1534年3月1週目。島津分家の館に知らせ。庄屋衆の借金が2000万文あったものがもう残り590万文。一部は完済。
薩摩、島津分家の館。
実久の元へ、八郎領から使いが訪れた。
「殿、八郎様のところより報告でございます」
「八郎殿か」
実久は苦笑する。
「今度は何じゃ」
「阿蘇を取ったと思えば、帰ってすぐ飯の話をしていた童じゃ」
「また妙なものでも作ったか?」
周囲の家臣も笑う。
だが、使者の表情は真面目だった。
「いえ」
「帳面の件でございます」
その一言で実久の顔が変わる。
「帳面?」
「はい」
「島津分家領内全域の農民、庄屋衆の借財についてです」
「……」
実久は少し身構えた。
あれは重い。
自分でも確認した。
農民。
商人。
小さな村々。
積み重なった借金。
およそ二千万文。
長年積もったものだった。
「それがどうした」
使者が答える。
「残り五百九十万文ほどになりました」
「……」
静寂。
「何?」
「残り五百九十万文でございます」
「待て」
実久が手を上げる。
「聞き間違いか?」
「いえ」
「二千万文近くあったぞ」
「はい」
「それが?」
「五百九十万文です」
「……」
実久は帳面を奪うように受け取った。
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数字を見る。
確かに減っている。
だが、理由がおかしい。
戦利品ではない。
金山でもない。
年貢増でもない。
「……仕入れ?」
「はい」
使者が答える。
「八郎商会が大量に物を買っています」
「米」
「野菜」
「木材」
「布」
「加工品」
「職人仕事」
「市の商品」
「それを継続して買い取り、銭を回しております」
実久は唖然とする。
「買っているだけか?」
「はい」
「ただ買っているだけで、これほど減るのか」
「ただではございません」
家臣が言う。
「八郎様の商会が入ったことで、商人との交渉も変わりました」
「年五割だった利息も」
「三割以下へ」
「場所によってはさらに」
実久は黙った。
「……知らなんだ」
ぽつりと言う。
「農民がそこまで苦しかったとは」
誰も答えない。
「わしは戦の金」
「城の金」
「侍の金ばかり見ておった」
「だが下では、こんなにも詰まっていたのか」
使者は頭を下げる。
「民は喜んでおります」
「湯あみも入り」
「冬でも仕事ができ」
「八郎商会が物を買ってくれる」
「銭が流れています」
実久は深く息を吐いた。
「恐ろしい童じゃ」
しかし、そこで家臣が確認する。
「ただし殿」
「城の借財はまだです」
「分かっておる」
「侍衆の借財も」
「一文も減っておりません」
「分かっておる!」
実久は苦笑した。
「そこまでされたら逆に怖いわ」
「だが……」
帳面を見る。
「領民が立ち直れば」
「次は侍」
「そして城」
「順番に消していくつもりなのだろうな」
「おそらく」
「……」
「四歳児が考えることか」
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さらに報告は続く。
「来週、庄屋衆より九十万文ほど寄進をする見込みです」
「寄進?」
「借財整理のお礼です」
「市一回分の仕入れ代程度を八郎商会へ」
「……」
実久は即答した。
「出せ」
「むしろ出さぬ方がおかしい」
「二千万が五百九十万になったのだぞ」
「その恩を九十万で返せるなら安い」
そして。
実久は急に立ち上がった。
「紙を持て」
「千代へ送る」
筆を走らせる。
『千代へ』
『急ぎ伝える』
『八郎殿の力、我らの想像以上である』
『我が領の農民、商家衆の借財二千万文』
『残り五百九十万文となった』
『城と侍の借財はまだ残っている』
『しかし民の暮らしが変わり始めている』
筆が止まる。
そして続ける。
『八郎家との縁をさらに深めよ』
『一郎殿とは仲良く』
『そして兄弟方との縁も作る機会を考えよ』
『これは父としてではなく』
『島津分家当主として頼む』
数刻後。
千代の元へ届く。
読み終わった千代は黙った。
「……父上」
隣の一郎が聞く。
「どうした?」
「八郎様のことです」
「またか」
一郎は笑う。
だが文を読むと表情が変わる。
「……二千万が五百九十万?」
「はい」
「いや」
「城でも攻め落としたのか?」
千代は首を振る。
「違います」
「買っただけです」
「物を」
「人の働きを」
「未来を」
一郎は苦笑した。
「弟ながら分からん」
千代はしばらく考えた。
そして顔を上げる。
「お茶会をしましょう」
「茶会?」
「はい」
「八郎様にも言われました」
「大きな宴を待っていたら駄目です、と」
「小さな縁を作れ、と」
一郎は笑う。
「あいつが言いそうだ」
「はい」
千代も笑う。
「きっと言います」
「やっと動きましたね、お姉様」
「って」
その頃。
何も知らない八郎は。
「肉あんの鍋、もう少し底を薄くできませんかね」
「鉄板ほどじゃなくていいんです」
「売れますよ、これ」
職人相手に真剣だった。
国を変える四歳児は。
今日も戦より、飯のことで頭がいっぱいだった。




