表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
355/675

1534年3月4週目。島津本家が帰宅後文を2通書く。八郎家との縁談の約束。八郎の戦への正規兵の援軍約束。

島津本家の一行が居城へ戻ると、忠良は休む間もなく家臣を呼びつけた。

「すぐに文を書け」

「はっ」

「一通は姫たちへ」

「もう一通は、八郎殿へ渡すようにせよ」

家臣たちは慌てて硯を整える。

忠良は座に腰を下ろすと、しばらく黙ってから口を開いた。

「実久殿の領地を見てきた」

「市が動いておった」

「ただ動いているだけではない」

「農民の借金まで消えておる」

「それを、この目で見た」

筆を持つ家臣の手が、少し止まる。

「その上で、八郎殿へ頼む」

「島津本家にも、市を導入していただきたい」

「ただし、最初から全領ではない」

「一部じゃ」

忠良が尋ねる。

「どの程度をお考えで?」

「三万五千石分」

隆久は即答した。

「今、うちが持つ十四万石ほどのうち、四分の一」

「まずそこで様子を見る」

「市を入れ、芋を植え、商家衆と農民の借金がどう減るかを見る」

「そこから増やす」

家臣が顔を上げる。

「その見返りは、いかがいたしますか」

「縁談じゃ」

広間の空気が変わった。

「姫を、八郎殿の兄弟衆のいずれかへ嫁がせる方向で動く」

「ただし」

隆久は指を立てた。

「八郎殿は言うておった」

「両家の上の者だけで決めるのは良くない、と」

「本人たちが話し、納得するのがよい、と」

「それは分かる」

「わしも、あの場で聞いた」

「だが、これは外交上の話でもある」

「当主としての願いじゃ」

貴久は静かに頷いた。

「縁を結ぶ代わりに、市と芋の作付けをお願いする」

「それだけでは空手形になる」

忠良はさらに続けた。

「だから援軍も約束する」

「農繁期ゆえ、農民兵は出せぬ」

「だが、正規の侍衆、精鋭は出す」

「八郎殿が龍造寺、あるいは大友、大内と事を構えるなら、本家は援軍を出す」

「その文言を入れよ」

家臣たちは互いに顔を見合わせた。

「そこまでなさいますか」

「そこまでやる」

忠良は迷いなく言った。

「市を入れてもらうには理由が要る」

「縁談が一番きれいじゃ」

「だが、二郎、三郎、五郎の誰とどうなるかは、まだ分からん」

「文を送ったからといって、すぐ決まるものではない」

「ならば、こちらからも確かな札を切る」

「それが援軍じゃ」

貴久が低く言う。

「目先は龍造寺でございますか」

「そう見ておる」

「大友は、すぐ戦にはしたくなかろう」

「大内も尼子を見ている」

「だが、北肥後が動けば、龍造寺は黙っておらん」

「その時に本家がどう立つかを、今から示しておく」

忠良は今度は姫たちへの文について命じた。

「姫たちには、実久殿の領地を見たことを伝えよ」

「本当に暮らしが変わっておった、と」

「市があり、湯浴みがあり、農民が笑っておった、と」

「その上で、縁をつなげそうなら動け、と書け」

「無理に嫁げとは言わぬ」

「だが、今の縁は八郎殿が用意してくれたものだ」

「逃せば、次は大友から上から降ってくる縁かもしれん」

家臣が小さく呟いた。

「しかし、八郎殿を見ると……他の兄弟衆は霞みますな」

忠良は苦笑した。

「霞む」

「それは間違いない」

「八郎殿が異常すぎる」

「二歳半から四歳までで、国を動かす者など聞いたことがない」

「阿蘇を落とし、相良を降らせ、借金を消し、市を動かす」

「しかも、それを笑って話す」

「比べられる兄弟が気の毒なくらいじゃ」

「では、兄弟衆は物足りませぬか」

「物足りぬ」

忠良はあっさり言った。

「だが、ぼんくらではない」

「一郎は農を見る」

「三郎は料理を見る」

「五郎は人当たりがよく、人気がある」

「六郎、七郎の若いわっぱどもも、八郎殿の兄という立場で腐っておらん」

「わしなら、あの立場ならぐれる」

「一つ二つ下の弟が、あれほどの化け物ならな」

その言葉に、場に苦笑が広がる。

「もちろん、規格外すぎて、ぐれるにぐれられんというのもあるだろう」

「だが、それを差し引いても、家が壊れていない」

「兄弟が八郎殿を妬み潰さず、それぞれの役割を持っている」

「そこは大したものじゃ」

忠義が問う。

「では、凡庸であることも悪くない、と?」

「そうじゃ」

隆久は頷いた。

「全員が八郎殿のようなら、あの家はとっくに割れておる」

「凡庸だからこそ、歯車になれる」

「凡庸だからこそ、家の仲が保てる」

「五郎など、人気があると言われても偉そうにせん」

「おそらく分かっておるのだ」

「自分の人気は、八郎殿の船の上にあるものだとな」

「無自覚八割、自覚二割というところか」

家臣たちが小さく笑う。

「ただし」

忠良の声が少し厳しくなった。

「積極性は足りん」

「八郎殿がせっかく機会を作っておるのに、兄たちは踏み込まん」

「本当に八郎殿のためを思うなら、もっと自ら動かねばならん」

「そこは凡庸以下じゃ」

「ですが、細かな仕事はできる」

「そうじゃ」

「だから、夫としては悪くない」

「国を動かす男ではなくとも、家を支える男にはなれる」

忠良は筆を走らせる家臣を見た。

「姫たちにも、そこを書け」

「八郎殿に目を奪われすぎるな」

「兄弟衆を、八郎殿と比べて見るな」

「その者が何を担っているかを見よ」

「そして、縁を結べると思うなら動け」

「本家のためでもあり、自分のためでもある」

筆の音だけが広間に響く。

やがて忠良は、最後にぽつりと言った。

「凡庸でよい」

「ただし、八郎殿の物語の中で働ける凡庸でなければならん」

「それができるなら、島津本家もまだ走れる」

そうして二通の文は、夜のうちに船便で送り出された。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ