1543年2月。阿蘇包囲から7日目。大友の援軍の前に決着をつける。城主を押さえ半々で去るかと思ったが8割が残ってくれた。
阿蘇包囲七日目――。
大友からの返書を読んだ八郎は、しばらく黙って考えた。
そして顔を上げる。
「予定変更しましょう」
島津分家の実久が見る。
「どうする?」
「この手紙の速さから考えて、二週間はないです」
八郎は書状を指差した。
「おそらく十日ほどで来ます」
「早いか」
「はい。大友も馬鹿ではありません。阿蘇が落ちたら次は自分たちと接することになると
分かっています」
周囲の武将たちも頷く。
「なので――」
八郎は言った。
「今夜、最後の嫌がらせをしましょう」
「嫌がらせ?」
「夜番三割の皆さん」
兵を見る。
「今日は力いっぱい声を出してください」
「声……ですか?」
「はい」
八郎は笑った。
「寝かせないでください」
実久が苦笑する。
「本当に嫌な攻め方じゃな」
「ありがとうございます」
「褒めておらん」
いつものやり取りだった。
「ただし」
八郎は続ける。
「残り七割は寝てください」
「寝る?」
「明日の朝、日の出と同時に行きます」
その瞬間、空気が変わった。
ついに総攻撃。
兵たちの目が鋭くなる。
「ここまで我慢してくれてありがとうございます」
八郎は頭を下げる。
「明日はお願いします」
島津の侍たちは笑った。
「ようやく武士の仕事ですな」
「頼みます」
その夜。
阿蘇の館は眠れなかった。
太鼓。
掛け声。
松明。
「来るぞ!」
そう思えば来ない。
静かになったと思えば、また騒ぐ。
兵たちは限界だった。
そして夜中。
また門から人影が出る。
今度はさらに多い。
八郎軍の見張りが囲む。
「武器を置いてください」
抵抗する者はいなかった。
「逃げたいだけだ」
「もう無理だ」
「寝てない」
八郎は出てきて告げた。
「明日、本気で攻めます」
その言葉に阿蘇兵たちは顔色を変える。
「だから逃げるなら逃げてください」
「……いいのか」
「はい」
八郎は頷く。
「家族があるでしょう」
そしてまた握り飯を渡す。
「腹いっぱい食べてから行ってください」
実久は呆れていた。
「最後までそれか」
「最後までです」
結果――。
その夜だけで三百ほどが抜けた。
阿蘇の兵力は約二千四百。
翌朝。
夜明け。
八郎軍七千が動いた。
今度は違う。
圧をかけるだけではない。
本当の攻撃。
盾を並べる。
門へ迫る。
矢は飛ぶ。
しかし少ない。
「押せ!」
島津兵が前へ出る。
鍛えられた武士たちが一気に距離を詰める。
疲れ切った阿蘇兵では止められなかった。
門が破られる。
「入れ!」
兵が流れ込む。
しかし八郎の命令は徹底されていた。
「逃げる者は追わない!」
「槍を捨てた者は斬らない!」
館内に声が響く。
「戦いたくない者は逃げろ!」
その言葉で、多くの兵が武器を捨てた。
士気はもう残っていなかった。
抵抗した一部を押さえ、ついに阿蘇当主の元までたどり着く。
捕らえられた当主は覚悟していた。
「……斬るか」
しかし目の前に来たのは、小さな子供。
八郎だった。
「お疲れ様でした」
「……は?」
阿蘇当主は思わず聞き返す。
四歳児が頭を下げている。
「二度攻められましたので、今回はこちらから攻めました」
「……」
「でも別にあなた個人を恨んでいるわけではありません」
八郎は静かに言った。
「こんな世です。戦になることもあります」
周囲の武士も黙って聞く。
「選んでください」
「選ぶ?」
「大友へ行くなら止めません」
ざわめきが起こる。
「逃がすのか?」
「はい」
八郎は続けた。
「ただ、うちに降るなら家臣団はいただきます」
「領地は?」
「この土地をそのまま任せることはできません」
正直な答えだった。
「ですが別の土地で暮らしていただくことはできます」
「……」
「仕事もあります。飯もあります」
そして笑う。
「借用証文はこちらで引き取ります」
その後ろでは――。
商人たちがすでに動いていた。
蔵。
帳面。
証文。
全部確認している。
実久が呆れる。
「締まらんな」
「何がです?」
「普通、勝った直後は武功の話じゃ」
確かに。
普通なら首実検。
褒美。
武功。
しかしここでは商人が帳面をめくっている。
「いやいや」
八郎は言う。
「この人たちも仕事ですから」
商人が笑う。
「八郎様が肩代わりしてくれるから、わしらも助かります」
「燃やされたら?」
「丸損ですわ」
商人たちは苦笑する。
「まあ、その代わり少し利息は下げます」
八郎が見る。
「少しですか?」
「全部下げたら、こっちが泣きます」
そのやり取りに周囲が笑った。
「本当に戦場かここは」
実久が呟く。
その後、阿蘇家臣団に選択が与えられた。
去る者。
残る者。
八郎は半々だと思っていた。
しかし――。
八割近くが残った。
「そんなに?」
八郎自身が驚く。
一人の武士が前へ出る。
「私は以前、相良との戦にもおりました」
「そうなのですか」
「はい」
「その時も、今回も見ました」
武士は頭を下げる。
「八郎様の戦は、四歳児とは思えませぬ」
周囲が少し笑う。
「それ褒めてます?」
「もちろんです」
武士も笑った。
「そして何より、戦の後が違います」
「後?」
「普通は勝った者が奪います」
「……」
「でも八郎様は、飯を出し、借金を消し、仕事を作る」
武士は続けた。
「これほど領地を治める方は見たことがありません」
八郎は少し照れた。
「ありがとうございます」
こうして阿蘇は落ちた。
大友の援軍が動き出す前に。
そして、ほとんど血を流さず。
肥後の勢力図は、大きく変わることになった。




