1534年12月4週目。八郎が大友の姫君達や残った兄様方と通っていた寺と寺子屋を訪問する。和尚様との会話。
十二月四週目。
年の瀬の空気が漂う中、八郎は六郎、七郎、それに大友家から遊学に来ている姫君たちを連れ、
久しぶりに自分が育った庄屋へ向かった。
「誰もおらんかな。」
八郎がそう呟きながら門をくぐると、中から箒の音が聞こえてきた。
「あれ?」
覗いてみると、庄屋衆や村役人たちが集まり、大掃除の真っ最中だった。
一人が八郎に気付き、目を丸くする。
「……八郎様!」
その声に全員が振り返り、一斉に頭を下げた。
「八郎様、お帰りなさいませ!」
「いやいや、帰ったというほどでもないですよ。」
八郎は照れ笑いしながら手を振る。
「大掃除ですか?」
「はい!」
「ここは今でも庄屋衆の集まりや相談事に使わせてもろてます。」
「ほんま助かっとります。」
一人の老人が笑顔で言った。
「借金を返していただいた時も夢みたいやったですが、あれからまだ二年も経ってへんのに、
村の空気がまるで違います。」
「皆よう笑うようになりました。」
「市で買い物もできる。」
「年末には芋焼酎まで飲める。」
「こんな暮らしになるとは思いませんでした。」
別の者も嬉しそうに頷く。
「この暮らしがずっと続いたらええなぁと思います。」
八郎も笑顔になった。
「続けられるよう頑張ります。」
「一月一日は炊き出しをします。」
「あと十文だけですけど、お祝いも配ります。」
「よかったら皆さん来てください。」
「もちろんです!」
「楽しみにしております!」
村人たちは満面の笑みだった。
その様子を見ていた大友の姫君たちは、小さく息を呑む。
「……本当に慕われてるんですね。」
六郎が誇らしそうに笑った。
「せやろ。」
「昔はこんなんちゃうかったけどな。」
しばらく話したあと、一行は近くの寺子屋へ向かった。
古びた木造の建物は、八郎が幼い頃とほとんど変わらない姿で残っている。
「ここです。」
「ここ通ってたんですか?」
姫君たちは驚いた。
「八郎様が?」
「こんなところ……。」
七郎がすぐに笑う。
「『こんなところ』言うな。」
「わしら兄弟みんな、館へ移るまではここや。」
六郎も頷く。
「毎日ここで字を書いて遊んで怒られとった。」
その時、寺の奥から住職が姿を見せた。
「あれ。」
「八郎やないか。」
住職は目を細めて笑う。
「ちょっと大きゅうなったな。」
八郎も深く頭を下げた。
「ご無沙汰しております。」
「元気そうで何よりや。」
住職は皆を見渡した。
「奥で茶でも飲もう。」
八郎は姫君たちへ向き直る。
「兄様方と寺子屋を見ててください。」
「僕、和尚様と少し話してきます。」
「はい。」
姫君たちは子どもたちが学ぶ様子を興味深そうに見始めた。
奥の小さな部屋。
湯気の立つ茶を前に、住職が静かに笑う。
「早かったな。」
「本当に。」
「ここへ通うとったんは半年ほどやったか。」
八郎も懐かしそうに笑う。
「そうですね。」
「そこからは借金の話ばっかりでした。」
「庄屋衆の借金をどうするか。」
「館を乗っ取って。」
「攻めてきた国人衆を追い返して。」
「気が付いたら、こんなことになってました。」
住職は豪快に笑った。
「わしも面白いものを見せてもろうとる。」
「八郎と過ごしてからの時間は、実に濃い。」
八郎は少し俯く。
「でも。」
「責任も増えました。」
住職は黙って聞く。
「薩摩川内やその周辺なんか。」
「農民の借金も。」
「武士の借金も。」
「城の借金も。」
「全部消えました。」
「市では皆、たくさん買い物をして。」
「笑って暮らしてる。」
「その生活を覚えさせてしまった。」
「だから。」
「守らなあかん責任があります。」
静かな部屋に、八郎の声だけが響く。
「他の土地も順番に借金を返してます。」
「でも。」
「この暮らしを守るには力が要ります。」
「大友とも。」
「大内とも。」
「今はうまくやってます。」
「でも、それもずっと続く保証はありません。」
「僕は来月で五歳です。」
「将来は……。」
「京を目指すこともあるかもしれません。」
住職は静かに頷いた。
「そのためには戦もある。」
「はい。」
「できるだけ血を流したくありません。」
「だから飯を配って。」
「農民兵を減らそうとしてます。」
「戦場へ行かなくて済むように。」
「でも。」
「どれだけ工夫しても。」
「死ぬ人は出ます。」
「その責任も……。」
そこまで言った時だった。
住職は静かに八郎の頭へ手を置いた。
「そこまで背負わんでええ。」
八郎は顔を上げる。
「皆、お前に満足しとる。」
「なんも持たんような子どもが。」
「今や四か国をまとめ。」
「島津の強い侍まで味方につけ。」
「借金を鬼のように消しとる。」
「それだけでも十分や。」
八郎は黙って聞いていた。
「しかも。」
「犠牲を少なくしようと工夫しとる。」
「飯を配り。」
「戦を避け。」
「民を守ろうとしとる。」
「それだけで十分評価できる。」
住職は穏やかに笑う。
「お前は一人やない。」
「兄弟もおる。」
「庄屋衆もおる。」
「島津もおる。」
「困ったら。」
「またここへ遊びに来い。」
「何も考えんと茶でも飲め。」
「それだけでええ。」
八郎は少し目を潤ませながら、小さく笑った。
「……ありがとうございます。」
「なんか。」
「気持ちが整理できました。」
住職はもう一度頭をぽんぽんと撫でた。
「それでええ。」
「五歳になる前くらい。」
「少し子どもに戻っても、誰も怒らん。」
二人は顔を見合わせて笑った。
外では姫君たちと六郎、七郎の楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
八郎はその声に耳を傾けながら、静かに立ち上がった。
「さて。」
「帰りますか。」
その表情は、館へ来た時よりも少しだけ晴れやかになっていた。




