか考えます。」
父親が最後に一言添えた。
「もう一つ忘れたらあかん。」
「六月で大友との停戦が終わる。」
「もし龍造寺戦が長引けば、大友が踏み込んでくる可能性もある。」
広間が静まり返る。
八郎も真剣な顔で頷いた。
「だからです。」
「できるだけ早く龍造寺を落とす。」
「その後、有馬・松浦を整理し。」
「六月までに肥前を安定させる。」
「それが今年前半の勝負になります。」
全員が静かに頷いた。
軍議は終わった。
龍造寺との決戦は、もはや「いつ始めるか」の段階まで来ていた。




