1534年4月2週目。晩御飯中に市での出来事や畑での出来事を話しいい空気になったところで侍女から縁を言われて空気が凍るwww
その晩、二郎、三郎、五郎、そして春姫は、城の一室で夕飯を囲んでいた。
春姫のことを、三郎がうっかり「お春さん」と呼びかけて、慌てて言い直す。
「いや、すみません。春姫様」
春姫は少し驚いて、それから笑った。
「お春でも構いません。少し、気が楽になります」
その一言で、場の空気が少し柔らかくなった。
膳には白飯、味噌汁、魚の煮付け、親鳥を柔らかく煮たもの、芋を甘く焼いたものが並んでいる。
三郎は箸を取りながら、大きく息を吐いた。
「ようやく話がまとまったわ」
五郎も肩を回す。
「ほんまに、島津本家の市が動かんで困った」
二郎が顔を上げる。
「そんなに難しかったんか」
「難しいどころやない」
五郎は苦笑した。
「最初なんか、八郎の金魚の糞や言われたんやぞ」
春姫の顔色が変わった。
「そのようなことを」
「言われました」
三郎は飯を一口食べてから、少しだけ笑った。
「まあ、こっちも腹は立ちましたけどね」
「でも、そこで怒鳴っても仕方ない」
五郎は帳面を指で叩くような仕草をした。
「何日か市を動かして、仕入れもこちらでして、売り上げを回して」
「商家の借用書を四十万文ほど消した」
「目の前で破ったんや」
二郎が少し目を開く。
「四十万文」
「そう」
五郎はにやりと笑う。
「散々、誇りや面子や言うてた庄屋衆が、借用書を破った瞬間に手のひら返した」
三郎が真似をする。
「誇りより借金が消える方がええ、やて」
春姫は思わず口元を押さえた。
「それは……」
「正直ですな」
二郎がぽつりと言うと、皆が笑った。
五郎は頷く。
「まあ、分からんでもない」
「利息が五割とか言うてましたからね」
「それは苦しいです」
春姫が静かに言う。
「はい」
三郎は汁を飲んでから続けた。
「市も寺社市も、まだ全然これからです」
「でも、今回の数日分で消えた借用書を見せられたのは大きい」
「八郎商会は口だけではない」
「本当に帳面を消す」
「そこだけは伝わったと思います」
五郎は少し真面目な顔になる。
「ただ、やっぱり難しいわ」
「うちらは今まで、困った国人衆が頭下げてきて、もう借金でどうにもならんから助けてくれ、
というところへ市を入れてきた」
「だから導入が楽やった」
「ここは違う」
「まだ助けてくれの空気になってない」
「大殿様は分かってても、下の者はまだ納得してへん」
春姫は膳を見つめた。
「島津本家の者として、申し訳なく思います」
三郎は慌てて首を振る。
「いや、春姫様が謝る話ではありません」
「家というのは、そういうものでしょう」
五郎も頷く。
「八郎領かて、最初から全部うまくいったわけやないです」
二郎が、少し考えてから口を開いた。
「こっちもこっちであったで」
三郎がにやりとする。
「春姫様との畑回りか」
「茶化さんでええ」
二郎は少し赤くなりながら続けた。
「農民に言われまたわ」
「春姫様が、庄屋のせがれみたいなところへ嫁がされそうになっているらしい、と」
春姫は苦笑した。
「言われましたね」
五郎が顔をしかめる。
「それはきついな」
「まあ、分からんでもない」
二郎は静かに言った。
「俺は本当に、もともと庄屋の次男やし」
「でも」
春姫がそこで口を挟んだ。
「あの時の二郎様は、見ていて安心感がありました」
二郎が驚いて春姫を見る。
春姫は柔らかく笑った。
「侍の方々が怒って、農民たちを斬るなどとおっしゃった時、二郎様は止めてくださいました」
「そして、芋と芋焼酎を出して、ゆっくり話してくださいました」
三郎が興味深そうに身を乗り出す。
「芋焼酎で丸め込んだんか」
「丸め込んだわけやない」
二郎は困った顔をする。
「焼き芋を食べてもらって、芋焼酎を水で割って飲んでもらっただけや」
五郎が笑う。
「それを丸め込んだと言うんや」
春姫も笑った。
「でも、本当に空気が変わりました」
「最初はあれほど失礼なことを言っていた方々が、最後には二郎様へ頭を下げて」
「焼酎の壺を家宝にするとまで」
三郎が吹き出した。
「壺が家宝」
五郎も笑う。
「八郎家の毒が、また一つ広がったな」
「毒やない」
二郎が真面目に否定する。
「芋や」
「そこは八郎と同じこと言うんやな」
三郎が笑う。
場は久しぶりに朗らかだった。
市は少し動いた。
寺社市も道筋が見え始めた。
二郎と春姫も、畑を通して少し近づいた。
それぞれが、手探りながらも前へ進んでいる。
春姫も、先ほどまでよりずっと自然に笑っていた。
その時だった。
部屋の端に控えていた侍女が、すっと膝を進めた。
「それだけ朗らかにお話しできるのであれば」
皆の箸が止まる。
侍女は真剣な顔で続けた。
「もう、縁を入れていただいてもよいのではないでしょうか」
空気が、一瞬で固まった。
春姫の笑みが消える。
二郎の顔も強張った。
三郎と五郎は、同時に息を吐いた。
「ちょっと」
三郎が低い声で言う。
「いい加減にしてくださいよ」
五郎も、いつもの柔らかい顔を少し引っ込めていた。
「今、ようやく普通に飯を食べて、普通に話せる空気になったところです」
「そこへまた、婚姻、婚姻と押し込むんですか」
侍女は怯まず頭を下げた。
「しかし、家としては」
「家として大事なのは分かります」
三郎が遮った。
「でも、春姫様の顔を見てください」
「笑ってはったのが、今、消えました」
五郎も続ける。
「二郎兄さんも不器用です」
「春姫様も迷ってはる」
「それでも今、少しずつ話せるようになってきた」
「そこを急かして壊したら、何のための縁談ですか」
侍女は唇を結んだ。
春姫は俯いたまま、小さく手を握っていた。
二郎はその手を見て、静かに言った。
「俺は、春姫様が納得せんうちは、無理に話を進めたくありません」
その声は大きくない。
けれど、はっきりしていた。
三郎と五郎は、少しだけ驚いた顔で二郎を見た。
春姫も顔を上げる。
二郎は照れたように視線を逸らした。
「芋も、人も、無理に引っ張ったら根が切れます」
一瞬、誰も何も言わなかった。
それから五郎が、ふっと笑った。
「二郎兄さんらしいわ」
三郎も頷く。
「八郎が聞いたら、絶対どや顔で使うな」
春姫は、泣きそうな顔で少し笑った。
その晩の食卓は、また少しぎこちなくなった。
けれど二郎の一言だけは、春姫の胸に深く残った。
無理に引っ張れば、根が切れる。
その言葉は、春姫にとって、どんな婚姻の言葉よりも優しかった。




