1534年4月2週目。二郎と春姫の婚姻がなった。肝付の城が落城する前に大急ぎで早馬を飛ばす。荒れる島津本家。
春姫の侍女は、襖の外で二人の言葉を聞いた瞬間、しばらく動けなかった。
それから、はっと我に返る。
「お局様へ」
声を潜めて言うつもりが、少し上ずった。
「すぐに、お局様へお伝えを」
お局は話を聞くなり、顔色を変えた。
「日付でございます」
「日付が大事でございます」
「肝付が落ちる前か、後か」
「早馬を出しなさい」
侍たちが呼ばれる。
「大殿様へ」
「八郎様へ」
「今すぐ」
「馬は乗り潰しても構いません」
「一騎で足りぬなら二騎、三騎で行きなさい」
「途中で替え馬を使え」
「とにかく、今日のうちに知らせを走らせるのです」
侍たちは慌ただしく走り出した。
廊下を足音が駆ける。
馬場で馬が嘶く。
誰かが文箱を持って走り、誰かが印を探し、誰かが「まだ城が落ちておらぬように」と小さく呟いた。
島津本家の城内は、朝からとんでもない騒ぎになっていた。
その気配は、三郎と五郎のいる部屋にも届いた。
五郎は湯呑みを手にしたまま、廊下の慌ただしさに耳を澄ませる。
「……まあ、あれやな」
三郎も苦笑した。
「いろいろ終わった後も大変やな」
「終わったのかどうか、よう分からんけどな」
「でも、たぶん進んだんやろ」
二人は顔を見合わせた。
「二郎兄さん、ようやったんかな」
「春姫様がよう頑張ったんやと思う」
「それはそう」
やがて襖が開き、二郎と春姫が姿を見せた。
二人は手をつないでいた。
二郎の顔は赤い。
春姫も赤い。
けれど、昨日までのような追い詰められた硬さはなかった。
三郎と五郎は、すっと姿勢を正した。
二郎は少し咳払いをしてから言った。
「そういうわけで」
「どういうわけや」
五郎がすぐに突っ込む。
二郎はさらに赤くなる。
春姫が少し笑い、代わりに口を開いた。
「本日、二郎様との婚姻を進めていただくことにいたしました」
三郎と五郎は、同時に頭を下げた。
「おめでとうございます」
「春姫様、ありがとうございます」
五郎は笑いながら言う。
「うちの兄さんを拾っていただいて」
「拾うだなんて」
春姫は困ったように笑った。
二郎は少しむっとする。
「拾われた扱いか」
「いや、だって二郎兄さんやし」
「どういう意味や」
三郎も笑う。
「でも本当に、春姫様には感謝しております」
春姫は首を振った。
「いいえ」
「私も、ようやく自分の答えを出せました」
五郎が二郎を見る。
「で、二郎兄さん」
「どうやったんですか」
「何が」
「何がって、そこはまあ」
二郎は慌てて手を振った。
「詳しく言う話やない」
春姫が少し笑う。
「衝立を立てて湯浴みに入りました」
「それから、同じ部屋で休みました」
「春姫様に、だいぶ頑張っていただきました」
二郎は正直に言った。
「私は、春姫様と一緒にいたいと思いました」
「それで、夫婦になることにしました」
三郎は静かに頷いた。
「それなら、よかったです」
五郎も頷く。
「家のためだけやなくて、二人で決めたなら、それが一番です」
その時、外から侍の声が飛んだ。
「早馬、出ました!」
「大殿様へ二騎、八郎様へ三騎!」
「替え馬の手配もしております!」
三郎が苦笑する。
「すごいな」
五郎も肩をすくめる。
「この中で、おめでとうございます言うてええんか分からん空気や」
春姫の侍女も、少し困った顔で頭を下げた。
「我らも、どう動くべきか分かりかねております」
「今は大殿様と八郎様へ報告するので手一杯で」
「しばらく、お茶でも召し上がってお待ちください」
五郎は吹き出した。
「お固い家でも、てんぱるもんですなあ」
三郎が春姫へ向き直る。
「ところで、春姫様」
「はい」
「何が決め手やったんですか」
春姫は少し首をかしげた。
「決め手、ですか」
「そうです」
五郎も身を乗り出す。
「どこがよかったんですか」
二郎は気まずそうに俯いた。
「そんなこと聞かんでええ」
春姫は少し考えた。
「嫌なことを言われても、怒鳴らなかったところです」
「農民の方々に失礼なことを言われた時、二郎様は怒りませんでした」
「芋を出して、焼酎を出して、話をしてくださいました」
「それが、よいと思いました」
二郎は黙っていた。
春姫は続ける。
「それから」
「二郎様が、私の顔が好きだと言ってくださったことも嬉しかったです」
三郎と五郎の顔が一瞬でにやける。
二郎は耳まで赤くなった。
「言わんでええです」
「でも、大事なことです」
春姫は真面目に言った。
「家同士の婚姻に近い話ではあります」
「けれど、二郎様はあまり家の話をなさいませんでした」
「私の顔が好きで」
「私が話を聞いてくれるのが嬉しくて」
「一緒にいて楽しいと言ってくださいました」
「それなら、私も納得できると思ったのです」
五郎がにやにやする。
「二郎兄さん、やるやん」
「やかましい」
春姫はさらに少し照れながら言った。
「それに、五年くらいは」
「布団に入る時に、嫌な思いをしなくて済みそうだと思いました」
一瞬、部屋が静まり返った。
次の瞬間、三郎と五郎が大笑いした。
「五年!」
「春姫様、そこ現実的すぎます!」
二郎は顔を覆った。
「もうやめてくれ」
春姫もつられて笑った。
「でも、大事なことです」
「はい、大事です」
五郎は笑いながら頷いた。
「二郎兄さん、五年はちゃんとしてくださいよ」
「五年だけか」
三郎が追い打ちをかける。
「六年目からも頼むで」
二郎は真っ赤な顔で、ただ小さく言った。
「……頑張ります」
その言葉に、春姫がまた笑った。
外では早馬が走り続けている。
肝付の城が落ちる前に、この知らせを届けるために。
けれど部屋の中では、ようやく一つの縁が、家の理屈だけではなく、
人の気持ちで結ばれようとしていた。




