1534年2週目。島津分家の実久が領内の負債を見つめなおそうとする。領内の村や市で八郎方式の効果を目の当たりにする。
一月中旬。
島津分家の館では、今まで見ないふりをしていたものと向き合う作業が続いていた。
――借金の総洗い出し。
八郎領で千代姫が一郎と縁を結んだことをきっかけに、市、湯浴み、狩猟仕事、
帳面整理が流れ込んできた。
そして当主実久は思った。
「……まずは知らねばならん」
「見ないふりをしていても、銭は消えん」
そう言って家臣に命じた。
「商家衆だけではない」
「侍」
「城」
「裏で借りたもの」
「全部出せ」
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ただ、その前に当主は領内を歩いた。
八郎式のやり方が本当に効果を出しているのか、自分の目で見たかった。
村へ入る。
すると以前とは違うものがある。
湯浴み場。
煙が上がっていた。
「もう動いておるのか」
案内役が答える。
「はい」
「八郎様のところから人が来まして」
「作り方を教えていただきました」
農民にも声をかける。
「どうじゃ」
「使い心地は」
すると農民は笑った。
「ありがたいです」
「冬場に身体を拭けるだけで全然違います」
「それに……」
「作る仕事もいただけました」
「冬は田畑が少ないですから」
「銭になる仕事があるだけで助かります」
当主は黙る。
ただ風呂を作っただけではない。
仕事を作っていた。
さらに農民は頭を下げる。
「千代姫様が八郎様のところと縁を結んでくださったおかげです」
「本当にありがたいことでございます」
「そこまでか」
「はい」
「隣の八郎領になったところの者と話したのですが……」
農民は少し興奮気味に言った。
「借金が全部消えたそうです」
「何?」
「庄屋衆も農民も」
「証文がなくなったと」
「だから、うちも期待しております」
当主実久は驚く。
「そんな簡単に消えるものではなかろう」
「それが……」
「こちらも最初一千万文以上あったものが」
「もう半分ほどになっております」
「半分?」
「はい」
話を聞くと理由は単純だった。
市だった。
「八郎商会の市は違います」
「何が違う」
「買ってくれます」
「大量に」
「しかも買い叩きません」
「普通なら足元を見るものも、ちゃんと買ってくださる」
「だから銭が回るんです」
さらに農民は言う。
「それと」
「利も下げてもらいました」
「利?」
「はい」
「今まで年五割近いものもありました」
当主の顔色が変わる。
「五割!?」
「商人ども、そこまで取っておったのか」
しかし農民は首を振る。
「お殿様」
「それが普通だったのです」
「返せるか分からない相手に貸すので」
「商人も高くするしかなかった」
「ですが」
「八郎様が間に入ると違います」
「なぜだ」
「八郎様は借金を消す方として有名だからです」
「証文を買い取り」
「市を回して」
「確実に返す」
「だから商人側も付き合いたい」
「結果、利を下げてくれるのです」
当主は言葉を失った。
武力ではない。
銭の信用。
それだけで世界が変わっていた。
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館へ戻る。
数日後。
集められた帳面を見る。
家臣たちの顔は暗い。
「出ました」
「申せ」
「まず武士衆ですが……」
「約二千万文」
静まり返る。
「城は」
「四千万文ほどございます」
当主は目を閉じた。
「……そうか」
さらに続く。
「庄屋衆については、現在処理している分が四百五十万文ほどでした」
「ただ」
「もう半分の領地は未精査です」
「おそらく、そちらも一千万文前後は……」
当主は計算する。
「合わせれば」
「五千万文規模か」
誰も答えない。
答えられなかった。
しばらく沈黙した後。
当主は苦笑した。
「島津の家をどうこうする以前の問題じゃな」
「本家と争っている場合ではない」
家臣も頷く。
「はい」
「戦をすれば勝っても借金」
「負ければさらに借金」
「もう限界だったのかもしれませぬ」
当主は天井を見る。
「千代が一郎殿と結ばれてよかった」
「本当にそう思う」
「八郎が攻めてこぬ相手になっただけでも大きい」
家臣の一人が口を開く。
「殿」
「いっそ」
「全て見せてしまうのも手ではありませんか」
「八郎殿にか?」
「はい」
「恥ではあります」
「しかし」
「隠しても減りません」
「それに……」
「先日の話があります」
「狩猟仕事です」
当主が顔を上げる。
「月六十万文ほどの話か」
「はい」
「年間なら三百六十万文以上」
「侍衆の借金返済に回せます」
「市もあります」
「湯浴みもあります」
「交易もあります」
「八郎殿は島津を潰すつもりではありません」
「むしろ」
「武の力を必要としております」
当主は小さく笑う。
「四歳児に助けられる島津か」
「情けない話じゃ」
家臣は首を振った。
「違います」
「あれは年齢で見るものではありません」
「あの方の後ろには」
「銭があります」
「民があります」
「仕組みがあります」
当主はしばらく考えた。
「本家も似たようなものじゃろうな」
「おそらく」
「金山があるわけでもない」
「大きな特産もない」
「戦ばかり」
「借金がないはずがありません」
「そうか……」
「島津同士で争う時代ではないのかもしれんな」
家臣たちは黙って頷いた。
戦で土地を取る時代。
しかし八郎は違った。
借金を消し。
飯を食わせ。
仕事を作り。
気づけば人が集まる。
当主は帳面を見る。
「悩ましいな」
「本当に悩ましい」
そう言いながらも――
その表情は以前より少し明るかった。
少なくとも今は。
進むべき方向だけは見えていた。




