1534年3月2週目。帳面合わせの日。島津分家からの寄付を頂く。ツケの返済と大友大内へ50万文づつ送付して交易を提案する。
三月二週目。
恒例となった帳面合わせの日。
広間には八郎商会の者、家臣、商人、各地の担当者が集まっていた。
山のような帳面。
普通なら一日では終わらない量。
しかし、最近では皆慣れてきていた。
八郎は座るなり言う。
「では」
「細かい数字は見といてください」
家臣たちが苦笑する。
「またですか」
「はい」
「細かいところを見る人」
「全体を見る人」
「役割分担です」
「私は全体を見る係です」
「四歳児が言うことじゃないんですが」
そんな軽口から始まった。
帳面役が報告する。
「まず島津分家の庄屋衆より」
「先日の借財整理のお礼として」
「九十万文相当の寄進をいただいております」
八郎は頷いた。
「ありがたいですね」
「ちゃんと礼状を出しておいてください」
「はい」
「では」
「それを含めまして」
帳面をめくる。
「湯浴み関連のツケ」
「百十二万文」
「消しておきましょう」
「……」
一瞬、場が止まった。
「八郎様」
「はい?」
「また結構な額を軽く消しますね」
八郎は不思議そうな顔をする。
「いやいや」
「まだまだ残ってますよ?」
周りはため息をつく。
「普通は百十二万文を消すだけで大騒ぎです」
「そうですか?」
「そうです」
八郎は帳面を見る。
「でも順番です」
「市を作る」
「仕事を作る」
「銭を回す」
「借金を減らす」
「暮らしを良くする」
「やることは変わりません」
家臣が笑う。
「では他に大きな変化は?」
八郎は考える。
「うーん」
「特段ないですね」
「ないんですか?」
「はい」
「変わりなしです」
「……」
「いやいや」
「変わりないというより」
「粛々と進んでいるだけです」
そこで。
八郎が手を打った。
「あ」
「ああ」
「そうそう」
嫌な予感。
周囲が身構える。
「何です?」
「大内と大友に」
「五十万文ずつ送りました」
静寂。
「……」
「八郎様」
「はい」
「それ」
「かなり大きな話ですよ」
「そうですか?」
「そうです」
八郎は首を傾げる。
「なんか色々やってたら忘れてました」
「忘れないでください!」
家臣たちが一斉に突っ込む。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「いや」
「ちゃんと考えてますよ」
八郎は説明する。
「大内は今、こちらをすぐ敵とは見ないでしょう」
「向こうには向こうの事情があります」
「大勢力ですから」
「五十万文は挨拶です」
「交易しましょう」
「敵意はありません」
「という意味です」
一同は頷く。
「では大友は?」
「そちらが大事です」
八郎の顔が少し真面目になる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「大友は」
「五千の兵を動かしました」
「阿蘇救援で」
「でも」
「私は知らないふりをしています」
「……」
「知らないふり?」
「はい」
「あなたが兵を出しましたね」
「なんて言っても意味ないです」
「だから」
『初めまして』
『交易しませんか』
「という形で送ったんです」
家臣が唸る。
「八郎様は外交が上手いですね」
すると。
八郎は笑顔になる。
「もっと褒めてくれていいんですよ」
「そこで台無しです」
「でも」
八郎は続ける。
「大友は考えるでしょう」
「戦うか」
「繋がるか」
「不可侵か」
「婚姻か」
その言葉に周囲が反応する。
「婚姻ですか」
「ありえます」
「大名同士ですから」
「ただ」
「向こうから攻めてこない限り」
「こちらから仕掛ける気はありません」
「今は領地を整える時です」
帳面役が聞く。
「では今後は?」
八郎は地図を見る。
「四月から農作業が始まります」
「だから」
「この一ヶ月」
「戦にならなければ大きいです」
「田畑」
「市」
「湯浴み」
「岩見」
「工房」
「全部進みます」
そして肥後の地図を指す。
「問題は二つ」
「相良」
「残った国人衆」
「相良は」
「阿蘇が落ちたことで孤立しています」
「こちらから攻めなくても」
「考えるでしょう」
「国人衆も同じです」
「八郎領に入れば」
「借財整理」
「仕事」
「市」
「暮らし」
「全部変わる」
「でも」
「古い家の意地もあります」
「だから」
「すぐ来るかは分かりません」
家臣が頷く。
「待つということですか」
「はい」
「無理に取らない」
「勝手に来てもらう」
一人が苦笑した。
「八郎様」
「最近、戦より帳面で国を取ってませんか」
八郎は首を傾げる。
「そうですか?」
「そうです」
「阿蘇ですら」
「飯を炊いて落としましたし」
八郎は少し考え。
笑った。
「まあ」
「人は腹が減ると困りますから」
「飯と仕事があるところに来る」
「それだけですよ」
周りは顔を見合わせる。
簡単に言う。
だが。
その「それだけ」で。
肥後の勢力図は大きく変わり始めていた。
三月二週目。
八郎領は戦の後とは思えないほど静かに。
しかし確実に。
次の段階へ進んでいた。




