1534年5月1週目。数回分の帳簿を確認する。戦費は多額であったが複数回の収入と寄付のおかげで賄える。
五月一週目。
八郎家の広間には、久しぶりに主だった者たちが集まっていた。
大隅遠征から戻り、二郎と春姫の祝いも一段落した。
ようやく落ち着くかと思われたところで、八郎は当然のように帳面を広げた。
「では、五月一週目の帳簿合わせです」
三郎がため息をつく。
「祝いの後、すぐ帳面か」
「順番です」
八郎は真顔で言った。
「祝いも大事ですが、帳面も大事です」
五郎が笑う。
「まあ、八郎らしいわ」
帳面役が、分厚い帳面を開いた。
「細かい数字は、後ほど各担当で確認していただきます」
「諸々の付けの返済、借用書の買い取り、庄屋衆への支払いは、順繰りに進めております」
「完済した庄屋衆からは、戦勝祝いも兼ねた寄進がございました」
八郎が顔を上げる。
「完済祝いの地域もありますね」
「はい」
「今回、戦勝祝い含め合計八百十万文の祝いをいただいております」
広間が少しざわついた。
「八百十万文」
三郎が目を丸くする。
「祝いでその額か」
五郎は感心したように頷いた。
「借金が消えたら、そら嬉しいわな」
八郎は深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
「寄付いただいたおかげで、助かりました」
「大隅遠征は派手に使いましたからね」
帳面役が次の札を置く。
「大隅遠征費、総額二千八百万文」
「内訳として、島津本家、島津分家への兵費、謝礼、祝儀として六百万文」
「八郎軍の遠征費、荷駄、早馬、飯、酒、市の立ち上げ、借金買い取りなどを合わせて二千二百万文」
「合計二千八百万文でございます」
母が少し呆れた顔をした。
「二千八百万文て」
父も腕を組んで唸る。
「国が動く額やな」
「国を取りましたから」
八郎は平然としている。
「大隅十七万石です」
「安いものです」
「安いものです、やない」
三郎が突っ込んだ。
帳面役はさらに続けた。
「一方で、四月中の各市、庄屋衆の返済、寺社市、分家領、本家領、大隅初動分などを合わせた収入および寄進の合計が、三千百九十八万文」
「よって、差し引き三百九十八万文の黒字でございます」
広間が静まり返った。
少しして、五郎がぽつりと言った。
「戦費、全部賄えたんか」
「はい」
帳面役は頷く。
「八郎様が不在の間も、各地で市が動きました」
「完済祝いの寄進も入りました」
「大隅で使った銭は大きゅうございましたが、今月分としては賄えております」
八郎はもう一度、皆に頭を下げた。
「ありがとうございます」
「皆さんが留守中もきちんと動かしてくれたおかげです」
「戦費を全部賄うことができました」
三郎が苦笑する。
「その戦費がめちゃくちゃなんやけどな」
「でも、人はあまり死なずに済みました」
八郎は静かに言った。
「八郎商会は銭を持っている」
「飯を出せる」
「借金を消せる」
「そういう評判を、大隅にも日向国境にも見せられました」
「評判代として考えれば、悪くありません」
五郎は腕を組む。
「まあ、あれだけ派手に飯と酒を振る舞えば、噂は残るわな」
「はい」
「戦場で銭を使ったのではなく、次の商いの入口を作ったと思ってください」
その後、話は北肥後へ移った。
八郎は帳面役を見る。
「北肥後の動きはどうですか」
「大友、龍造寺、大内方面で、何か大きな動きは」
帳面役は首を振った。
「多少の揺れはございました」
「ただ、報告して軍を動かすほどではございません」
「各地の代官、商会、寺社市で対処できる範囲です」
別の者も続ける。
「北肥後の国人衆は、まだ様子見です」
「大隅が落ちたことがどこまで伝わるか」
「その情報がどう受け止められるか」
「そこから動きが出るかと思われます」
八郎は頷いた。
「予断は許しませんね」
「はい」
「ただ、戦費は賄えました」
「つまり、次も戦えることは戦えます」
三郎が嫌そうな顔をする。
「もう次の戦の話か」
「しません」
八郎は首を振った。
「しばらくは、おとなしくします」
広間の全員が、同時に八郎を見た。
五郎が疑わしそうに言う。
「ほんまか」
「ほんまです」
「私は遠征で疲れました」
「しばらく大人しくします」
「八郎の大人しいは、市を三つ増やすくらいやろ」
三郎が言うと、皆が笑った。
八郎は少しむっとした。
「失礼ですね」
「今回は領地が増えました」
「借金も増えました」
「だから順繰りに返していかねばなりません」
「戦どころではありません」
「その割には、目が交易の方を向いとるで」
五郎が鋭く言った。
八郎は少しだけ笑った。
「交易は大事です」
「大隅を取ったことで、船がもっと重要になりました」
「肥後、薩摩、大隅」
「島津本家、分家」
「これだけ管理する場所が増えると、陸だけでは足りません」
「船で米、味噌、干物、酒、布、芋を動かす」
「琉球も見えてきました」
「四国も見えてきました」
「九州内だけでなく、外へ売るものを増やしたいです」
帳面役が補足する。
「現状、交易利益は週三十万文前後」
「船便が整えば、もう少し上がる見込みです」
「領内で品物を回すだけでも、利は出ます」
「大隅の市が安定すれば、さらに増えます」
父がぽつりと言った。
「借金が減る」
「領地が増える」
「また借金が増える」
「それを交易で減らす」
「なんか、よう分からんことになっとるな」
母も苦笑した。
「帳尻が合ってるようで、合ってへんようで」
八郎は団子を一つ取り、ゆっくり食べた。
「帳面上は合っています」
「人の心は、まだ合っていません」
「だから飯と市で合わせます」
三郎が呆れたように笑った。
「また名言っぽいこと言うてる」
「名言ではありません」
「実務です」
八郎は団子を食べ終えると、ふうと息を吐いた。
「とにかく、今月は黒字です」
「遠征費も賄えました」
「島津本家、分家への支払いもできます」
「大隅の初動も始まりました」
「北肥後も大きな動きなし」
「交易は伸ばす」
「借金は順繰り返す」
「これでいきましょう」
皆が頷いた。
その空気が少し緩んだところで、八郎は最後に言った。
「僕は疲れたので、しばらくおとなしくします」
広間に、再び沈黙が落ちる。
実久様が横で杯を置いた。
「ほんまか?」
三郎も五郎も、父も母も、帳面役までもが同じ顔をした。
八郎は胸を張った。
「私は四歳児です」
「都合のいい時だけ四歳になるな」
その突っ込みに、広間は大きな笑いに包まれた。
だが誰も、八郎が本当におとなしくするとは思っていなかった。




