1534年4月2週目。戦場から早馬が届き肝付落城まであと1日2日とのこと。せかされて焦るが、春姫が勇気を出して今日の二郎様がよかったので一緒にお風呂に入りましょうと誘う。
その場の空気が、ようやく少し和らいだところへ、早馬の知らせが届いた。
使者は泥だらけのまま膝をつく。
「申し上げます」
「肝付の城、すでに取り囲まれております」
「八郎様、島津本家、分家の連合軍にて包囲」
「周辺国人衆も次々と挨拶に来ており、城は数日も持たぬとのこと」
部屋の空気が一瞬で変わった。
三郎も五郎も顔を上げる。
二郎は春姫を見る。
春姫の顔も、少し青くなっていた。
侍女の一人が、静かに、しかし強く言った。
「この一日、二日が勝負でございます」
「今なら、同盟の縁として通ります」
「ですが、肝付が落ち、大隅が八郎様のものとなった後では」
「島津本家から、格上の相手へ姫を差し出した形になります」
「奥方様方も、それを案じておられます」
まただ、と春姫は思った。
家。
面目。
時機。
縁。
その言葉が、また自分の上へ覆いかぶさってくる。
五郎が眉を寄せた。
三郎も箸を置く。
その時、五郎が静かに言った。
「分かりました」
侍女たちが少し安堵した顔をする。
だが、五郎は続けた。
「では、今からこの場に、二郎兄さんの分と春姫様の分の布団を敷いてください」
空気が凍った。
侍女たちが目を見開く。
五郎は冷たい目で続ける。
「ここで二人がそのまま夫婦になったら、あなた方は満足なんですか」
「なっ」
「はしたないことを」
お局の一人が声を震わせた。
三郎が低く返す。
「そのはしたないことを、遠回しに、散々言うてるんです」
「あなた方のお侍さんも」
「侍女の方々も」
五郎も言った。
「二人が今ここで、家のために無理やり夫婦の形を取れば、それでよいのですか」
「そうではないでしょう」
「手順があるでしょう」
「気持ちがあるでしょう」
「今日は、二郎兄さんが畑でいいところを見せた」
「春姫様も、それを嬉しく思われた」
「ここまでは、朗らかな話なんです」
「そこから布団に入るまでには、何段か必要なんです」
三郎は春姫を見た。
「それをすっ飛ばしたら、二郎兄さんと春姫様が、この先何年も後悔するかもしれません」
「好き同士で布団に入るのと」
「家の名前を背負って布団に入るのとでは」
「重さが違います」
侍女たちは黙った。
それでもお局が絞り出すように言う。
「それは……分からぬわけではございません」
「ですが、姫様としての責務が」
「責務の問題ではありません」
春姫が、そこで口を開いた。
皆が春姫を見る。
春姫は俯いていた顔を上げた。
「もう、よいです」
その声は震えていた。
けれど、逃げてはいなかった。
「今日は、二郎様がとてもよいところを見せてくださいました」
「私としては、とても嬉しかったのです」
「だから」
春姫は二郎を見る。
「お布団の話は、少し置いておいて」
「お風呂に、一緒に入りましょう」
二郎が固まった。
三郎と五郎も目を見開く。
「お春さん、それは」
二郎が慌てる。
「無理に流れに乗らんでもええんです」
「違います」
春姫は首を振った。
顔は赤い。
けれど、目はまっすぐだった。
「流されるのではありません」
「私が、そうしたいと思ったのです」
「ただし、いきなり何もかも決めるためではありません」
「湯浴み場で、衝立を置いていただきます」
「人目も、手順も守ります」
「けれど、二郎様と少し近い場所で、落ち着いて話したいのです」
二郎は何も言えなかった。
春姫は続ける。
「そして」
「私と二郎様が、同じ部屋で眠れるのか」
「それを確かめたいのです」
侍女たちが息を呑む。
春姫はすぐに言い添えた。
「何かを急ぐという意味ではありません」
「布団は別々で構いません」
「ただ、私はもう、周りの言葉だけで決めたくありません」
「二郎様の近くにいて、嫌ではないか」
「安心できるのか」
「それを、自分で確かめたいのです」
二郎はようやく声を出した。
「春姫様」
「明日の朝」
春姫は二郎の言葉を遮るように言った。
「明日の朝、結論を出しましょう」
「婚姻するのか」
「婚約に留めるのか」
「もう少し待つのか」
「布団で致す、致さないは別です」
「そこは、二郎様と私の気持ちの話です」
「けれど、家に伝える結論だけは出しましょう」
三郎が小さく息を吐いた。
五郎は腕を組みながら、春姫を見ている。
春姫は少し笑った。
「女子がここまで頑張って言ったのです」
「二郎様も、少しだけ恥ずかしいのを乗り越えてください」
二郎の顔が耳まで赤くなった。
「……分かりました」
声は小さかった。
けれど、逃げる声ではなかった。
「俺も、ちゃんと考えます」
「春姫様が無理をしていないか」
「俺が春姫様のそばにいてよいのか」
「ちゃんと考えます」
春姫は、ほっとしたように微笑んだ。
お局たちは、まだ困惑していた。
侍女たちも、どう動いてよいか分からず固まっている。
五郎がため息をついた。
「では、湯浴みの用意を」
三郎も続ける。
「衝立を立てて、侍女も控えて、手順は守る」
「妙な噂にならんようにしてください」
「それと」
五郎は侍女たちを見た。
「これ以上、急かさんことです」
「ここまで春姫様が自分で言われたんです」
「次に押したら、今度こそ壊れます」
侍女たちは深く頭を下げた。
二郎はまだ赤い顔のまま、春姫を見た。
春姫も赤い顔で、それでも笑っていた。
話は、急に進んだ。
けれどそれは、周りに押されて転がったのではない。
春姫が、自分の足で一歩踏み出したのだった。




