1532年夏。八郎2歳7か月唐か月、和尚さんのお気に入りとなる。居残りで村の米俵の計算を習う。
「八郎、すごいぞ!」
寺から帰る道。
兄たちは興奮していた。
いつもなら俺を背負って歩く兄は、ただ面倒を見るだけだった。
八番目の弟。
まだ二歳半。
泣かないだけでも十分。
そんな扱いだった。
だが、今日は違った。
「和尚様の出した数、全部答えたではないか」
「文字も読めたしな」
兄たちが口々に言う。
俺としては複雑だった。
(いや、前世四十二歳やからな……)
足し算。
引き算。
文字を読む。
令和なら当たり前だった。
しかし、この時代では違う。
大人でも文字が読めない者はいる。
数を正確に扱えるだけでも価値がある。
まして二歳半の子供なら、驚かれるのも当然だった。
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家に帰ると、兄たちはすぐ父と母に話した。
「父上!」
「八郎はすごいぞ!」
父は農具を直しながら顔を上げる。
「何じゃ騒がしい」
「和尚様の文字を読んだんじゃ」
「数も分かった」
「石の数も全部当てた」
兄たちは必死に説明する。
だが父は笑った。
「ははは、たまたまであろう」
母も笑う。
「八郎はまだ二つですよ」
「兄たちがかわいい弟を褒めたいだけじゃ」
まあ、当然だ。
俺も逆の立場なら信じない。
二歳半の子供が文字を理解して、計算する。
そんな話、普通はあり得ない。
父も母も、本気にはしなかった。
ただ。
「でも八郎は賢いな」
「偉かったぞ」
兄たちは、その日一日ずっと褒めてくれた。
頭をなでられる。
肩車される。
いつもより少し多めに構ってもらえる。
(まあ……これはこれで悪くないな)
前世では味わえなかった感覚だった。
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しかし、それは一日だけの出来事では終わらなかった。
次の日。
また寺へ行く。
和尚が文字を出す。
答える。
その次の日。
数を聞かれる。
答える。
数日続くと、さすがに和尚の顔つきが変わった。
「これは……まぐれではないの」
和尚は俺をじっと見た。
「八郎」
「はい」
「明日からも来なさい」
俺は首を傾げる。
「でも、兄上が……」
すると和尚は兄を見る。
「毎日、八郎を背負って連れてこい」
「え?」
「この子は面白い」
和尚は笑った。
「育ててみたい」
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それから俺の日課が変わった。
朝、兄に背負われ寺へ行く。
最初は他の子供たちと一緒。
文字。
読み方。
いろはにほへと。
もちろん俺は知っている。
ただ、全部できるふりはしない。
少しずつ。
覚えが早い子供。
その程度に見せる。
……つもりだった。
「八郎」
「はい」
「これは?」
「ろ」
「これは?」
「は」
和尚が笑う。
「もう覚えたか」
(しまったかな)
少し早すぎたかもしれない。
だが和尚は怖がらなかった。
むしろ面白がった。
「では、次じゃ」
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他の子供が帰った後。
和尚は俺を残すようになった。
そこで始まったのは、ただの文字遊びではなかった。
「八郎」
「はい」
「米俵が三つある」
和尚は小石を置く。
「村人が二つ持ってきた」
さらに石を置く。
「合わせていくつじゃ?」
「五つ」
「では、そこから寺で二つ使った」
「三つ」
和尚の目が細くなる。
「早いな」
今度は違う話になる。
「寺には村から米が来る」
「はい」
「大根も来る。菜も来る」
俺は頷く。
寺はただ祈る場所ではない。
村とのつながりがある。
米や野菜を受け取り、その代わりに学びや相談の場になる。
ある意味、村の中心だ。
「では米十俵あって、一月に二俵使えば、何月持つ」
「五月」
和尚が笑った。
「本当に二つか」
俺は黙る。
答えようがない。
和尚は俺の頭をなでた。
「八郎」
「はい」
「お前、面白いぞ」
そして笑いながら言った。
「三つ、四つになれば兄たちより役に立つかもしれんな」
「兄上より?」
「そうじゃ」
和尚は頷く。
「数を扱える者は強い」
その言葉は分かった。
戦う力だけが力ではない。
計算。
管理。
商い。
それも力だ。
「文字も書ければもっとよいが……」
和尚は俺の小さな手を見る。
「さすがに筆はまだ難しいか」
確かに。
頭では書ける。
だが手が追いつかない。
二歳半の指では細かい動きができない。
「でも」
和尚は言った。
「頭で考えられるなら、それはいずれ力になる」
俺は頷いた。
「分かるか?」
「はい」
和尚は嬉しそうに笑った。
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半月後。
兄たちの俺を見る目は変わっていた。
「八郎、また和尚様に褒められたんか」
「うん」
「すげえな」
でも、そこに嫌な感じはなかった。
嫉妬。
警戒。
そういうものではない。
理由は簡単だった。
「まあ八郎は八男だからな」
「家を継ぐわけでもないし」
「俺たちの邪魔になるわけじゃない」
兄たちは笑う。
「だったら助けてやらんとな」
ありがたかった。
俺一人では何もできない。
歩くのも遅い。
荷物も持てない。
火も使えない。
でも。
(味方ができてきた)
和尚。
兄たち。
まずはここから。
飯を作るにも。
商売するにも。
村を変えるにも。
人が必要だ。
二歳半。
まだ小さな体。
でも、八郎としての一歩は確実に進んでいた。




