1534年2月3週目。帳面合わせ。過去分も見ながら話す。一部の庄屋衆の借金完済。大友対策で旧阿蘇領地の市稼働を早急にする。
二月三週目。
阿蘇攻めから戻り、久しぶりの帳面合わせの日となった。
広間にはいつものように帳面役、商会の者、兄弟たち、各地の代表が並んでいる。
八郎は積まれた帳面を見ながら満足そうに頷いた。
「二月二週目までの帳面は全部見せてもらいました」
そう言うと、周囲が少し緊張する。
阿蘇攻めで不在だった分、何か指摘が入ると思ったからだ。
だが八郎は笑った。
「皆さん、着々と進めてくれてありがとうございます」
その言葉に空気が緩む。
「私がいない間も、市も動いてますし、湯あみも進んでますし、証文整理も止まってません。
本当に助かります」
帳面役の一人が頭を下げる。
「いえ、八郎様が仕組みを作ってくださったからでございます」
「いやいやいや」
八郎は手を振る。
「仕組みだけあっても動かす人がおらんかったら意味ないですから」
そして帳面をめくる。
「それと……」
指が止まる。
「肥後南部の一つの領地、庄屋衆の証文、完済しましたね」
その瞬間、その土地の代表が深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
「いやいや、僕にありがとうございますは違いますよ」
八郎は苦笑する。
「市で物を作って売った人、買った人、運んだ人、全部のおかげです」
「ですが、八郎商会が来なければ一生返せませんでした」
その言葉に周りも頷く。
戦続きの土地では、借金は当たり前だった。
親の借金を子が継ぎ、子の借金を孫が継ぐ。
それが消える。
それだけで土地の空気が変わる。
「まあまあまあ」
八郎は照れ隠しのように流した。
「次行きましょう」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「次の週ですが」
八郎が新しい帳面を広げる。
「阿蘇領に一気に市を入れます」
ざわっとする。
「あの、落としてすぐですか?」
「はい」
当然のように答える。
「それと、市の立ち上げ費用として入れていた九十万文二ヶ所分」
「はい」
「消しました」
「……はい?」
「消しました」
「早すぎませんか!?」
思わず声が上がる。
八郎は首を振る。
「早くないです」
そして地図を見る。
「大友対策です」
空気が少し変わった。
「今回、大友は五千出しました」
「はい」
「でも途中で帰りました」
「そう聞いております」
「帰っただけです」
八郎は指で肥後と豊後の境を見る。
「諦めたわけじゃありません」
皆が黙る。
「だから迷ってます」
「何をですか?」
「百万文持っていって、大友と一年の不可侵を結ぶか」
「百万文……」
「高いですか?」
「高いです」
即答される。
八郎は笑う。
「でも一年買えるなら安いと思うんですよ」
「一年を買う、ですか」
「はい」
八郎は帳面を叩く。
「一年あれば、四十八週あります」
「……」
「四十八回、借金を消せます」
その発想に皆が黙る。
「一年あれば阿蘇に市が根付きます」
「はい」
「湯あみもできます」
「はい」
「商人、庄屋、侍の証文も減ります」
「……」
「だから百万文は戦を避ける金じゃないです」
八郎は笑った。
「時間を買う金です」
一同が感心する。
だが次の言葉で空気が崩れた。
「でもですね」
「はい」
「百万文あるなら、湯あみ200個作れるんですよね」
「……」
「百万文ぐらい使えば、かなり生活改善できますし」
「また桁がおかしいです」
誰かが呟いた。
皆が笑う。
「まあ当面は」
八郎は話を戻す。
「取った土地を強くします」
「阿蘇ですね」
「はい」
「戦で勝つより、その後が大事です」
そして帳面を見る。
「島津分家への戦費二百八十万文は支払い済みです」
「はい」
「残り、こちら側の戦費五百五十万文」
「はい」
「これはツケなので、順番に消していきます」
周りは苦笑する。
数百万文の話を、まるで米俵を片付けるように言う。
「また普通の日々に戻ります」
「普通とは……」
誰かが呟く。
八郎は気にせず続けた。
「それより」
全員が身構える。
また大きな政策かと思った。
「肉餡の鍋、どうなってます?」
「……」
沈黙。
「え?」
「いや、肉餡です」
八郎は真顔だった。
「平たい鍋ですよ。あれができたら肉餡売れますから」
職人頭が慌てる。
「あ、はい。今、厚みと熱の入り方を調整しております」
「お願いします」
八郎は頷く。
「できたらすぐ持ってきてください」
「はい」
「すぐ店出します」
「早すぎます」
「売れるものは早く売らないと」
八郎は当然という顔をする。
三郎が横でため息をついた。
「お前、この前まで一万の兵動かして阿蘇攻めてたよな?」
「はい」
「なんで戻って最初に気にするのが鍋やねん」
広間に笑いが起きる。
「大事ですよ」
八郎は胸を張る。
「戦は終わりました」
そして笑う。
「でも飯は毎日食べますから」
その言葉に皆がまた笑った。
島津の者も、元阿蘇の者も、昔からの家臣も。
一万の兵を動かして国を取った四歳児が、次に考えているのは新しい鍋。
締まらない。
だが、それこそが八郎だった。
戦で土地を取り、
帳面で借金を消し、
最後は飯の話をする。
だからこそ、人が集まる。
そう思いながら、皆はまた次の帳面を開くのだった。




