1534年3月2週目。相良がついに降伏し、八郎領の傘下に入る。農民が作付けの借金すらできない。相良家も商人から貸してもらえずに詰む。
相良領。
春が近づいていた。
本来ならば農村では活気が出る時期だった。
田を整え。
苗を用意し。
一年の始まりを迎える。
しかし。
今年は違った。
「……銭がない」
村々から同じ声が上がっていた。
農民たちは商人の元へ向かった。
「頼む」
「今年の種や道具代だけでも貸してくれ」
「秋には返す」
しかし商人は首を振る。
「無理じゃ」
「もう貸せん」
「なぜじゃ」
「今まで貸してくれたではないか」
商人は苦い顔をする。
「今まではな」
「だが今は違う」
「隣を見ろ」
その言葉で全員が黙る。
八郎領。
そこでは庄屋の借財が整理され。
市ができ。
仕事が生まれ。
銭が回っている。
「正直言えば」
「わしらも八郎商会との付き合いを考えたい」
「返せる見込みのない銭をこれ以上貸せん」
それが現実だった。
・・・・・・・・・・・・・・・
困った農民たちは館へ向かった。
「お殿様」
「このままでは田植えができません」
「銭も」
「道具も」
「足りませぬ」
相良の当主は黙って聞いていた。
しかし。
出せる答えはなかった。
「……こちらにも銭はない」
家臣たちも下を向く。
「商人も貸してくれません」
「蔵も余裕がありません」
「このままでは……」
言葉の続きを言う必要はなかった。
さらに悪い知らせは続く。
阿蘇陥落。
しかも。
一万の兵に攻められ。
ほぼ抵抗できず落ちた。
「阿蘇まで落ちたか」
当主は地図を見る。
周囲は八郎領。
南も。
西も。
そして北東まで。
「完全に囲まれたな」
誰も否定できない。
「突破するなら」
「八郎領を抜くしかありません」
「勝てると思うか?」
沈黙。
誰も答えない。
一人の老臣が口を開いた。
「殿」
「もはや二つしかありません」
「戦うか」
「降るか」
当主は目を閉じる。
「戦えば?」
「負けます」
即答だった。
「兵の数ではありません」
「民の心が違います」
「阿蘇ですら」
「兵が飯を食べに逃げたと聞きます」
苦笑するしかなかった。
「恐ろしい戦じゃ」
「刀ではなく飯で崩すとは」
しばらくして。
当主は小さく呟いた。
「……これまでか」
家臣たちは顔を上げる。
「わしが隠居すれば」
「相良の家は残るか」
「殿」
「領主ではなくなってもよい」
「家だけでも残れば」
その言葉に老臣が頭を下げた。
「八郎様なら」
「首を取るようなことはされませぬ」
「阿蘇でもそうでした」
「相手を殺さず」
「逃げる者は逃がし」
「仕える者は受け入れた」
「ただ」
「今まで通り、この地を治めることは難しいでしょう」
「それは分かっている」
「借財があるからな」
「はい」
「帳面を出せば」
「八郎様なら整理されるでしょう」
「ですが」
「元の領主をそのまま置けば」
「改革が進みません」
当主は頷いた。
「ならば」
「別の地で暮らせばいい」
さらに家臣が言った。
「殿」
「急いだ方がよろしいかと」
「なぜじゃ」
「農民です」
「田植え前です」
「今なら間に合います」
「しかし」
「ここで農民が追い詰められ」
「一揆でも起これば」
「八郎様が民を救う名目になります」
「その形が一番まずい」
その言葉は重かった。
「民に見捨てられて終わるか」
「自分から頭を下げるか」
「……か」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
その日のうちに文が書かれた。
宛先は八郎。
内容は短い。
相良は降る。
領地を預ける。
民を頼む。
そういう文だった。
数日後。
返事が届く。
八郎からだった。
そこにはこう書かれていた。
『分かりました』
『降っていただけるのであれば、断罪するつもりはありません』
『ただ、帳面は全て見せてください』
『借財の額はおおよそ想像しております』
『その整理のため、今まで通りこの地を治めるのは難しいと思います』
『ですが』
『相良の家を潰すつもりはありません』
『八郎領内であれば、住む場所も役目も用意します』
『お任せください』
読み終えた当主は。
深く息を吐いた。
怒りではない。
悔しさでもない。
ただ。
長く背負っていたものが落ちたような感覚だった。
「……終わったか」
老臣が言う。
「殿」
「違います」
「家は残ります」
当主は外を見る。
農民たちがいる。
守るべき土地がある。
「そうだな」
「意地で戦って」
「田を荒らし」
「民を苦しめるより」
「今で良かったのかもしれん」
春の前。
田に水が入る前。
相良は刀ではなく。
帳面と民の暮らしによって。
八郎の元へ降ることになった。




