1534年1月3週目。とうとう薩摩川内の城の借金をゼロにする。借金やツケはまだまだあるが周囲は衝撃を受ける。
一月三週目。
恒例の帳面合わせの日。
八郎はいつものように帳面の束を前に置いた。
「では皆さん」
「細かい数字は後で確認してください」
その言葉に周囲は苦笑する。
もう最近では、この「細かい数字は」が一番危ない言葉になっていた。
大抵、その後にとんでもない話が出てくる。
「今回は大きいところだけ話します」
「まず湯浴み」
「新しく一ヶ所」
「百五十万文分ツケを消します。」
周りは頷く。
「まあ、それは分かります」
「旧相良領ですね?」
「はい」
「早く仕事と生活習慣を作りたいので」
そこまでは普通だった。
問題は次だった。
八郎は何気なく言う。
「あと」
「薩摩川内の城の借金を完済します」
沈黙。
「……」
家臣の一人が口を開く。
「申し訳ございません」
「もう一度お願いできますか?」
八郎は不思議そうな顔をする。
「薩摩川内の城の借金」
「完済します」
「四百万文近く残っていた分ですね」
再び沈黙。
そして――
「えええええ!?」
声が響いた。
「城の借金……」
「ついに全部ですか?」
古くから仕えている侍が震える声で聞く。
「はい」
「ということは……」
「一番最初の領地」
「薩摩川内は……」
「庄屋衆」
「農民」
「商家」
「武士」
「城」
「全部借金なしです」
八郎が言うと、ざわめきが広がった。
「そんなことが……」
「あるのか」
長年、借金と付き合うのが当たり前だった。
戦のたびに借りる。
不作なら借りる。
武具で借りる。
返しても利で増える。
それが普通だった。
その鎖が切れた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
八郎は笑った。
「なので」
「皆さん」
「ちゃんと銭を使ってくださいね」
「え?」
「借金返済ばかり考えなくていいです」
「飯を食べる」
「服を買う」
「道具を直す」
「寺や神社で使う」
「それでいいです」
寺社関係者も驚く。
「我らもですか?」
「もちろんです」
「銭を蔵に置いても」
「匂いがするだけです」
その言葉に笑いが起きる。
「確かに」
「銭は食えませんからな」
八郎も頷く。
「そうです」
「使えば誰かの売上になります」
「売上になれば仕事になります」
「仕事になれば暮らしが良くなります」
ただ、八郎は表情を引き締める。
「でも」
「他の領地はまだ違います」
「借金は大量にあります」
「だから薩摩川内は次の段階です」
「次の段階?」
「助ける側です」
周りが静かになる。
「仕事が余れば」
「他領へ」
「技術があれば」
「教える」
「狩猟仕事などは島津分家の方々とも協力します」
「銭を回します」
「あと」
八郎が少し嬉しそうになる。
「親子丼」
「始めます」
空気が少し緩む。
「あれですか」
「ご縁会の」
「はい」
「もう店作りました」
「早すぎません?」
誰かが突っ込む。
八郎は胸を張る。
「三郎兄さんのお墨付きです」
「あれは売れる、と」
「ならやります」
「三郎様が言うなら間違いないですな」
周囲も納得する。
「親鳥」
「卵」
「米」
「全部動きます」
「一店舗三百文利益目標です」
「その利益でまた借金を消します」
「肉あんは?」
という声が出る。
八郎は少し悩む。
「あれはまだですね」
「鉄板問題があります」
「大量に鉄を使うのは難しい」
「なので」
「底の浅い鍋を作れないか考えてます」
「また鍛冶ですか」
「はい」
「料理の話なのに鍛冶屋が出るのが八郎様らしい」
笑いが起きた。
さらに八郎は続ける。
「市も使ってください」
「湯浴みも使ってください」
「交易品も買ってください」
「琉球の物」
「海産物」
「新しいもの」
「動けば商人も喜びます」
「商人が喜べば市が大きくなります」
「市が大きくなれば税ではなく利益が増えます」
皆、頷く。
一方。
その場にいた島津分家の者たちは顔を見合わせていた。
「これは……」
「戻ったら伝えねばならんな」
「警戒という意味ではなく」
「知っておく必要がある」
「薩摩川内は」
「もう借金がない領地になった」
それは恐ろしい話だった。
同じ薩摩。
隣同士。
片方は数千万文の借金。
片方は借金なし。
民が見ればどう思うか。
最後に八郎は旧相良領の話をした。
「旧相良については急ぎます」
「簡易でもいいので湯浴みを増やします」
「仕事を作ります」
「市を回します」
「借金を確認します」
「早く八郎式の生活を根付かせます」
家臣が聞く。
「急ぐ理由は?」
八郎は答える。
「周りが見るからです」
「相良の残り」
「阿蘇」
「肥後の国人衆」
「皆、見ています」
「戦で取った土地がどうなるか」
「そこを見る」
「だから」
「良くなった姿を見せること自体が次の戦です」
その言葉に皆黙った。
刀ではなく。
湯浴み。
市。
飯。
帳面。
それが八郎の戦だった。
「では皆さん」
「今年も忙しいですよ」
その一言に全員が笑った。
もう誰も否定しなかった。
八郎領はまた一段、違う場所へ進んでいた。




