1534年1月3週目。島津分家の家で異変。八郎家の帳面合わせで薩摩川内の借金が全部消えた!一方の薩摩分家は数千万文の借金。選択を迫られる。
一月三週目。
八郎の館で帳面合わせを終えた島津分家の使者たちは、その足で千代姫と一郎の屋敷へ向かった。
表向きは新年の挨拶。
しかし、顔つきは明らかに違っていた。
千代はそれを見て、すぐに人払いをした。
「……何かございましたか?」
使者は深く頭を下げる。
「千代様」
「少し急ぎでございます」
「本日、八郎様の帳面合わせに同席いたしました」
「はい」
「薩摩川内の城の借金……」
「すべて消えました」
千代は一瞬目を閉じた。
驚きはある。
だが、八郎ならやるだろうという気持ちもあった。
「ついに、ですか」
「はい」
「庄屋衆、農民、商家衆、侍衆、そして城」
「最初の領地は完全に借財なしになりました」
部屋が静まる。
戦国の世で、そんな土地など聞いたことがない。
普通は逆だ。
領地が増えれば借金も増える。
戦をすればさらに増える。
しかし八郎は逆だった。
領地を増やしながら借金を消していた。
使者は続ける。
「それを踏まえて……」
「我ら島津分家のことです」
千代の表情が少し硬くなる。
「調べが進んでいるのですね」
「はい」
「まだ完全ではございませんが……」
「殿のお考えでは」
「我らには数千万文規模の借財がある可能性が高いです」
千代は黙った。
分かっていた。
武家は見栄で生きる。
馬。
武具。
城。
兵。
付き合い。
すべて銭がいる。
「今まで隠していたわけではない」
「ただ、誰も正確に見ようとしてこなかった」
使者は苦い顔をする。
「八郎様は、それを見ておられました」
「庄屋衆の借財」
「侍衆の借財」
「城の借財」
「全部別物として」
「はい」
千代は頷いた。
「あの方らしいですね」
使者は続ける。
「ですので」
「この報告を持って戻ります」
「そして殿に話します」
「道は大きく二つ」
「一つは……」
少し間を置く。
「すべて包み隠さず八郎様へ見せること」
「そして共に立て直すこと」
つまり、実質的に八郎経済圏へ深く入る。
「もう一つは?」
「今すぐそこまではせず」
「まず市を広げてもらうことです」
「庄屋衆の借財は、すでに二千万近くあったものが千五百万近くまで減っています」
「湯浴みもできました」
「農民も喜んでおります」
「ならば残りの領地にも八郎商会を入れていただき」
「まず民と商いを立て直す」
「その後」
「侍衆と城について相談する」
千代は静かに聞いていた。
「……どちらにしても」
「八郎様なしでは難しい、ということですね」
使者は否定しなかった。
「悔しい話ですが」
「そうでございます」
「ただ」
「千代様」
「あなた様が一郎様と結ばれていたこと」
「これは本当に大きかった」
千代は少し驚く。
「私が?」
「はい」
「ただ助けを求める相手ではない」
「縁戚です」
「家族です」
「その違いはあまりにも大きい」
千代は少し頬を緩めた。
「私は……」
「最初は家のためでした」
「ですが」
「今は違います」
「一郎様と夫婦になれて良かったと思っています」
使者も微笑む。
「それを聞ければ十分でございます」
「では急ぎ戻ります」
「殿に伝えねばなりません」
千代は頷く。
「お願いします」
「早く伝えてください」
「迷っている時間が、一番もったいないと思います」
使者たちが去った後。
千代は一人考えていた。
「本当に……」
「私の婚姻の時期が良かったのですね」
もし遅ければ。
島津分家は、ただの周辺勢力だったかもしれない。
だが今は違う。
八郎家の親戚。
一郎の妻。
その立場がある。
「でも……」
「それだけに甘えてはいけませんね」
千代は小さくつぶやいた。
島津分家を救うには、もっと結びつきが必要。
八郎本人だけではない。
兄弟たち。
家族。
そこに自然な縁を作る必要がある。
「六郎様、七郎様も真面目」
「三郎様は料理」
「五郎様も人を見る力がありますし……」
考える。
無理やりではいけない。
でも機会は作れる。
八郎はそれを分かっている。
だから宴を開く。
料理を作らせる。
一緒に笑わせる。
「本当に不思議な方ですね」
「戦も縁談も飯から始めるなんて」
千代は笑った。
そこへ――
「千代?」
一郎がひょこっと顔を出した。
「何かあったんか?」
千代は振り返る。
「一郎様」
「いえ」
「大丈夫ですよ」
「ほんまか?」
「少し難しい顔してたで」
千代は微笑む。
「家のことです」
「島津も色々考える時期になった、というだけです」
「八郎か?」
一郎はすぐ察する。
千代は少し笑った。
「さすがですね」
「まあ、八郎絡みやと大体みんな悩むからな」
「振り回される」
「でも助けられる」
「ほんま困った弟や」
その言葉に千代は笑う。
「はい」
「困った義弟様です」
「でも」
「一郎様」
「私はここに嫁げて良かったと思っています」
急に言われて一郎が照れる。
「なんや急に」
「いえ」
「言いたくなっただけです」
一郎は頭をかく。
「まあ……」
「家のことは難しいけど」
「できることやっていこか」
「はい」
千代は頷いた。
島津分家の未来。
八郎家との未来。
まだ答えは出ない。
だが少なくとも――
一人で背負う必要はなくなっていた。




