1534年2月3週目。帳面合わせがひと段落し、国人衆への勧告の結果を聞く。35000石分の国人衆が傘下に入る。
帳面合わせが一段落したところで、八郎はふと思い出したように顔を上げた。
「あ、そういえば」
周りが身構える。
八郎の「そういえば」は大抵、大きな話になる。
「肥後の国人衆への勧告の件です」
「ああ」
家臣の一人が頷く。
「阿蘇攻めの前に出した文ですね」
「はい。阿蘇を攻めます。ただ、こちらに来るなら命も家も守ります。ただし帳面は
全部見せてください、というやつです」
「最後だけ八郎様らしいですな」
誰かが笑う。
「大事ですよ」
八郎は真面目な顔をする。
「土地だけ増えても、借金まみれなら意味ないですから」
そして尋ねる。
「で、来たところはありますか?」
「ございます」
その返答に広間が静かになる。
「一つの家というより、複数の国人衆です」
「規模は?」
「合わせて……およそ三万五千石ほどかと」
「三万五千……」
周囲がざわめく。
戦をせずに三万五千石。
普通なら大事件である。
しかし八郎は少し考え込むだけだった。
「まあ……そのぐらいですよね」
「驚かないのですか?」
「いや、驚いてますよ」
八郎は苦笑する。
「でも阿蘇が落ちましたから」
地図を見る。
「国人衆からすれば、考えることは簡単です」
指で肥後をなぞる。
「阿蘇が止められなかった」
「はい」
「大友の援軍も間に合わなかった」
「はい」
「しかも降った者は殺されない」
「……」
「だったら、戦う理由が減ります」
皆が黙った。
「まあ、まずは帳面ですね」
「やはりそこですか」
「もちろんです」
八郎は笑う。
「大体想像できますけどね」
「どれほどでしょうか」
「三万五千石なら……」
少し計算する。
「城側の借金が二千万文前後」
「……」
「侍衆が一千万文」
「……」
「庄屋衆や農民関係で一千万文」
「またそんなに」
「ありますよ」
八郎は当然のように言う。
「戦続きですから」
そして続ける。
「でも大丈夫です」
「大丈夫、ですか?」
「はい」
「市を入れる」
「湯あみを入れる」
「仕事を作る」
「利息を下げる」
「証文を消していく」
八郎は指を折る。
「やることは変わりません」
その言葉に、昔からいる家臣たちは少し笑った。
最初の一万五千石の時から、八郎は同じことを言っていた。
規模だけが、おかしくなっている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「それと」
別の家臣が口を開いた。
「相良ですが」
「ああ」
八郎が顔を上げる。
「少し動きがあります」
「でしょうね」
「分かっておられましたか」
「今回、阿蘇を取りましたから」
八郎は地図を見る。
「相良は孤立しました」
薩摩側には八郎。
北側も八郎。
阿蘇も八郎。
逃げ道がない。
「でも半年停戦しています」
「はい」
「こちらから破る気はありません」
その言葉に周囲は安心する。
「ただ」
八郎は続ける。
「相良側がどう考えるかですね」
「向こうから降ると?」
「可能性は高いです」
「攻めずにですか?」
「はい」
八郎は頷いた。
「攻める必要がないです」
「……」
「待っていればいい」
その言葉に少し寒気を覚える者もいた。
四歳児が言うにはあまりに冷静だった。
「阿蘇が落ちた」
「肥後国人衆が降り始めた」
「借金は消える」
「領民は豊かになる」
「それを半年見せられるんです」
八郎は苦笑する。
「たぶん相良の家臣の方が言いますよ」
『もう頭を下げましょう』
と。
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「しかし……」
家臣の一人がため息をつく。
「怖いですね」
「何がです?」
「領地の増え方です」
皆が頷いた。
「普通、領地とは戦で奪うものです」
「はい」
「なのに八郎様の場合……」
言葉を探す。
「なんか……」
「なんです?」
「商売みたいに増えてます」
広間に笑いが起きた。
「領地売買じゃないんですから」
「でも似ております」
別の者も笑う。
「借金を調べる」
「価値を見る」
「立て直す」
「気づいたら八郎領になる」
「商人のやり方です」
八郎は肩をすくめる。
「仕方ないでしょう」
「仕方ない?」
「阿蘇を取った時点で、流れはできました」
地図を見る。
「もう肥後南部は逆らう方が難しいです」
「……」
「だから無理に攻めません」
八郎は笑った。
「勝手に来るなら迎えます」
「怖いことを普通に言いますね」
「でも本当でしょう?」
誰も否定できなかった。
「となると」
帳面役が確認する。
「現在の石高は」
「ざっくりですが」
八郎が計算する。
「元の領地」
「阿蘇」
「今回降った国人衆」
「合わせて三十万石前後ですね」
「三十万……」
昔からいる者ほど、その数字に言葉を失う。
少し前まで一万五千石だった。
それが今や肥後最大級。
「まだまだですよ」
八郎は言う。
「大友、大内、龍造寺」
「周りには大きな家があります」
「だからこそ、今は土地を増やすより中身です」
そして最後に笑った。
「まず借金を減らしましょう」
その一言で皆が笑う。
どれだけ大名になっても。
どれだけ兵を動かしても。
八郎が見るのは、結局いつもの帳面だった。




