1534年2月。大友勢5000が救援に向かう中、落ち延びる阿蘇の当主を見て驚く大友宗麟。戦状況を聞いて笑う大友の家臣をたしなめ麒麟児であると認め警戒する。
大友の軍勢五千。
阿蘇救援のために進んでいたその軍は、肥後との境に近づいたところで足を止めることになった。
前方から来る一団があったからだ。
疲れ果てた馬。
泥だらけの鎧。
そして、その中央にいた人物を見て、大友方の武将は目を細めた。
「……阿蘇殿?」
そこにいたのは、阿蘇の当主だった。
ただ、その姿は勝ち戦を待つ盟友ではなかった。
敗軍の将だった。
「申し訳ございません」
阿蘇の当主は深々と頭を下げる。
「阿蘇の城は……落ちました」
一瞬、沈黙が流れた。
「落ちた?」
「はい」
「早すぎる」
大友方の武将が思わず言った。
「まだこちらが動き出して十日ほどぞ」
「……はい」
「兵三千がおったのではないのか」
「おりました」
「ならば何故じゃ」
阿蘇の当主は悔しそうに拳を握った。
「戦ではございました」
「だが……」
「我らの知る戦ではありませんでした」
周囲が眉をひそめる。
「どういうことじゃ」
「まず、八郎勢は一万」
「一万か」
「そのうち島津分家の兵二千」
その言葉に大友方が反応する。
「島津がついたか」
「はい」
「厄介じゃな」
しかし、阿蘇の当主は首を振った。
「厄介なのは、そこではございません」
「何?」
「攻め方です」
阿蘇の者は説明した。
「昼と夜で兵を分けました」
「分けた?」
「昼は七割」
「夜は三割」
「昼は攻め、夜も攻める」
「こちらを眠らせないためだけに」
大友兵たちが顔を見合わせる。
「夜討ちではなく?」
「違います」
「本気で落としに来るのではなく、ただ疲れさせる」
「矢を使わせる」
「眠りを削る」
「そして……」
言葉を詰まらせる。
「飯です」
「飯?」
「はい」
「城の外でずっと飯を炊いておりました」
笑う者もいた。
「飯で城が落ちるか」
しかし阿蘇の当主は笑わなかった。
「落ちました」
その一言で静まる。
「農民兵は疲れておりました」
「眠れず」
「腹も減り」
「外から飯の匂いがする」
「逃げた者に、八郎は飯を食わせました」
「殺さなかったのか?」
「はい」
「握り飯を持たせて帰した者すらおります」
「……」
「すると中の兵が揺れました」
昨日まで一緒だった者が言う。
外では殺されない。
飯がある。
銭まで渡された。
「五日目から逃亡が始まりました」
「そして?」
「三百」
「さらに翌日三百」
「最終的には六百近くが戦わず消えました」
大友方の武将たちは黙った。
「そして最後だけ、本気で来ました」
「七千で一気に」
「疲れ切った二千四百では……」
「止められませんでした」
「損害は?」
大友方の一人が聞く。
「八郎側の」
阿蘇の当主は苦笑した。
「ほとんどありません」
「馬鹿な」
「一万で攻めて?」
「はい」
「三千籠る城を?」
「はい」
「ほぼ損害なし?」
「はい」
周囲から笑いが漏れる。
「なんじゃそれは」
「どこの老練な軍師じゃ」
「それで、その大将は?」
阿蘇の者が答えた。
「八郎様です」
「何歳じゃ」
「四歳です」
その瞬間。
大友の陣に笑い声が広がった。
「四歳!」
「四歳児が城攻め!」
「冗談もほどほどにせい!」
だが――。
一人だけ笑わない男がいた。
大友宗麟。
まだ若い当主。
彼だけは静かに聞いていた。
「笑うな」
その一言で空気が止まった。
「殿?」
宗麟は阿蘇の当主を見る。
「その話、本当なのだな」
「はい」
「ならば笑うところではない」
宗麟は腕を組んだ。
「麒麟児じゃ」
周囲が黙る。
「わしが聞いた話では」
「その八郎という者」
「元は庄屋の八男」
「そう聞いている」
「はい」
「その八男が、下剋上で一万五千石の国人領主になった」
「そして守り勝ち」
「商いを広げ」
「民を味方につけ」
「気づけば二十万石を超える勢力」
宗麟の目が鋭くなる。
「今度は攻めても勝った」
「しかも力攻めではない」
「兵を殺さず」
「相手の心を折った」
「そんな者が戦下手なわけがない」
誰も笑えなくなった。
「それに」
宗麟は続ける。
「阿蘇殿」
「残った家臣は?」
阿蘇の当主は苦い顔をした。
「……八割ほどが八郎様の下に残りました」
ざわめきが起こる。
「八割?」
「主を捨てたのか?」
宗麟は首を振った。
「違う」
「選ばれたのだ」
「命を取らず」
「土地を荒らさず」
「借金を背負うと言われれば」
「民も家臣も残る」
宗麟はため息をついた。
「面倒な相手が出てきた」
そして阿蘇の当主へ向き直る。
「疲れたであろう」
「館へ来い」
「ありがとうございます」
「お前たちは大友の者として迎える」
「ただし」
宗麟は言った。
「八郎を侮るな」
「子供と思うな」
「次に戦う時は」
少し間を置く。
「九州でも屈指の相手と思って備える」
その言葉で、大友軍五千は引き返した。
戦わずして。
だが宗麟は理解していた。
阿蘇を失ったことより恐ろしいこと。
肥後に――。
人を殺さず国を取る怪物が生まれたことを。




