1534年11月4週目。竜造寺の動き。肥後の国人衆が八郎傘下になったことにより領土を接することになった。どうする?
十一月四週目。
肥前の龍造寺の館では、朝から人の出入りが絶えなかった。
理由は一つである。
肥後に残っていた国人衆が、八郎側へ下った。
その報せが届いたのだ。
これで、龍造寺の東と南は、ほぼ八郎領と接することになる。
家中の者たちは、広間に集まり、地図を囲んでいた。
「肥後の残りまで降ったか」
「早かったな」
「いや、遅いくらいだ」
一人が苦い顔で言った。
「八郎軍六千が、島津本家の侍にしごかれているという話は、こちらにも届いております」
「槍、隊列、夜番、荷駄守り、撤退の稽古」
「ただの見せ物ではありませぬ」
「次に来るという意思表示でしょう」
別の家臣が地図を叩く。
「次は龍造寺か」
「あるいは、まず国境の小国人衆へ勧告を出すか」
「どちらにせよ、こちらを飲む気はある」
広間が重く沈んだ。
八郎の怖さは、兵だけではない。
肥後で何が起きたか、皆が知っている。
借金の帳面を出させる。
商家衆の証文を買う。
農民の借金を消す。
寺社市を立てる。
湯浴みを作る。
飯を出す。
そして、民の顔を変える。
龍造寺の家臣が低く言った。
「正面から兵で受けても、村が先に落ちる」
「農民が米を隠し、商人が八郎に寄り、寺社が市を欲しがる」
「そうなれば、城は残っても兵が集まらん」
当主筋の男が、ゆっくり頷いた。
「では、どうする」
一つ目の案は、肥前西方の有馬、松浦に声をかけることだった。
有馬は南肥前。
松浦は西北肥前、海と港を持つ。
龍造寺が飲まれれば、次は有馬、松浦である。
そこを突く。
「兵を出せ、とは最初から言わぬ」
「それでは乗らん」
「まずは、争いを控えよう、と言う」
「肥前の中で互いに足を引っ張っている場合ではない」
「八郎が肥前へ入れば、龍造寺だけの話では済まぬ」
家臣の一人が、書状の文面を考えながら言った。
「反八郎連合、でございますな」
「連合などと大きく言うな」
別の者が顔をしかめる。
「有馬も松浦も、龍造寺の下にはつかぬ」
「こちらが頭に立とうとすれば、むしろ警戒される」
「ならば、共通の課題として示す」
「龍造寺が防波堤である、と」
「我らが抜かれれば、次はそちらである、と」
広間に頷きが広がる。
有馬と松浦に求めるのは、いきなりの出兵ではない。
まずは小競り合いを止める。
互いの背中を突かない。
八郎に内情を売らない。
商人の動きに注意する。
使者を行き来させる。
その程度から始める。
「それでも十分です」
「八郎が嫌がるのは、肥前が割れたままではなく、こちらが少しでも話し合いを始めることです」
二つ目の案は、大内であった。
その名が出ると、広間の空気はさらに重くなった。
大内は大きい。
北九州にも顔が利く。
大内の旗があれば、八郎も軽々しく肥前へ入れないかもしれない。
だが、大内をかませるということは、ただの同盟では済まない。
「大内に頼れば、従属せよと言われましょう」
「それは避けたい」
「避けたいが、他に手はあるのか」
誰もすぐには答えられなかった。
大内へ出す書状は、慎重にしなければならない。
助けてください、と書けば、足元を見られる。
従います、と書けば、龍造寺の面目が失われる。
だが何も書かなければ、八郎に飲まれる。
当主筋の男は、しばらく考えてから言った。
「大内には、従属の話ではなく、まず対八郎の相談として出す」
「八郎は肥後をほぼ押さえ、龍造寺と接する形になりました」
「このまま肥前へ入れば、大内様の九州での道にも関わります」
「ついては、対八郎について話し合う余地があれば、使者を遣わしたい」
「そういう形にする」
家臣が頷く。
「大内様の顔を立てつつ、首は差し出さぬ形ですな」
「そうだ」
「だが、向こうは必ず見返りを求める」
「名分、兵、銭、港、あるいは人質」
「そこまで踏み込まれぬよう、まずは話し合いで止める」
別の家臣が苦々しく笑った。
「止められますか」
「分からん」
当主筋の男は正直に言った。
「だが、何もしないよりはましだ」
その場で、二通の書状が用意されることになった。
一通は、有馬と松浦へ。
肥前が割れている時ではない。
八郎・島津の南からの動きは、龍造寺だけの危機ではない。
兵を出せとは言わぬ。
まずは争いを控え、互いの動きを伝え合いたい。
そういう文である。
もう一通は、大内へ。
八郎が肥後を押さえ、肥前との境に迫っている。
このまま放置すれば、大内の九州での足場にも関わる。
対八郎について、相談の場を持ちたい。
従属とは書かない。
助けてくれとも書かない。
だが、危機は伝える。
そういう文である。
書状を書き終えるころ、広間には疲れた沈黙が落ちていた。
「八郎は、こちらがこうしている間にも動いているでしょうな」
誰かが言った。
「米を買い、証文を買い、商人を押さえ、寺に話を通している」
「城攻めの前に、村を攻めている」
当主筋の男は、地図を見つめた。
肥後の残りが八郎に下った今、肥前はもう遠い話ではない。
龍造寺の門前まで、八郎の帳面が迫っている。
「有馬、松浦、大内」
「どこまで動くかは分からん」
「だが、こちらも動かねば、飲まれるだけだ」
使者たちは、まだ夜も明けきらぬうちに館を発った。
一人は西へ。
一人は北へ。
龍造寺家は、ようやく本気で動き始めていた。
だがそれは、攻めるための動きではない。
飲み込まれないための、苦しい足掻きだった。




