1534年4月2週目。二郎と春姫が一緒にお風呂に入った後一緒の部屋で寝る。緊張。次の日の朝、二郎と春姫が婚姻を進めて欲しいと侍女に話す。
布団は、横に並んで敷かれていた。
近すぎず、遠すぎず。
けれど、二郎と春姫には、それだけで十分に近かった。
灯りは落とされ、部屋の隅に小さな火だけが揺れている。
外では侍女たちが控えている気配があった。
二郎は布団の端に正座したまま、どう動いてよいのか分からずにいた。
春姫も同じように正座している。
しばらく沈黙が続いた。
先に口を開いたのは春姫だった。
「私も、よく分かりません」
二郎が顔を上げる。
春姫は袖の上で手を握っていた。
「年頃の男というものは、年頃の女子をいやらしい目で見るものなのだろう、と思うことはあります」
二郎は咳き込みそうになった。
「春姫様」
「ですが、分からないのです」
春姫は真面目だった。
「顔を見るのか」
「胸を見るのか」
「腰つきを見るのか」
「それとも、話していて楽しい方がよいのか」
「布団の中でも話がしたいのか」
「それとも、体だけを求めるのか」
言いながら、春姫の顔は真っ赤になっていた。
けれど目は逸らさない。
「いろいろ、想像します」
二郎は困り果てた。
「そこまで真面目に考えたことが、そもそもありません」
「では、今考えてください」
春姫は少し強く言った。
「今日、何があっても、私と縁を結ぶということになれば、島津の家は喜びます」
「父も、家臣も、侍女たちも」
「でも、どうせなら」
春姫は声を少し落とした。
「私も喜びたいのです」
「二郎様に必要とされたのだと、思いたいのです」
二郎は黙った。
その言葉は、重かった。
春姫は続ける。
「二郎様は、分家の姫君たちの話が出た時、なぜ自分を呼ばないのかとおっしゃいました」
「あれは」
二郎は慌てる。
「いや、その」
「もし私以外に、もっとよい女子がいれば、そちらへ行くおつもりだったのか」
「それも聞きたいのです」
二郎は視線を落とした。
「正直に言うと」
「はい」
「あの時は、何も分かっていませんでした」
春姫は黙って聞いている。
「自分が縁談の中にいるという実感も、あまりありませんでした」
「八郎が勝手に話を進めているように見えて」
「なんで俺だけ外されるんや、と思っただけです」
「でも、春姫様と畑を見て」
「芋の話をして」
「一緒に飯を食べて」
「今日、農民の方々と話しているところを見ていただいて」
二郎は少し息を吐いた。
「春姫様に、いいところを見てもらえて嬉しかった」
「それは本当です」
春姫の指が少し緩む。
二郎は不器用に続けた。
「いやらしい話をすれば、僕にも男としての気持ちはあります」
「でも、それだけで誰かをどうこうしたいとは思いません」
「僕は……」
少し考えた。
「こんな自分でも認めてくれる人に、包んでもらいたいのかもしれません」
春姫は目を瞬いた。
「包んでもらいたい、ですか」
「はい」
「僕は、八郎ほど派手ではありません」
「三郎みたいに料理で人を喜ばせるわけでもない」
「五郎みたいに商いで場を回せるわけでもない」
「芋と畑の話ばかりです」
「でも、春姫様はそれを聞いてくれました」
「それが嬉しかったんです」
春姫は少しだけ笑った。
「二郎様は、認められたいのですね」
「そうかもしれません」
「そこは八郎様譲りですね」
「家系かもしれません」
二郎も少し笑った。
春姫は、少し身を乗り出した。
「では、私のことはどう見ていますか」
二郎は固まる。
春姫は真剣だった。
「お顔ですか」
「話ですか」
「家ですか」
「島津だからですか」
二郎は耳まで赤くなりながら、言葉を絞り出した。
「お顔も見ます」
春姫が目を丸くした。
「そこからですか」
「はい」
「春姫様が可愛くなかったら、声をかけられても、今ほど嬉しくなかったかもしれません」
「正直ですね」
「嘘をつくところではないと思いました」
二郎はさらに続ける。
「でも、お顔だけではありません」
「話していて楽しいです」
「一緒にいると、落ち着きます」
「芋の話をしても、嫌な顔をされない」
「それが、とてもありがたいです」
春姫は俯き、少しだけ笑った。
「では、私も少しは好かれているのですね」
「はい」
二郎はようやく、はっきり頷いた。
「好きです」
部屋が静かになった。
春姫はその言葉を受け止めるように、目を閉じた。
そして、ゆっくり目を開ける。
「私は、勇気が要ることを言います」
「はい」
「ですから、殿方も少しは受け止めてください」
春姫は自分の布団を少し引き寄せた。
「一緒の布団に入ってください」
二郎は一瞬ためらい、それから静かに頷いた。
二人は同じ布団に入った。
ぎこちない。
肩が触れるだけで、二郎は息を止めた。
春姫も同じように緊張している。
「どうされるのがよいのですか」
春姫が小さく聞いた。
「どう、と言われると」
二郎は困った。
「僕は、とにかく認めてほしいのかもしれません」
春姫はくすりと笑った。
「本当に、八郎様の家の方ですね」
「褒められるのが好きですものね」
「はい」
「では」
春姫は少しだけ顔を近づけた。
「これは、ご褒美です」
そう言って、春姫は二郎に口づけた。
短く、震えるような接吻だった。
二郎は固まったあと、小さく呟いた。
「ご褒美、いただきました」
春姫は恥ずかしそうに笑う。
「次は、ちゃんと言葉にしてください」
「私は分かりません」
「二郎様がどうしたいのか、ちゃんと言ってください」
二郎は深く息を吸った。
「春姫様と、夫婦になりたいです」
「島津のためだけではなく」
「僕自身が、春姫様と一緒にいたいです」
春姫の目が潤んだ。
「はい」
「私も、二郎様と一緒にいたいです」
その夜、二人は何度も言葉を交わした。
怖ければ止めること。
無理はしないこと。
けれど、逃げないこと。
最後の一歩は、二郎が震えながらも引き受けた。
春姫はその不器用さごと受け入れた。
朝。
二人は並んで正座していた。
顔は赤い。
けれど、どこか晴れている。
侍女たちが襖の向こうで息を殺して待っている。
春姫が二郎を見た。
二郎も頷く。
そして二人で、襖の向こうへ声をかけた。
「よろしくお願いします」
春姫も続ける。
「二郎様との婚姻、進めてください」
外で侍女たちが息を呑む気配がした。
その後、慌ただしく人が走る音が広がっていく。
島津本家の朝は、一気に動き出した。
けれど春姫は、もう昨夜ほど苦しくはなかった。
家のためだけではない。
自分で選んだ。
その思いが、胸の奥に静かに残っていた。




