1534年3月3週目。島津本家の大殿に島津分家の領地経営の面倒を見ている話と庄屋衆の借金が鬼ほど減っている話をする。分家が大殿に羨ましがられる。
「まあ、大殿が気になるのも分かるんですよ。」
八郎が湯飲みを両手で持ちながら、にこにこと笑う。
「今ですね、正直に申し上げますと――実久様の領地は、ほとんど私が帳面を見ております。」
「……ほう?」
大殿の眉がぴくりと動く。
「まあ、あまり大きな声では言えませんけど。」
八郎は周囲を見回し、小さな声になった。
「島津本家も、多分似たようなものだと思います。」
「借金が、かなりあります。」
「……。」
「……。」
姫君たちが顔を見合わせる。
「それを今、鬼のように減らしている最中でございます。」
「なんじゃと!」
大殿が思わず膝を叩いた。
「実久のところ、そんなに苦しいんか!」
「ええ。」
「ただ、それを悲観しているわけではありません。」
「順番に消しております。」
「芋も植えますし。」
「市も広げますし。」
「一郎兄様と千代姉様がご結婚された時、市を広げる費用や芋の苗代は、
こちらで持たせていただきました。」
「そのおかげで仕入れが大きく回りまして。」
「その利益だけで――」
八郎はさらりと言う。
「庄屋衆と農民の借金、一千万文ほどが全部なくなりました。」
「…………は?」
広間が静まり返る。
「全部?」
「はい。」
「全部です。」
「なんでそんなことになるんじゃ!」
大殿が思わず立ち上がる。
「いや、仕入れを増やして、利益を出して、その利益を返済に回しただけです。」
「『だけ』で済むか!」
家臣たちまで笑い始めた。
八郎は首をかしげる。
「あと湯浴み場ですね。」
「今、四百から五百くらいあります。」
「市の発注で冬の仕事を作りました。」
「皆さん喜んでくださいました。」
「それと。」
「農家への利息が五割なんてところも結構ありまして。」
「私は正直、そこまで苦しいとは知りませんでした。」
「実久様も。」
『知らなかった。』
『救ってくれてありがとう。』
「そう言ってくださいました。」
大殿は腕を組み、深くうなずく。
「なるほどな……。」
「つまり。」
「領地経営は八郎。」
「武は島津。」
「そんな形で役割分担しとるわけか。」
「今は、そんな感じですね。」
「うまく回っております。」
「いや、それは困る!」
大殿が急に真顔になった。
「わしは実久には負けたくない!」
その一言で広間が大爆笑になる。
「えぇ……。」
八郎まで苦笑いした。
「そんな張り合わなくても。」
「張り合う!」
「絶対じゃ!」
「その調子なら侍の借金も返す算段があるんやろ!」
「あります。」
八郎は即答した。
「侍の借金も順番です。」
「ただ。」
「城の借金は、まだ時間が掛かります。」
「そりゃそうじゃ。」
「私、借金まみれの領地ばかり取ってますから。」
「取るたび借金が増えます。」
「でも。」
「農民さんの借金は、市の仕入れだけでどんどん減らせます。」
「その利益で湯浴み場を建てたり。」
「仕事を作ったり。」
「また利益が増えたり。」
「そんな循環です。」
「そういや。」
大殿が思い出したように言う。
「市の湯浴み場、良かったぞ。」
「ありがとうございます。」
「高いんやろ?」
「高いです。」
「一つ四万文くらいします。」
「男湯二万。」
「女湯二万。」
「結構なお値段です。」
「それを十文で皆を使わせておるんか。」
「はい。」
「最初は赤字です。」
「でも一年ほどで回収できます。」
「それまでは他の利益で支えます。」
「つけ払いもできますし。」
「最近は、そのつけも大量に消しております。」
「……。」
大殿は天井を見上げた。
「羨ましい。」
「その暮らしを境目の国人衆が見たら。」
「揺れるやろうな。」
八郎もうなずく。
「実際、揺れております。」
「境目の人ほど比べます。」
「向こうは借金。」
「こちらは仕事。」
「向こうは高利。」
「こちらは返済。」
「毎日見えますから。」
「それは効くな……。」
大殿が苦笑した。
「じゃあこうしよう。」
「分家みたいに縁組を進めてくれたら。」
「わしにも、なんか褒美くれ。」
「祝儀だけやなくてな。」
姫君たちが吹き出す。
「違うんですよ。」
八郎は笑いながら首を振った。
「私と大殿だけで結婚相手を決めたら。」
「その日、初めて顔を見て。」
『この人と一緒のお布団です。』
「なんて言われたら。」
「嫌かもしれないじゃないですか。」
一瞬の静寂。
そして。
「ぶはっ!」
「がっはっはっは!」
大殿が腹を抱えて笑い出した。
姫君たちも顔を真っ赤にして笑う。
「お前!」
「そこまで言うか!」
「だって本当じゃないですか。」
八郎は真面目な顔で続ける。
「せっかくなら。」
「話して。」
「笑って。」
「団子でも食べて。」
「この人となら一緒にいてもええかな。」
「そう思ってからの方が幸せです。」
「だから私は。」
「お茶会ばかり開いてるんです。」
姫君の一人がくすりと笑う。
「八郎様って、本当に四歳なんですか?」
「時々、自分でも分からなくなります。」
そう答える八郎に、広間はまた大きな笑い声に包まれた。
大殿は涙を拭いながら言う。
「分かった、分かった。」
「わしも口は出す。」
「……でも最後に決めるのは、お前たち若い者でええ。」
「その方が、あとで恨まれんで済みそうじゃ。」
「それが一番でございます。」
八郎は深く頭を下げる。
その姿を見た姫君たちは、笑いながらも「この四歳児が皆の縁を本気で考えてくれている」
ということを改めて感じ、自然と温かな空気が広間を包むのであった。




