1534年11月3週目。大友の姫達が当主に手紙を順々に送っている。内容を見ると実務的で面白いが寂しいという愚痴がなく微妙な顔をする当主www
十一月三週目。
豊後の館では、大友義鑑が、次々に届く文を前にしていた。
差出人は、八郎領へ遊学に出した姫君たちである。
最初のうちは、無事に着いたか、佐土原はどうか、薩摩川内はどうか、そういう報せが来ればよいと
思っていた。
だが実際には、文は思った以上に多かった。
一通読んだと思えば、また次の文が届く。
数日置いて、また届く。
義鑑は苦笑した。
「よう書くな」
近習が控えめに言う。
「姫君様方、よほど見るものが多いのでしょう」
「それは分かる」
義鑑は文を手に取りながら、少しだけ寂しそうに呟いた。
「ただ、父上がいなくて寂しい、というような話が一つもない」
近習は返事に困った。
義鑑は自分で笑った。
「いや、よいことだ」
「遊びに行かせたわけではない」
「見て、聞いて、考えさせるために出した」
そう言いながら、義鑑は文を開いた。
そこには、八郎領で見た市の様子が細かく書かれていた。
佐土原では、立ち上げの勢いがあった。
だが薩摩川内は違う、と姫君たちは書いていた。
城の借金。
農民の借金。
武士の借金。
それらが、かなりの土地で消えている。
だから人の顔が違う。
市では、ただ食うためだけではなく、少し良いものを選ぶ者がいる。
布団を買う者がいる。
湯浴みに行く者がいる。
焼き芋を買い、茶を飲み、話会に足を運ぶ者がいる。
義鑑は文を読みながら、眉を寄せた。
「借金が消えた後の民、か」
そこに書かれているのは、単なる商いの話ではなかった。
民の心が、どこへ向かっているかの報告だった。
姫君の文には、こうあった。
薩摩川内では、衣食住が満ち始めております。
その先に、民は娯楽を求めております。
笑いの話会、料理の話、旅の話、商いの話。
ただ腹を満たすだけではなく、暮らしを楽しむ段階へ進みつつあります。
義鑑は小さく息を吐いた。
「そこまで来ておるか」
別の文には、島津本家の侍衆による訓練の様子も書かれていた。
八郎軍は勝ってきた。
だが、八郎自身は、兵が強いから勝ったのではないと見ている。
飯、米買い、借金整理、夜の騒ぎ、国人衆調略、証文破り。
それらが効くまで崩れない兵にするため、冬のうちに鍛え直している。
義鑑は、その一文を何度か読んだ。
「自分の勝ち方を、分かっておる」
近習が尋ねた。
「八郎殿が、でございますか」
「ああ」
義鑑は頷いた。
「勝った者は、自分の兵が強いと思いたがる」
「だが、あの童は違う」
「策で勝ったと分かっておる」
「だから兵を鍛える」
「厄介だ」
さらに文を進めると、日向と大隅の兵に、島津分家の侍衆を入れて自信をつけさせる計画も
書かれていた。
負けた土地の兵に顔を戻す。
その言い方に、義鑑は少し目を細めた。
「負けた土地の兵に顔を戻す、か」
「武を鍛えるだけではない」
「心を戻す気か」
近習は黙っていた。
義鑑は文を置き、また別の文を取った。
そこには、寺社市の様子が書かれていた。
借金の証文を破って終わりではない。
今は、買い物の帳面が破られている。
米や薪や卵で支払い、控えが破られる。
その音に、民が安心した顔をする。
義鑑は思わず苦笑した。
「証文を破る音で心を取るとはな」
恐ろしい話だった。
城を落とすより、民の心を落とす方が深い。
一度そこに根を張られると、後から兵を入れても簡単には剥がせない。
肥後も、大隅も、日向も。
時間を置かず、八郎領のやり方が根づくだろう。
そうなれば、攻める時は土地そのものが敵になる。
道を教えない。
米を隠す。
荷を運ばない。
敵の動きを知らせる。
逆に八郎には、米も味噌も人手も集まる。
義鑑は、少し低い声で言った。
「農民の心をつかむのが、うまい」
「これは攻めるとなると厄介だ」
近習が言った。
「交易については、いかがでございますか」
義鑑は文をめくった。
「交易は、まだ特筆すべきほどではない」
「琉球や四国の話もあるが、今すぐ大きく伸びたというほどではない」
「だが、そこではないな」
義鑑は文を机に置いた。
「見張るべきは、根の張り方だ」
「大内も大友も、古くからの家だ」
「国人、寺社、商人、港、そういうものを押さえて国を動かす」
「八郎は違う」
「飯と湯と借金で、下から根を張っている」
「小さいところを少しずつ取った割に、根が深い」
そこまで言うと、義鑑はしばらく黙った。
八郎・島津同盟圏は、石高で見ても侮れない。
肥後、薩摩、大隅、日向南部。
すでに九州の一角ではなく、大勢力である。
だが本当に厄介なのは、石高だけではなかった。
借金を消された民。
湯に入った兵。
市で笑う農民。
話会で集まる商人。
それらが、八郎領を自分の暮らしとして受け入れ始めている。
義鑑は、深く息を吐いた。
「敵になるより、味方になった方がよいな」
近習は静かに頭を下げた。
「やはり、縁をお考えで」
「考えぬわけがない」
義鑑は、姫君たちからの文をもう一度見た。
しかし、そこには市のこと、湯浴みのこと、訓練のこと、帳面のこと、借金のことばかりが
書かれている。
八郎が誰と親しげであったか。
兄たちとの縁がどうか。
こちらから縁を結ぶ余地があるか。
肝心なことは、ほとんど書かれていない。
義鑑は額に手を当てた。
「分析ばかりではないか」
近習が小さく笑いそうになり、慌てて堪えた。
義鑑は苦笑する。
「誰かと縁を結べそうなのか」
「八郎本人はどうなのか」
「兄弟はどうなのか」
「そこも見てこいと言ったはずだがな」
しばらくして、義鑑は返事を書き始めた。
まずは、よく見ていることを褒めた。
市の様子、民の顔、訓練の意味、借金整理の効き方。
それらを書き送ってきたことは、大いに役に立つ。
その上で、筆を少し止めた。
そして、こう書き添えた。
八郎領の仕組みを見よ。
民の心の動きを見よ。
それはよい。
だが、仕組みばかり見て、人を見落とすな。
八郎殿が誰に心を許すのか。
兄弟たちがどのような縁を持つのか。
こちらが結べる縁があるのか。
そこも、よく見てこい。
義鑑は筆を置き、少し笑った。
「まったく」
「父を寂しがる文は来ぬ」
「縁の話も来ぬ」
「国を揺らす話ばかり来る」
近習が言った。
「姫君様方は、よくお務めを果たしておられます」
「分かっておる」
義鑑は文を畳んだ。
「だからこそ、もう一つ頑張れと伝える」
外では、豊後の風が冷たくなり始めていた。
来年六月までの停戦。
その間に、八郎領はさらに根を張るだろう。
義鑑は、文を使者に渡しながら、静かに呟いた。
「敵に回すには、少し育ちすぎておる」
そして、もう一度だけ苦笑した。
「ならばせめて、縁の芽くらいは見つけてこい」




