1534年4月2週目。肝付の領主が伊東家に落ち延びる。飯を炊き城を落とす4歳児を警戒する伊藤家の面々。
4月2週目。
肝付の当主が伊東家の館へ入った時、その顔は死人のように青かった。
伊東家の重臣たちは、最初、その姿を見て眉をひそめた。
「肝付が滅んだ、だと」
「大隅が八郎に取られた、だと」
「いくら何でも早すぎる」
一人の老臣が低く唸る。
「肝付も、なんやかんや十万石はある家であろう」
「それが二週間で落ちるか」
肝付の当主は、膝の上で拳を握った。
「落ちました」
「落とされたのではなく、折られました」
部屋が静まる。
「肥後の八郎、いや、薩摩にも根を張った八郎が、島津分家と島津本家の連合軍を連れて来ました」
「兵は七千」
「こちらは四千ほど集めるつもりでございました」
「ですが、集まりませんでした」
「なぜじゃ」
「銭を撒かれたのです」
肝付の当主は苦々しく言った。
「飯を炊き、味噌汁を出し、握り飯を配り、民に声をかける」
「借金はあるか」
「年貢で困っておらぬか」
「帳面を出せば見る」
「八郎領になれば市が来る」
「そう言って、村々を回られました」
伊東の若い家臣が鼻で笑う。
「飯で城が落ちるか」
肝付の当主は、その家臣を見た。
「落ちます」
その一言に、笑いが止まった。
「民が、籠城に協力しなくなりました」
「城へ米を入れようとしない」
「兵を出したがらない」
「逃げても、外で飯が出る」
「降っても殺されない」
「ならば、誰が飢えた城に残りますか」
別の重臣が息を呑む。
「それで包囲されたのか」
「はい」
「昼は大軍で圧をかけられ、矢を撃たされました」
「夜は松明、太鼓、鬨の声」
「寝かせてもらえませぬ」
「こちらが疲れ切った頃、外では宴です」
「村人が酒を飲み、兵が笑い、味噌汁の匂いがする」
「その匂いが、城の中へ入ってくるのです」
「兵の心が、外へ逃げました」
伊東家中に、重い沈黙が落ちた。
肝付の当主は、さらに続ける。
「そこへ、島津本家の姫と八郎の兄が婚姻したという知らせが入りました」
「島津本家、島津分家、八郎家」
「三つが婚姻で結ばれたのです」
「外の士気はさらに上がり、こちらの士気は折れました」
「最後の総攻撃では、まともに抵抗できませなんだ」
伊東家の当主は、しばらく黙っていた。
やがて、静かに問う。
「肥後は、そんなに豊かなのか」
肝付の当主は首を振った。
「からくりは分かりませぬ」
「ですが、物量が違います」
「米、味噌、銭、酒、商人、帳面役」
「戦場に来ているものの数が違う」
「兵だけで戦っているのではありません」
「民と商人と飯で、こちらを包んでくるのです」
そこへ、早馬が一つ飛び込んできた。
「申し上げます」
「日向と大隅の国境にて、島津の兵が大量の飯と酒を振る舞っております」
「祝い酒と称し、国境の者たちへ大声で触れております」
「大隅は八郎領となった」
「帳面を出せ」
「借金を見る」
「市を開く」
「飯を食え、と」
伊東家中がざわめいた。
「もう国境でやっておるのか」
「はい」
「島津の兵もおりますが、八郎商会の者らしき者も混じっております」
「鍋を据え、酒を配り、村人を集めております」
老臣が唸る。
「島津とは停戦状態であろう」
「はい」
別の家臣が言う。
「だが、八郎とは何の約定もない」
「島津分家とも、こちらに縛りは薄い」
「つまり、今攻められてもおかしくないということか」
誰もすぐには答えなかった。
伊東当主は地図を見た。
大隅は落ちた。
その向こうに、日向の南西がある。
都城、諸県の辺りが揺れれば、伊東の腹に刃が入る。
「向こうには、まだ五千ほど兵が残っているのだな」
「そのように」
「うちは二十万石ほど」
「兵七千は集められる」
「だが」
当主は肝付の当主を見た。
「飯を炊かれて、民が揺れるなら、兵の数だけでは済まぬ」
肝付の当主は深く頭を下げた。
「その通りにございます」
「国人衆は様子を見るでしょう」
「あるいは、八郎・島津連合に付く者も出るやもしれません」
「それも致し方ないか」
伊東当主は苦い顔をした。
「まずは情報を取れ」
「国境へ人を出せ」
「飯を食って帰ってきてもよい」
「何を配っているか」
「誰が帳面を書いているか」
「どの国人衆が動いたか」
「全部調べよ」
家臣たちが一斉に頭を下げる。
「ただし」
当主は声を強めた。
「こちらから講和条件や停戦を求めることは、まだしない」
「今それをすれば、こちらが怯えたと見られる」
「一週間、様子を見る」
「国境の国人衆の動き」
「八郎の兵の動き」
「島津本家、分家の残り方」
「それを見てから決める」
老臣が静かに頷いた。
「相手は、城を落とす最中に宴をする者です」
「普通の戦の物差しでは測れませぬ」
伊東当主は、地図の大隅と日向の境をじっと見つめた。
「飯で攻める四歳児か」
「厄介なものが、隣に来たな」
その場の誰も笑わなかった。
肝付の滅亡は、単なる一城の落城ではなかった。
日向国そのものの腹の中へ、飯と酒と帳面の匂いが流れ込み始めた知らせだった。




