1533年1月。八郎の二個目の話。湯あみを作りましょう。雇用も生まれ、交流も生まれ、利益も1日100文出る計算です。
「それで、二つ目です」
八郎がそう言うと、父は思わず身構えた。
「……今度は何や」
「父上、そんな顔せんでも」
「いや、お前の『二つ目』は怖い」
その言葉に兄たちは笑った。
三郎も頷く。
「混ぜ飯から始まって、つみれ汁、炒め飯、天ぷら、酒……次は何が出るかわからんからな」
「今回は飯ではありません」
「ほう?」
父が首を傾げる。
八郎は言った。
「湯浴みを作りたいです」
「湯浴み?」
家族全員が顔を見合わせた。
「風呂か?」
「大きなものではありません」
八郎は説明する。
「大きな桶に肩まで浸かるようなものではなく、まずは釜で湯を沸かして、
その湯で体を拭くぐらいのものです」
「なんでまた湯浴みなんや」
父が聞く。
八郎は少し笑った。
「一つは単純です」
「なんや」
「気持ちよくなりたいからです」
その答えにみんな笑った。
「そこは子供らしいな」
「でも大事ですよ」
八郎は続ける。
「父上も兄上たちも、田仕事の後は汗をかきます」
「まあな」
「泥もつきます」
「そらそうや」
「温かい湯で体を拭いて、綺麗な布で体を拭いて寝たら、気持ちよく眠れると思うんです」
母が少し微笑む。
「それは……確かにええね」
「でしょう?」
だが父は腕を組んだ。
「でも高いやろ」
「はい」
「いくらぐらい見る」
「五千文ぐらいですかね」
「五千!?」
兄たちが驚く。
「そんなかかるんか!」
「かかります」
八郎は指を折る。
「まず釜が必要です」
「まあな」
「湯を沸かす場所も必要です」
「うむ」
「薪もいります」
「毎日使うなら結構いるな」
「水を運ぶものも必要です」
「……」
「あと布です」
「布?」
「貸し布です」
父が首をひねる。
「貸し布?」
「はい」
八郎は説明する。
「体を拭く布を貸します」
「それも銭取るんか?」
「取ります」
「取るんかい」
みんな笑う。
「あと麦茶みたいなものも出せたらいいですね」
「茶まで?」
「はい」
「新しい商売作る気か?」
父が呆れる。
八郎は少し考えて答えた。
「半分当たりです」
「半分?」
「目的は銭だけじゃありません」
その言葉で空気が変わった。
八郎がこう言う時は、大体もっと先を見ている。
「何を見るんや」
父が聞いた。
「仕事です」
「仕事?」
「はい」
八郎は帳面に数字を書く。
「火を見る人」
一。
「お金を見る人」
二。
「掃除や布を管理する人」
三。
「三人雇います」
父が目を細めた。
「また雇う話か」
「はい」
「いくら払う」
「一人一日四十文」
「三人なら百二十文やな」
「はい」
八郎は続ける。
「二十日動かしたら?」
兄たちが考える。
「えっと……」
「二千四百文です」
「……」
「村に二千四百文落ちます」
その瞬間、父の顔色が変わった。
「そういうことか」
「はい」
八郎は頷く。
「湯浴みを作るだけではありません」
「仕事を作るんか」
「はい」
「銭を回すために」
「そうです」
父は黙った。
三歳の子供が、村の雇用を語っている。
「でも客は来るんか?」
一郎が聞いた。
「来ると思います」
「なんで?」
「もう銭が少し回っています」
八郎は言う。
「うちが卵を買っています」
「そうやな」
「野菜も買っています」
「魚もやな」
「はい」
「つまり?」
「少しずつ銭を持つ家が増えています」
父がうなる。
「その銭を使う場所を作るんか」
「はい」
「恐ろしいな、お前」
「なぜですか」
「普通は銭を集めることしか考えん」
父は言った。
「お前は銭を渡す先まで作っとる」
八郎は首を傾げた。
「回らない銭は意味ないです」
「……」
父は返す言葉がなかった。
「それに」
「まだあるんか」
「はい」
みんな笑う。
「湯浴み場は人が集まります」
「そうやな」
「人が集まれば話をします」
「……」
「困りごとも聞けます」
和尚が聞いていれば、また笑っただろう。
三歳児が情報網を作ろうとしている。
「最初は一つです」
八郎は続ける。
「男女は時間を分けます」
「二つ作らんのか?」
「高いです」
「そこは現実的なんやな」
「はい」
「一つ作って利益が出たら?」
父が聞く。
八郎は当然のように答えた。
「隣の村に作ります」
「……」
「そしてまた利益が出たら、次の村です」
「……」
「十の村がありますから、順番に」
父は額を押さえた。
「お前……」
「はい」
「飯屋から始まって、湯浴みを十個作る話になっとるぞ」
「はい」
「はい、ちゃうわ」
家族全員が笑った。
だが誰も否定しなかった。
なぜなら。
混ぜ飯も。
つみれ汁も。
炒め飯も。
天ぷらも。
酒場も。
全部、最初は「できるわけない」と思ったものだったから。
母がぽつりと言う。
「でも、本当にできたら……」
「はい」
八郎は笑った。
「みんな少し気持ちよく暮らせます」
その言葉に父はため息をついた。
「三歳児が考えることやないな」
「三歳になりましたから」
「そこちゃう」
また笑いが起こる。
だが父は心の中で思っていた。
この子は商売を作っているのではない。
村そのものを変えようとしているのだ、と。




