1534年4月3週目。大隅で1週間。八郎が市を全力で回す。やることやったんで二郎兄様のお祝いに島津本家にむかいます。
四月三週目。
大隅の国では、戦の音よりも、鍋の音と帳面をめくる音の方が大きくなっていた。
八郎は、肝付の城を開け放ったまま、城下に市を立てさせた。
門前には握り飯。
広場には味噌汁。
奥の倉では米、味噌、塩、干物、芋、布、鍋、椀の数を帳面役が必死に書きつけている。
寺や神社には、寺社市の触れが回された。
「大きな市へ来られぬ者は、寺社市へ来てください」
「少し高くなりますが、その分、近くまで持っていきます」
「寺にも神社にも寄進が落ちます」
「銭がなければ、米、野菜、薪、魚でも見ます」
最初は疑っていた者たちも、飯と酒が出ると足を止めた。
八郎は、城の広間に座り、集まってきた庄屋、商人、侍、寺社の者たちへ、同じ話を何度もした。
「ここは飛び地です」
「大隅は肥後とも薩摩川内とも離れています」
「でも、島津本家、島津分家と同盟を結んでいます」
「道も港も使います」
「八郎商会が荷を動かします」
「金払いはよくします」
「ただし、帳面は出してください」
「借金も、付けも、年貢の未納も、恥ずかしがらずに出してください」
「隠されると、こちらも助けられません」
国人衆たちは、まだ半信半疑だった。
しかし、目の前で銭が動く。
農民が持ってきた米に、きちんと値がつく。
商人が抱えていた貸し付けの一部が、八郎商会に買い取られ、借用書が破られる。
寺社市には子どもが集まり、湯浴み場の予定地には職人が集まり、城下には湯気が立ち始めた。
一日目は、ただ飯を食うだけだった者が、三日目には帳面を出し始めた。
五日目には、商人が自分から荷を並べた。
七日目には、寺社市の場所を巡って、寺と神社が軽く言い合いを始めた。
実久は、その様子を見て笑った。
「揉め始めたな」
「ええ」
八郎は団子を食べながら頷いた。
「動き始めた証拠です」
「何も動いていないところは揉めません」
「銭が回り始めると、人は場所と順番を気にします」
「それを帳面で整えるのが仕事です」
その一週間の間に、八郎商会の荷も少しずつ入り始めた。
肥後から来た味噌。
薩摩から来た芋焼酎。
島津分家を通ってきた布。
本家領を経由してきた米と塩。
港からは干物と薪。
まだ十分ではない。
だが、最初の一週間を動かすには足りた。
八郎は最後の日、城の広間に主だった者を集めた。
国人衆、庄屋、商人、寺社の者、島津の残り兵、八郎商会の帳面役。
皆の顔には、疲れと戸惑いと、少しの期待が混じっていた。
八郎は小さな体で上座に座り、静かに口を開いた。
「これくらいでしょう」
「やれることは、まずやりました」
周囲が少しざわつく。
「市は開きました」
「寺社市も動き始めました」
「飯も出しました」
「酒も振る舞いました」
「帳面も集まり始めました」
「湯浴み場も作り始めます」
「荷も入り始めました」
「ここから先は、続けることが大事です」
商人の一人が不安そうに言った。
「八郎様は、もうお戻りに」
「はい」
八郎は頷いた。
「二郎兄様と春姫様のお祝いがあります」
「私は仕事をやりきりましたので、島津本家へ戻ります」
実久が横で笑う。
「祝いに顔を出さねば、兄に怒られるな」
「怒られるかは分かりませんが、拗ねられるかもしれません」
「二郎殿が拗ねるのか」
「たぶん、静かに芋の話しかしなくなります」
場に小さな笑いが起きた。
八郎はすぐに真面目な顔へ戻る。
「ただし、私は戻りますが、大隅を捨てるわけではありません」
「帳面は定期的に早馬で送ってください」
「一週間ごと」
「急ぎのものはその都度」
「借金がどれだけ減ったか」
「市で何が売れたか」
「どこの村が困っているか」
「どの商人が強く出ているか」
「どの寺社市が揉めているか」
「全部送ってください」
国人衆の一人が問う。
「我らは、何をすればよろしいので」
「鍛錬を怠らないでください」
八郎は即答した。
「我々は城にこだわりません」
「でも、ここは皆さんの土地です」
「守る気がない者に、こちらは銭も飯も預けられません」
「民に乱暴しないこと」
「帳面を隠さないこと」
「市を邪魔しないこと」
「そして、いざという時は守ること」
「それができるなら、八郎領で働いてください」
場が静まる。
八郎は続けた。
「一週間後、二週間後、帳面を見れば分かるはずです」
「少しずつ、借金が減る姿が見えると思います」
「米が売れ、味噌が動き、布が入り、酒が売れ、銭が回る」
「その時、皆さんは思うはずです」
「八郎領に納めた方がましだ、と」
実久が横で吹き出す。
「言い方」
「期待しております」
八郎はにこりと笑った。
「こちらも、そう思ってもらえるように働きます」
庄屋たちは顔を見合わせた。
商人たちは帳面を抱え直した。
寺社の者たちは、明日の寺社市の順番を小声で相談し始めた。
まだ完全に信じたわけではない。
だが、大隅の空気は、落城直後とは明らかに変わっていた。
飯の匂いがする。
酒の声がする。
帳面の列ができている。
そして城下の端では、湯浴み場のために穴を掘る者たちが汗を流している。
八郎は立ち上がった。
「では、実久様」
「一緒に帰りましょうか」
実久は肩をすくめた。
「一週間、お前に付き合うと、戦より疲れるな」
「私は四歳児です」
「都合のいい時だけ四歳になるな」
「でも、団子は食べます」
「またか」
出立の前、八郎は最後に城下を見渡した。
市は開かれている。
寺社市も少しずつ回り始めている。
荷は細いながらも入り続けている。
帳面は、これから大隅の血の流れになる。
「よし」
八郎は満足そうに頷いた。
「大隅は動き始めました」
「次は、お祝いです」
そう言って八郎は、団子を一つ口に放り込み、島津本家へ向かう支度を始めた。




