1534年12月1週目。大内の館にて。龍造寺からの文書と八郎からの文書を比べている。役者が違う。八郎の勝ちじゃ。
十二月一週目。
大内の館では、龍造寺からの返書が広げられていた。
上座に座る当主は、しばらく黙ってその文を読んでいた。
近くには重臣たちが控えている。
文の内容は、苦しいものだった。
博多商人筋を肥前で受け入れる。
港や商いについては、ある程度の便宜を図る。
対八郎について、なお協議したい。
だが、従属とは書いていない。
人質も出さない。
城も預けない。
年貢も明確には出さない。
当主は文を畳み、軽く息を吐いた。
「軽いな」
重臣の一人が頭を下げる。
「龍造寺としては、これが精一杯なのでしょう」
「精一杯が軽いのだ」
当主は静かに言った。
「八郎は二千万文相当を出すと言うてきた」
「手付まで寄越した」
「博多筋の商いを太くしたいとも言う」
「求めるのは、龍造寺との戦に口を出すな、中立でおれ、ということだけだ」
「一方、龍造寺は紙切れ一枚で大内の旗を借りようとしておる」
重臣たちは黙った。
当主は、少し笑った。
「役者が違う」
その言葉は、広間に重く落ちた。
「八郎は、大大名の血筋ではない」
「庄屋筋の八男で、今は四つか五つの子わっぱであろう」
「だが、民の借金を減らし、商いを広げ、島津本家と分家を動かし、肥後を飲み、
日向を立て直し、今は兵まで鍛えておる」
「しかも、自分が兵の強さだけで勝ったとは思っておらぬ」
「飯、米買い、借金、帳面、寺社市」
「そこで勝ったと知っておる」
「だから今、肥後で兵をしごいておる」
重臣の一人が頷いた。
「勝ち方を知り、弱みも知っているということですな」
「ああ」
当主は、机の上に置かれた八郎からの文を指で叩いた。
「そのうえで、龍造寺を攻める前に、我らの中立を買いに来た」
「思い切りがよい」
「二千万文が容易に稼げるのかもしれぬ」
「だが世間から見れば大金だ」
「それを、ここぞというところで一気に出してくる」
「そこが八郎の怖さよ」
別の重臣が言う。
「龍造寺も、従属の形を取れば話は変わりました」
「そうだ」
当主は頷いた。
「従属とは、言葉ではない」
「年貢を納める」
「城を一つ二つ差し出す」
「人質を出す」
「博多商人を優遇する」
「港の税を渡す」
「そこまでして、ようやく大内の旗を貸す話になる」
「そのうえで有馬、松浦をまとめ、肥前の形を整え、いずれ従属を解く」
「そこまで考えておるなら、まだ分かる」
当主は龍造寺の文を見た。
「だが、そこまで腹を括っておらぬ」
「八郎に飲まれたくない」
「大内にも飲まれたくない」
「しかし大内の旗は借りたい」
「虫がよい」
重臣が静かに言った。
「龍造寺にも事情はございます」
「あるだろう」
当主はあっさり認めた。
「八郎が近づいている」
「有馬、松浦はせいぜい不可侵」
「大内を動かせれば、対八郎の形は作れる」
「そこまでは読める」
「だが、大内を動かすために何を捨てるかを読んでおらぬ」
「心根が小さいとは言わぬ」
「だが、器が足りぬ」
そこで当主は、少し遠くを見るような目をした。
「八郎は、無一文に近い形から立ち上げておる」
「守る血筋も、古い面目も薄い」
「だからこそ、思い切りがよい」
「借金を消す」
「証文を破る」
「民を取る」
「島津に銭を出す」
「大内の中立に二千万文を出す」
「普通なら惜しむところで、惜しまぬ」
「そこが違う」
重臣の一人が、少し不安そうに言った。
「いずれ、八郎が大内に向く可能性は」
「ある」
当主は即座に答えた。
「だが今ではない」
「八郎は大きな戦を好んでいるわけではない」
「領地を取れば、借金を見て、市を立て、湯を作り、兵を鍛えねばならぬ」
「肥前を押さえた後も、安定には時間がかかる」
「その間、我らと正面からぶつかる余裕は薄い」
「それに、こちらにも選択肢はある」
「交易を太くする」
「博多を押さえる」
「大友との関係を見る」
「八郎と縁を結ぶ道も、ないわけではない」
広間に静かな空気が流れた。
「大友とは休戦中と聞きます」
「同盟となれば、ややこしくなりましょう」
「そうだ」
当主は頷いた。
「だが、大友も八郎とすぐに血でぶつかるより、交易を密にした方が利があると考えるかもしれぬ」
「大友も商いを知る」
「八郎も商いで伸びる」
「ならば、こちらも商いで入る方がよい」
当主は筆を取った。
龍造寺への返書を書くためである。
返事は短く、冷たいものになった。
博多商人筋については、話を聞く余地がある。
だが、大内の旗を動かすには足りぬ。
従属の意思があり、相応の人質、城、年貢、港の権益を示すなら、改めて協議する。
それがないなら、大内は肥前の争いに軽々しく兵を出さない。
筆を置き、当主は静かに言った。
「龍造寺には、考える時間を与える」
「だが、助けは出さぬ」
重臣が頭を下げた。
「八郎への返事は」
「中立を受ける」
当主は言った。
「ただし、こちらも八郎を信じきるわけではない」
「博多筋の交易は広げる」
「荷と銭は受ける」
「肥前の様子は見る」
「龍造寺が崩れれば、次の形を考える」
「これでよい」
そして少しだけ笑った。
「四つか五つの子わっぱに、龍造寺が押され、大内が天秤をかける」
「世は分からぬものよ」
だが、その笑みに侮りはなかった。
八郎は子どもである。
だが、子どもだから軽いのではない。
古い面目を持たぬからこそ、ためらわず銭を出す。
民の腹を満たし、借金を消し、帳面で敵の背後を止める。
当主は、もう一度だけ呟いた。
「今回は、八郎の勝ちだ」
「龍造寺は、役者が足りぬ」
外では、冬の風が山口の館を冷やしていた。
だが大内の中では、すでに肥前の戦の形が見え始めていた。
大内は動かない。
その動かないという選択こそが、八郎にとっての大きな援軍になるのだった。




