表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
32/153

1533年1月。八郎3歳、初市。半日で3600文売り上げ。家の商いがシャレにならないレベルになる。

 正月。

 俺は三歳になった。

 だからといって、急に背が伸びるわけでも、火の前に立てるわけでもない。

 けれど、新しい年の最初の市。

 ここは大事だった。

「明けましておめでとうございます」

 父上が客に頭を下げる。

 母上は揚げ物の支度。

 三郎兄様は炒め飯。

 父上はつみれ汁。

 兄様たちは荷運びと客の案内。

 もう、うちはただの庄屋の家ではなく、小さな飯屋のようになっていた。

 今回の商品は多い。

 混ぜ飯。

 炒め飯。

 魚のつみれ汁。

 野菜の天ぷら。

 魚の天ぷら。

 そして、油を無駄にしないために、新しい試みもした。

 港で下魚を多めに仕入れたのだ。

 ただし、そのままではない。

「頭と大きな骨と、苦いところは取ってもらいます」

 俺がそう言うと、父上は苦笑した。

「その分、高く買うんやな」

「はい」

 漁師には銭が入る。

 うちは下ごしらえの手間が減る。

 兄様たちの負担も減る。

 安く買い叩くのではなく、役目を分ける。

 それが長く続けるには必要だと思った。

 市が始まると、すぐに人が集まり始めた。

「おう、坊主」

「明けましておめでとうございます」

「今年も変な飯出すんか」

「変ではありません。少し珍しいだけです」

「それを変と言うんじゃ」

 客たちは笑う。

 このやり取りを楽しみに来ている者もいるようだった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 母上が油を温める。

 ごま油の香りが立つ。

 そこへ茄子、椎茸、ごぼう、小エビ、鯖、そしてつみれ。

 小麦粉をまとわせ、油へ入れる。

 じゅわっ。

 音と香りが広がった。

「つみれまで揚げるんか」

「はい」

「卵はつけんのか?」

「つけません」

「なんでや」

「卵をつけると、重くなりすぎる気がします」

「ほう」

「それに、先に外側だけ色がついて、中まで火が入りにくいかもしれません」

 客が目を丸くする。

「坊主」

「はい」

「お前、飯場に立ったことないくせに料理人みたいなこと言うな」

「母上に教えてもらっています」

 母上が笑った。

「私はそんな難しいこと教えてないよ」

 炒め飯の方も順調だった。

 三郎兄様はもう慣れた手つきで鍋を振る。

 じゅっ。

 卵と油の香り。

 そこに混ぜ飯を入れて崩す。

 父上はその横でつみれ汁を見ていた。

 時々、母上に味を確かめてもらう。

「父上、もう職人みたいですね」

「やめい」

 父上は照れたように言った。

「下味は母さんが整えてくれてるからじゃ」

「そこ大事です」

「分かっとる」

 今回、もう一つ変えたことがある。

 器だった。

 天ぷらを出すには器が足りない。

 だから、銭がある程度まとまるたびに、兄様に走ってもらった。

「二百文たまったら、市で皿を買ってきてください」

「今からか?」

「はい」

「急やな」

「足りないものは、市で買います」

 市の店の者は目を丸くした。

「全部買うんか?」

「今ある銭の分だけです」

「何に使うんや」

「端の飯屋で売りながら揃えてます」

「なんじゃそれ!」

 爆笑されたらしい。

「例の坊主の店か」

「三軒出しとるところやろ」

「また変なことしとるな」

 そう言いながらも、皿は売ってくれた。

 市のまとめ役は、それを遠くから見ていた。

 うちが魚を高めに買う。

 卵も無理に値切らない。

 器を市で買う。

 売って、また市に銭を戻す。

 その意図が全員に伝わっているわけではない。

 でも、まとめ役には少し見えていたようだった。

「あの坊主、わざと市に銭を落としとるな」

 そう呟いたと後で聞いた。

「坊主、値下げはないんか」

 いつもの客が言う。

「新年ですからね」

「おう」

「いつもは二割ですが、今日は一割でどうでしょう」

「なんでや」

「こちらも顔を立ててもらいたいので」

「三歳が顔を立てるとか言うな」

 客たちは笑う。

「でもまあ、新年やしな」

「食うたるわ」

「ありがとうございます」

 食べた客は、たいてい驚いた。

「つみれ、揚げてもいけるな」

「鯖もええ」

「小エビは酒が欲しくなる」

「炒め飯も安定してきたな」

 正月の市は、いつもより人が多い。

 そこに新しい飯の香り。

 客は途切れなかった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 夕方前。

 売り切れた。

 片付ける頃には、家族全員が少し呆然としていた。

 銭袋が重い。

 重すぎる。

 父上が慎重に数える。

「……四千文ほどある」

 誰もすぐには声を出さなかった。

「四千文……」

 三郎兄様が呟く。

「一日で?」

「半日です」

 俺が言うと、全員に睨まれた。

「それを言うな」

 父上が苦笑する。

 正月早々。

 八郎の店は、去年の最高売上を大きく超えた。

 でも。

 喜びだけではない。

 この銭をどう守るか。

 どう使うか。

 誰に返すか。

 次の問題は、もう始まっていた。

 俺は三歳になった。

 そしてこの年、家の商いは、村の中だけでは収まらないものになろうとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ