1534年3月2週目。相良家の降伏が北肥後の国人衆達の心を揺らす。周辺に大名を抱えた緩衝地帯としての苦悩。
相良降伏。
その知らせは、想像以上の速さで肥後中へ広がった。
「相良が降ったらしい」
「まことか」
「戦ではないらしいぞ」
「自分から八郎殿へ頭を下げたそうだ」
各地の国人衆は、その知らせに驚いた。
阿蘇が落ちた時とは違う。
阿蘇は戦だった。
一万の兵で囲まれ、最後は降った。
しかし相良は違う。
まだ兵はいた。
城もあった。
それでも降った。
その意味は大きかった。
北肥後。
国人衆たちが集まり、評定を開いていた。
「これで南肥後はほぼ八郎領か」
「そう見るべきだろう」
地図を見る。
南。
東。
中央。
八郎の影響が広がっている。
「最初は薩摩の小さな国人だったはずだぞ」
一人が苦笑した。
「それが今や肥後の大半を握っている」
「しかも四歳児だ」
「四歳児と言って笑える状況ではない」
その言葉に全員が黙った。
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問題は単純ではなかった。
「では我らも降るか?」
誰かが言う。
しかし。
すぐ答えは出ない。
「簡単に言うな」
「ここは北肥後だ」
「南とは違う」
その通りだった。
北には別の勢力がある。
龍造寺。
少弐。
さらに先には大内、大友。
力のぶつかる場所。
「八郎殿に降れば」
「龍造寺から見ればどう映る?」
「八郎勢力が目の前まで来ることになる」
「つまり我らの土地が戦場になる可能性がある」
一方で。
八郎が簡単に攻めてこない理由も分かっていた。
「だからこそ」
「八郎殿も我らには強く出てこない」
「緩衝地帯だからな」
誰かが頷く。
「阿蘇や相良とは違う」
「あちらは後ろを固める意味があった」
「しかし我々を取れば」
「その瞬間」
「龍造寺や大友と直接向き合う」
「八郎殿もそれは避けたいはず」
だから。
今すぐ滅ぼされる危険は低い。
だが。
別の家臣が口を開く。
「しかし……」
「領民はどう見る?」
その一言で空気が変わった。
「何が言いたい」
「分かっているでしょう」
「八郎領です」
「市」
「湯浴み」
「仕事」
「借財整理」
「商人との利息交渉」
「農民は全部知っています」
実際。
噂は流れていた。
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八郎領では冬でも仕事がある。
湯あみ作りで銭が入る。
商人が物を買う。
市では飯が食える。
借金も減る。
一方。
他領では。
春の準備金すら苦しい。
「民が比べ始めています」
「……」
「これが一番怖い」
戦なら防げる。
兵なら集められる。
しかし。
民の心は止められない。
「八郎殿は恐ろしいな」
一人が呟く。
「刀を抜く前に勝つ」
「阿蘇でもそうだった」
「飯を炊いて」
「兵の心を折った」
「我ら相手にも同じだ」
「攻めてこない」
「ただ豊かになる」
「そしてこちらが勝手に苦しくなる」
誰も笑えなかった。
「では龍造寺につくか?」
その案も出た。
しかし。
「龍造寺は守ってくれるか?」
「……」
「戦には強い」
「だが」
「借金を消してくれるか?」
答えはない。
「八郎領なら」
「少なくとも民は豊かになる」
「それは間違いない」
だが決断できない。
武士には面子がある。
先祖から受け継いだ土地がある。
簡単に頭は下げられない。
「分かっている」
一人の国人が言った。
「遅かれ早かれ」
「どちらかを選ぶことになる」
「八郎か」
「龍造寺か」
「あるいは大友か」
「中立のままではいられん」
全員が理解していた。
それでも。
今日、答えは出なかった。
「もう少し様子を見る」
「相良がどう扱われるかを見る」
「阿蘇の復興を見る」
「それからでも遅くない」
そう結論づけた。
しかし誰もが分かっていた。
これは先送りだと。
その頃。
八郎本人は。
北肥後の国人衆が悩んでいることなど知りながら。
無理に動かなかった。
「攻めませんよ」
「来たい人が来ればいいです」
「その前に阿蘇と相良を良くしないと」
「仕事山ほどありますから」
そう言いながら帳面を見る。
肥後の国人衆はまだ知らない。
戦で迫られるより。
豊かさで迫られる方が。
ずっと逃げ場がないということを。




