表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
399/652

1534年5月3週目。薩摩分家の庄屋衆の借金完済。鳥獣対策で侍の借金激減。湯あみ等のツケ270万文払う。

五月三週目。

八郎家の大広間には、いつもより多くの者が集まっていた。

庄屋、商人、侍、職人、帳面役。

皆、どこか身構えている。

最近の帳合せでは、何かが必ず大きく動く。

誰かの借金が消え、どこかの市が立ち、侍に仕事が回り、職人に銭が流れる。

だからこそ、今日も何が出るのかと、皆が息を潜めていた。

八郎は上座に座り、分厚い帳面を前に置いた。

「では、五月三週目の帳合せを始めます」

帳面役が一礼し、最初の札を置いた。

「まず、島津分家領七万石分」

「農民、庄屋衆の借金について」

広間が静まる。

八郎はその札を見て、静かに頷いた。

「完済しました」

一瞬、誰も声を出さなかった。

次の瞬間、分家領から来ていた庄屋衆が、わっと声を上げた。

「完済」

「本当に」

「全部ですか」

帳面役が頷く。

「帳面上、農民借用、庄屋衆借用、ともに処理済みです」

「残る細かい付けはありますが、地域借金としては完済扱いです」

庄屋衆の一人が、手を震わせながら頭を下げた。

「ありがとうございます」

「まさか、こんなに早く返していただけるとは」

別の庄屋衆も畳に手をついた。

「これで、今年の種も、秋の米も、領分の子らも、少し息ができます」

千代姫は静かに目を伏せた。

分家領の者たちが、これほど安堵した顔をするのを見るのは、何度見ても胸に来る。

八郎は小さく首を振った。

「こちらこそ、ありがとうございます」

「市を回してくれたからです」

「米を持ってきてくれた」

「野菜を売ってくれた」

「寺社市を受け入れてくれた」

「湯浴みに人を集めてくれた」

「皆さんが動いたから、帳面が進みました」

五郎が横で小さく笑う。

「褒める時も帳面やな」

「帳面は褒めるためにも使えます」

八郎は真顔で答えた。

場が少し笑った。

次に、帳面役が二枚目の札を置く。

「鳥獣対策について」

今度は侍たちが少し背筋を伸ばした。

八郎は広間を見渡した。

「五月から九月までの五ヶ月」

「農民の方から、武士の方へ依頼する形にします」

「猪、鹿、猿、鳥から田畑を守る仕事です」

「五ヶ月分、二百万文」

「ここで計上して、武士の借金と差し替えます」

侍たちの間に、どよめきが走った。

「二百万文」

「借金が」

「仕事で」

八郎は頷いた。

「施しではありません」

「仕事です」

「田畑を守る」

「村の道を見回る」

「夜に火を焚く」

「罠を作る」

「猿追い、猪追い、鳥除け」

「それを農民から正式に頼まれた仕事として受けてください」

「その分、借金を減らします」

若い侍が、思わず声を上げた。

「我らが、農民に頼まれるのですか」

「はい」

「守る相手が誰なのか、顔を見てください」

八郎はまっすぐ言った。

「戦の時だけ偉そうにしても、村は守れません」

「普段から田畑を守る者が、いざという時に信じられます」

「農民も助かる」

「侍も借金が減る」

「村の顔も分かる」

「一石三鳥です」

三郎がぼそりと言う。

「鳥も追うから四鳥やな」

何人かが笑い、侍たちの緊張が少しほどけた。

年配の侍が深く頭を下げた。

「仕事としていただけるなら、面目が立ちます」

「ありがたく、お受けいたします」

「しっかり頼みます」

八郎は頷いた。

「形だけでは駄目です」

「帳面役が村を回ります」

「農民にも聞きます」

「働いた分は減る」

「働かないなら、減らしません」

侍たちは一斉に頭を下げた。

次に出された札で、今度は職人たちがざわついた。

「湯浴み場および高級湯浴み場の建築費、設備費」

「合計二百七十万文」

八郎は軽く手を上げた。

「全部消します」

職人たちが目を丸くした。

「全部」

「今月分だけではなく」

「はい」

八郎は頷く。

「湯浴みは、もう贅沢だけではありません」

「農民が汗を流す」

「商人が休む」

「侍が体を洗う」

「女衆が息をつく」

「人が集まる」

「人が集まれば市が動く」

「だから、ここで払います」

鍛冶職人、桶職人、大工、薪を扱う者たちが、次々に頭を下げた。

「ありがたいことでございます」

「次の湯浴み場も、きちんと作らせていただきます」

「壊れたらすぐ直します」

八郎はにこりと笑った。

「お願いします」

「湯が止まると、人の機嫌が悪くなります」

「機嫌が悪いと、銭も動きません」

「そこまで帳面か」

三郎が呆れる。

「人の機嫌も帳面に出ます」

「怖いこと言うな」

広間には、借金が消えた安堵、仕事が生まれた高揚、職人に銭が流れる喜びが満ちていた。

八郎は、そこで一度手を打った。

「一個一個、やっていきましょう」

「全部を一度にはできません」

「でも、消せるものは消していきます」

「借金を消す」

「仕事を作る」

「市を回す」

「湯を沸かす」

「飯を炊く」

「交易を広げる」

「それは変えません」

広間の者たちは、皆、真剣に聞いていた。

四歳の子どもが言っているとは思えない。

だが、この四歳児の帳面で、本当に借金が消え、仕事ができ、飯が増えている。

信じるしかなかった。

八郎は続けた。

「今後も、交易をしながら、次の戦いにも備えます」

「ただ刀を振るだけではありません」

「豊かさを見せつける」

「飯を見せる」

「湯を見せる」

「借金が消える帳面を見せる」

「それも戦です」

五郎が小さく呟いた。

「また戦って言うた」

「戦です」

八郎は否定しなかった。

「でも、人がたくさん死ぬ戦ではありません」

「向こうが、こちらの方がましだと思うようにする戦です」

「そのために、皆さんの力が必要です」

八郎は小さな体を折り、深く頭を下げた。

「よろしくお願いします」

大広間の空気が、ぐっと引き締まった。

それから、庄屋、商家衆、侍、職人たちが、次々に頭を下げた。

「こちらこそ、よろしくお願いいたします」

「田畑、守ります」

「市、回します」

「湯、沸かします」

「荷、運びます」

八郎は顔を上げ、満足そうに頷いた。

「では、順繰りです」

「次の帳面までに、できることを進めてください」

三郎が笑った。

「また順繰りか」

「順番です」

八郎は胸を張る。

「私は四歳児なので、一個ずつしかできません」

五郎が即座に突っ込んだ。

「一個ずつの大きさがおかしいんや」

広間に笑いが起きた。

けれど、その笑いの中で、確かに領地はまた一歩、豊かさの方へ動き出していた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ