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1534年4月。島津の姫春姫をお見送りする二郎。結婚を決めないといけないが二郎を八郎家の人間としてか二郎としてかを決めないといけないと話す春姫。

食事が終わると、春姫は丁寧に父と母へ礼を述べた。

「本日は、ありがとうございました」

母はにこにこと笑う。

「こちらこそ、来てくれて嬉しかったわ」

父も頷いた。

「また来たらええ」

春姫は少し驚いたように目を上げ、それから柔らかく笑った。

「はい。ありがとうございます」

二郎は春姫を軒先まで送ることになった。

夜風は少し冷たかったが、春の匂いがした。

庭の端には、八郎がまたどこかから持ち込ませたらしい苗箱が積まれている。

春姫はそれを見て、少しだけ笑った。

「八郎様らしいですね」

「うん」

二郎は短く答えた。

しばらく二人は黙って歩いた。

先ほどまでは、畑の話なら自然にできた。

芋の苗。

水はけ。

土の固さ。

そういう話なら、二郎は困らなかった。

けれど、軒先で別れるとなると、急に言葉が出てこない。

春姫も、少し迷うように袖を握った。

やがて、春姫が先に口を開いた。

「今日は、本当にありがとうございました」

「貴重な時間をいただきました」

二郎は慌てて首を振る。

「いや、こんなんでよければ」

「うちは、ただ飯を食べただけやし」

「それが、嬉しかったのです」

春姫は静かに言った。

「温かいご飯を、ああして普通にいただけることが」

二郎は照れくさそうに視線を逸らした。

「母上も喜んでたと思う」

「はい」

春姫は頷いたが、その表情は少し硬かった。

「ただ」

「ただ?」

「私には、あまり時間がないのかもしれません」

二郎は黙った。

春姫は庭の方を見つめたまま続ける。

「今、八郎様たちは肝付を攻めようとしておられます」

「島津本家としては、できるだけ早く、二郎様と私の縁を結びたいと思っているはずです」

二郎の顔が赤くなった。

「それは……」

「分かっています」

春姫は少し微笑んだ。

「私も、二郎様をもっとよく知ってから結婚したいと思っています」

「一人の女として」

その言葉は、静かだった。

けれど二郎には、妙に重く聞こえた。

春姫は続ける。

「でも、ここで島津の家として結婚する、という形だけになるのは、少し違うと思うのです」

「家のために縁を結ぶことが悪いとは思いません」

「私は武家の娘です」

「そういうものだと、分かっております」

「けれど」

春姫は少しだけ二郎の方を見た。

「今日、こうしてご飯をいただいて」

「二郎様と畑の話をして」

「お父様、お母様のお話を聞いて」

「私は、できれば気持ちを置き去りにはしたくないと思いました」

二郎は何か言おうとして、言葉に詰まった。

春姫は少し困ったように笑う。

「おかしなことを言っていますね」

「いえ」

二郎は首を振った。

「おかしくないです」

それだけ言うのが精一杯だった。

春姫はほっとしたように息を吐いた。

「この一月ほどで、私も答えを出さなければならないと思います」

「二郎様も、きっと何らかのお答えを出さなければなりません」

「私と結婚するか、しないか」

「それについて」

二郎は拳を握った。

畑のことなら分かる。

芋のことなら話せる。

けれど、人の心は畑ほど簡単ではなかった。

「なんか、複雑になってきました」

二郎が正直に言うと、春姫は小さく笑った。

「はい。複雑です」

「でも」

春姫はまっすぐ二郎を見た。

「私は、今日、楽しかったです」

二郎は少し遅れて答えた。

「僕も、楽しかったです」

それだけだった。

けれど春姫は、それで十分だと言うように、深く頭を下げた。

「では、また」

「はい」

二郎は春姫の背が見えなくなるまで、軒先に立っていた

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

春姫が館へ戻ると、待っていた姉妹たちが一斉に寄ってきた。

「春姉様、どうでしたか」

「二郎様とは何を話されたのですか」

「ご両親は?」

「八郎様の家の食事は?」

春姫は一瞬たじろいだ。

「そんなに一度に聞かれても」

姉の一人が苦笑する。

「仕方ありません」

「明日、明後日には、もう軍が動くのでしょう」

「おそらく大隅は落ちます」

「倍以上の兵で攻め、しかも銭と飯を撒きながら進むと聞いています」

妹の一人が不安そうに言った。

「そうなると、縁談の意味が変わるのですね」

「ええ」

姉は静かに頷いた。

「今なら、同盟に近い形で縁を結ぶことになります」

「けれど肝付が落ち、大隅が八郎様のものになった後では」

「島津本家が、力の上の相手へ姫を差し出すように見える」

「それは武家として、全然違います」

春姫は目を伏せた。

「分かっています」

別の妹が、少し申し訳なさそうに言う。

「春姉様が道を切り開いてくだされば、私たちも三郎様や五郎様に近づきやすくなります」

「それは、分かっています」

春姫は静かに答えた。

「でも、二郎様とのことは、それだけでは決めたくないのです」

姉妹たちは顔を見合わせた。

やがて、年長の姫がゆっくり頷いた。

「そうですね」

「お父様方は、早く婚姻した方がよいと当然おっしゃるでしょう」

「家のためには、それが正しい」

「でも、春姉様の気持ちも大事です」

「二郎様のお気持ちも」

春姫は少し驚いたように姉を見た。

「急かしたい気持ちはあります」

姉は苦笑した。

「私たちにも、家の事情がありますから」

「でも、春姉様がただ家のためだけに嫁ぐ姿を見たいわけではありません」

妹たちも頷いた。

「見守らせてください」

「そして、できることがあれば手伝わせてください」

春姫は胸の奥が少し温かくなるのを感じた。

外では、遠くに軍の支度の音がする。

国が動いている。

家が動いている。

その中で、自分の心もまた、急かされるように動いている。

春姫はそっと袖を握った。

「私は、今日、楽しかったのです」

姉妹たちは黙って聞いた。

「だから、その気持ちを大事にして、答えを出したいと思います」

その言葉に、姉妹たちは静かに頷いた。

春の夜は、まだ少し冷たかった。

けれど春姫の胸には、確かに小さな芽が出始めていた。

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