1534年4月2週目。八郎・島津連合軍。肝付領内に侵入しながら飯をばらまく。肝付側3500~4000集めたかったが2500程。国人衆は様子見。肝付は籠城を決める。
四月二週目に入る頃、八郎軍と島津本家、島津分家の連合軍は、肝付との領境へ到達した。
兵はおよそ七千。
だが、その進み方は速すぎず、遅すぎず。
先に物見を出し、村の様子を確かめ、兵の動きを探りながら、じわじわと奥へ入っていく。
「飯を炊くぞ」
八郎の一声で、道沿いの広場に鍋が据えられた。
米が炊かれ、味噌汁が煮え、漬物の樽が開けられる。
兵たちは村人に声をかけて回った。
「飯を出すから、よかったら食うていかへんか」
「握り飯もあるぞ」
「味噌汁もある」
「子どもも連れてこい」
最初、村人たちは戸の陰から恐る恐る見ているだけだった。
島津の軍が来た。
肝付と戦をする軍が来た。
そう思えば、普通は逃げる。
だが、その軍は村から米を奪わなかった。
むしろ銭を払って買った。
飯を炊き、握り飯を配り、子どもにまで漬物を持たせた。
「銭は足りてますか」
帳面役が、村の年寄りに静かに尋ねる。
「借金はどうです」
「商人から借りているもの、年貢の未納、種籾の付け、全部教えてください」
年寄りは最初、首をすくめていた。
「いや、その……税で取られて大変でございます」
「米も残りません」
「春の種も、商人から借りております」
八郎は小さな輿から降り、年寄りの前にちょこんと座った。
「そうですか」
「大変でしたね」
「とりあえず、飯と味噌汁を飲んでください」
「握り飯も持って帰っていいです」
「漬物も持ちますか」
年寄りは目を丸くした。
「よろしいので」
「はい」
「腹が減っていたら、帳面の話もできませんから」
その一言で、周囲の村人たちの顔が少し緩んだ。
一人が膝をついた。
「ありがとうございます」
「ありがとうございます」
「島津様が、そんなことをしてくださるとは」
兵の一人が笑った。
「いや、うちは肥後の八郎領や」
「八郎様の軍や」
「今回は島津本家様、島津分家様との連合軍で来とる」
「兵は七千やぞ」
その言葉は、あっという間に村の中へ広がった。
「七千」
「島津本家と分家が一緒に」
「肥後の八郎様」
「飯をくれる軍」
噂は、兵より早く走る。
別の村でも、また飯が炊かれた。
また帳面が開かれた。
また借金の額が書き付けられた。
八郎は進軍しながら、村々の腹と心を先に押さえていった。
一方、肝付側では焦りが広がっていた。
「兵の集まりが悪い」
城の中で、家臣が低い声で報告した。
「三千、できれば四千は集めたかったところですが、今のところ二千五百ほどでございます」
肝付の当主は苦い顔をした。
「周りの国人衆はどうした」
「声はかけました」
「ですが、どこも中立を保つとのこと」
「中立だと?」
「はい」
「正確には、様子見でございます」
別の家臣が続ける。
「どこも情報を集めております」
「八郎軍がどう動くか」
「島津本家と分家がどこまで本気か」
「肝付が耐えられるか」
「それを見てから動くつもりかと」
肝付の当主は拳を握った。
「どいつもこいつも当てにならん」
「しかし、二千五百対七千では、籠城しかございません」
誰も反論できなかった。
城門は閉じられた。
兵糧が数えられ、矢束が運ばれる。
だが城の外では、七千の軍が静かに包囲を始めていた。
八郎は城を見上げながら言った。
「無理に攻めません」
「七と三に分けます」
「昼は七」
「夜は三」
「昼は圧をかける」
「夜は音と火で眠らせない」
「ただし、こちらの兵は交代でしっかり寝かせてください」
島津本家の侍が眉をひそめる。
「また、いやらしい攻め方ですな」
実久様が笑った。
「阿蘇で見たやつじゃ」
「城の中はたまらんぞ」
八郎は真顔で頷く。
「たまらなくするためにやります」
「ただし、死なせるためではありません」
「逃げたい者が逃げたくなるように」
「降りたい者が降りたくなるように」
「そのための包囲です」
昼には大軍が城へ近づく。
矢が飛んでくる。
盾で受ける。
少し近づいては、すっと引く。
城兵は緊張して矢を放つ。
だが八郎軍は深追いしない。
夜になると、松明が揺れる。
太鼓が鳴る。
鬨の声が遠く近くで上がる。
だが攻め込まない。
城の中の者たちは、眠れない。
外では飯の匂いがする。
味噌汁の湯気が上がる。
鍋が鳴る。
兵たちが交代で飯を食い、寝て、また立つ。
その間にも、村人たちは八郎の陣へ挨拶に来た。
「うちの村の借金も見ていただけますか」
「商人の付けがございます」
「年貢の前借りが」
「娘を奉公に出す話が出ておりまして」
帳面役たちは次々に書き付ける。
八郎は一人ずつ話を聞いた。
「すぐ全部を消すとは言いません」
「ですが、帳面に乗せます」
「飯は食べてください」
「子どもには握り飯を持たせてください」
「逃げる必要はありません」
村人たちは頭を下げた。
「ありがとうございます」
「八郎様、ありがとうございます」
その声は、城の上にも届いていた。
城兵の一人が、櫓の上から外を見下ろす。
自分たちの村の者が、敵陣で飯を食っている。
子どもが握り飯を持って帰っている。
年寄りが帳面役に頭を下げている。
「……なんや、これは」
隣の兵が小さく呟いた。
「戦やないみたいや」
だが、それこそが八郎の戦だった。
槍で城門を破る前に、城の外から心を削る。
飢えた者に飯を渡し、借金に潰れた者へ帳面を開き、囲まれた城へ味噌汁の匂いを届ける。
忠義様はその様子を見て、低く呟いた。
「本当に、いやらしい」
実久様が笑う。
「じゃろう」
「だが、死ぬ者は少ない」
八郎は湯気の立つ椀を持ち、小さく頷いた。
「はい」
「今日も飯を炊きます」
「それが一番、効きますから」
肝付の城を囲む七千の軍は、槍より先に鍋を並べた。
そしてその鍋の湯気が、城の中の戦意を、少しずつ削っていった。




