1534年1月4週目の証文合わせの次の日。千代姉さんに呼ばれ館に行くと島津分家の当主実久様がいる。領地の借金問題について
一月四週目、帳面合わせの翌日のことだった。
朝から八郎のところへ千代が訪ねてきた。
「八郎様、少しよろしいでしょうか」
「どうしました、千代姉さん」
「父が来ております。一郎様と一緒に、少し屋形まで来ていただけませんか」
その表情がいつもの穏やかなものとは違う。
八郎は何となく察した。
「……帳面の話ですね」
千代は小さく頷いた。
「はい」
しばらくして、一郎と八郎は千代の屋形へ向かった。
奥の間には島津分家当主・実久が待っていた。
普段なら豪快に笑う男だったが、この日は少し顔が重い。
「八郎殿、すまんな」
「いえいえ、義理のお父様に当たる方ですから」
八郎が笑うと実久も少しだけ表情を緩めた。
「そう言ってもらえるだけありがたい」
そして、膝の前に帳面を置いた。
「実はな」
「先週、薩摩川内の借財が全部消えたという知らせを受けた」
「はい」
「正直、耳を疑った」
実久は苦笑した。
「城の借金まで消えるなど聞いたことがない」
「普通は代替わりしても残るものだ」
「そうですね」
八郎は静かに頷く。
「だからわしも思った」
「このままではいかんとな」
実久は続ける。
「そこで家中に命じた」
「表も裏も全部の帳面を持ってこいと」
「隠しても意味がないからな」
八郎は何も言わず聞いた。
「その間に、お前が入れてくれた市と湯浴みを見に行った」
「農民にも聞いた」
実久は少し目を細める。
「みんな喜んでいた」
「寒い冬に仕事がある」
「湯に入れば体が楽になる」
「八郎商会が入ったことで商人との交渉も変わった」
そして拳を握る。
「そこで初めて知った」
「農民が年五割もの利で銭を借りていたことを」
「……わしは知らなかった」
部屋が静かになる。
「殿様なのにな」
「民がそんな苦しい思いをしていることを知らなかった」
千代も目を伏せる。
実久は苦笑した。
「そして城に戻ったら、今度は自分たちの現実だ」
帳面を開く。
「城の借財、約四千万文」
「侍衆、約二千万文」
「庄屋衆も、お前が手を入れてくれているところ以外で一千万文」
「合わせれば、とんでもない額だ」
一郎も息を飲む。
「そんなに……」
「そうだ」
実久は頷いた。
「最初は迷った」
「まず市を入れてもらう」
「湯浴みを作ってもらう」
「商家衆の借金が減ってから相談する」
「そういう形にしようかと思った」
そこで八郎を見る。
「でもな」
「八郎殿なら、もう大体分かっていると思った」
八郎は苦笑する。
「まあ……ある程度は」
「やっぱりか」
実久も笑った。
「恐ろしい四歳児だ」
そして頭を下げた。
「だから全部話す」
「助けてくれ」
「島津分家の領地にも、八郎商会を入れてほしい」
「市を入れてほしい」
「この借金をどう減らすか、知恵を貸してほしい」
深々と頭を下げる。
八郎は慌てた。
「ちょ、ちょっと待ってください」
「一郎兄さんのお義父さんですよ」
「そんな頭下げないでください」
実久は顔を上げる。
「いや」
「これは頭を下げる話だ」
「千代が一郎殿と結ばれたこと、本当にありがたかったと思っている」
「他の国人衆とは違う扱いをしてくれている」
「島津という名も尊重してくれている」
「だからこそ頼みたい」
八郎は少し考える。
そして言った。
「できることからやりましょう」
「一気には無理です」
「ですが」
帳面を指差す。
「まず市」
「一週間以内に入れます」
「本当か」
「はい」
「庄屋衆の借金から消します」
「ちなみに今、先に入れている地域ですが」
「借金残り三百九十万文ほどです」
「……は?」
実久が固まる。
「待て」
「この前五百万以上と言ってなかったか?」
「減りました」
「もう四百万切っています」
「あと一、二ヶ月あれば消えると思います」
実久はぽかんとした。
「……なんなんだ、それは」
「普通、借金は増えるものだぞ」
「減らします」
八郎は当然のように言う。
「借金がなくなれば、人は銭を使えます」
「銭を使えば市が回ります」
「市が回れば、また利益になります」
「だから最初に消すんです」
さらに続ける。
「湯浴みも入れます」
「ちょうど作り終わった職人がいます」
「今週百五十」
「来週もう百五十」
「最低限回せる形にします」
「そんな早く……」
「冬ですから」
八郎は笑う。
「寒い時期に仕事を作らないと」
「それから侍衆ですね」
「はい」
「薩摩川内と南側の領地では、侍衆の借金は完済しました」
「だから、その人たちの鹿狩りや猪狩りの仕事を薩摩分家の仕事として回します」
「夏頃から島津分家領にも入れましょう」
「農民から依頼」
「八郎商会経由」
「その銭を侍衆の返済に充てます」
「今の見込みなら3万5千石あたり月四十万文くらい動かせます」
「五ヶ月なら二百万文」
「少しずつですが減ります」
実久は黙って聞いていた。
「……八郎殿」
「はい」
「本当に四歳か」
一郎が笑う。
「父上、そこは諦めてください」
「うちも毎日思っています」
千代も微笑む。
八郎は最後に言った。
「島津の武は必要です」
「今回の相良もそうでした」
「島津の旗が前にあったから、戦わずに済んだ部分があります」
「だから」
「島津には島津の役割があります」
「うちの商会、使えるだけ使ってください」
その瞬間。
実久は下を向いた。
肩が少し震える。
「……情けないな」
「四歳の子供に助けられて泣くとは」
八郎は首を振った。
「違います」
「一緒にやるだけです」
「千代姉さんも家族です」
「だから島津分家も親戚です」
その言葉に、実久はさらに目頭を押さえた。
「本当に……」
「千代を嫁がせてよかった」
そう呟くしかなかった。




