3月4週目。島津本家から手紙が届く。確認事項を話しながら肝付家を攻める話をする。姫様には急がせろと話す。
島津本家からの文が八郎のもとへ届いたのは、帳面合わせの翌日であった。
使者が文を差し出すと、八郎は両手で受け取り、丁寧に封を切った。
読み進めるうちに、八郎の目が少し細くなる。
やがて、ふっと笑った。
「さすが島津本家様ですね」
「……いかがでございますか」
使者が尋ねる。
八郎は文を畳み、机の上へ置いた。
「よう分かっておられます」
「実久様の領地を見て、市が動いていること、農民の借金が消えていることを見抜かれた」
「そして、本家にも一部、市を入れたいと」
「三万五千石分から始めたい、と」
「はい」
「とてもよろしいと思います」
使者の顔が少し明るくなる。
だが、八郎はすぐに筆を取らなかった。
「ただし、確認したいことがいくつかございます」
「確認、でございますか」
「はい。項目として挙げておきます」
八郎は指を一本立てた。
「一つ目」
「島津本家様は、島津分家、つまり実久様の軍勢と、連合軍を組めますか」
使者が目を瞬かせる。
「連合軍……」
「ここは大事です」
八郎は静かに続けた。
「今後、八郎軍が何か困った時、あるいはこちらから攻める時、実久様に武をお願いすることは、
もう既定路線です」
「では、そこに島津本家様も加われるのか」
「昔はいがみ合っていたとしても、八郎軍の名のもとで並んでいただけるのか」
「そこを確認したいのです」
使者は真剣な顔で頷いた。
八郎は二本目の指を立てる。
「二つ目」
「農作業が始まった後、島津本家様は正規の侍衆を何人、援軍として出せますか」
「農民兵ではありません」
「田畑を止めずに動かせる兵です」
「もちろん、費用は八郎領が持ちます」
「兵糧、道中の飯、負傷者の手当、必要なものは相談いたします」
三本目。
「三つ目」
「切り取った後の土地の管理です」
「市を入れるのは、こちらがやればよいのか」
「借金整理も、こちらで進めてよいのか」
「ここを確認したい」
使者は少し眉を寄せた。
「切り取った後、とは……北肥後の国人衆のことでございましょうか」
「違います」
八郎は即答した。
「肝付です」
その瞬間、使者の顔色が変わった。
「……肝付?」
「はい」
「今、龍造寺を攻めるのは本当はやりたくありません」
「北肥後を取れば、大友様、大内様、龍造寺、すべてがこちらを見ます」
「向こうから頭を下げてきたなら受けます」
「でも、こちらから火をつけるには早い」
「では北肥後は?」
「じっくりです」
八郎は帳面を指で叩いた。
「借金を返し、市を広げ、生活の差を見せていく」
「それだけで十分揺れます」
「だから私は今、肉あんの鍋を調整したり、親子丼を広めたり、わけの分からないことを
しているのです」
「わけの分からないこと……」
「はい」
「一店舗の利益は小さくても、四百の市で積み上げれば大きくなります」
「その利益で借金を消す」
「北肥後には、それを見せ続ければいい」
八郎は地図を広げた。
「八郎領の兵は、北肥後に半分残します」
「大友、龍造寺、大内を見るためです」
「だから動かせるのは三千五百から四千」
「その中でも、すでに侍の借金を返し終えているところを中心に動かします」
「借金が消えた侍は、顔が変わります」
「忠義も変わります」
使者は黙って聞いていた。
「そこへ実久様から千五百」
「島津本家様から千五百、できれば二千」
「合わせて六千五百から七千五百」
「これで肝付へ向かいます」
「肝付を……島津連合軍で」
「そうです」
八郎は頷く。
「島津本家様と分家様で三千から三千五百」
「八郎軍が三千五百から四千」
「名目は島津連合軍」
「補給と調略と帳面は八郎が持ちます」
「島津の武は、大変尊重しております」
「だから表に立っていただく」
使者は息を飲んだ。
「しかし、肝付を取れば飛び地になります」
「なります」
「だから管理はこちらで引き受けます」
「島津本家様には、取り分として現金をお渡しする形がよろしいかと考えております」
「土地をただ増やしても、借金まみれなら苦しいだけです」
「それより、取った土地は八郎商会が市を入れ、借金を整理し、芋を植え、飯を回します」
「島津本家様は武の面子を立て、現金と縁を得る」
「その形が一番きれいです」
使者は言葉を失った。
八郎はもう筆を取っていた。
「この件は早い方がよろしいです」
「実久様の許可も要ります」
「千代姉様にも動いていただきたい」
「ですから、この文は早馬で送ってください」
「船でのんびり運んでいる場合ではありません」
「早馬、でございますか」
「はい」
「島津分家の領分を通りながら、どんどん走らせてください」
「これは大事な話です」
八郎はさらさらと返書を書き進める。
その横顔は四歳児とは思えぬほど落ち着いていた。
「肝付は、龍造寺より楽に取れる可能性があります」
「もちろん全部取れるとは限りません」
「でも、南を固める意味は大きい」
「肝付、伊東方面を押さえれば、大友領とも別の形で接します」
「北肥後を急がなくても、九州の形を変えられます」
使者は深く頭を下げた。
「承知いたしました」
八郎は封をし、文を差し出した。
「よろしくお願いいたします」
「それと」
使者が顔を上げる。
八郎はにこりと笑った。
「本家のお姫様方にも、お伝えください」
「縁談の件は、急ぎますが、急がせすぎません」
「ただし、世の中の方は待ってくれません」
「だから、会いたい方には早めに会ってください、と」
使者は一礼し、文を懐に収めた。
その足取りは、来た時よりもずっと速かった。
島津本家から来た一通の文は、八郎の手で肝付攻めという新しい物語へ変わり、
今まさに早馬に乗って走り出そうとしていた。




