1534年1月2週目。傘下に入る話をした国人衆が帳面をもってやってきた。なかなか厳しい状況。今後の肥後の状況について話す。
一月二週目の終わり。
正月の挨拶で八郎の傘下入りを願い出た肥後南部の国人衆の当主が、再び屋敷を訪れた。
以前とは違い、供の者たちは大きな木箱をいくつも抱えている。
八郎はそれを見る。
「……それ全部ですか?」
当主は深く頭を下げる。
「はい」
「表の帳面だけでは意味がないと思いまして」
「裏で借りているもの」
「商人との口約束」
「家臣が隠していた証文」
「分かる限り、全て持って参りました」
八郎は少し驚いた顔をしたあと、笑った。
「ありがとうございます」
「ここまで出していただけるなら、こちらもやりやすいです」
そして商家衆を呼び、丸一日かけて帳面合わせを行った。
夕方。
結果が出る。
「城の借金」
「千七百万文ほどですね」
部屋が静まる。
元領主は苦い顔をする。
「……やはり」
「ひどい額でしたか」
しかし八郎は普通の顔だった。
「いえ」
「こんなものです」
「え?」
「だいたい予想通りです」
八郎は帳面を見る。
「商人が貸さなくなる線があります」
「千五百万」
「二千万」
「その辺りです」
「そこまで来ると」
『この家、本当に返せるのか』
「と思われ始めます」
「だから千七百万なら、むしろ想定内です」
周りの者が驚く。
「想定内……」
八郎はさらに続ける。
「庄屋衆、農民関係」
「約一千万文」
「武士の借金も、おそらく一千万文前後」
「これも普通です」
「戦続きならこうなります」
元領主は俯いた。
「普通……ですか」
「はい」
「だからこそ」
「よく出してくださいました」
八郎は頭を下げた。
「隠したままなら治せません」
「膿を出してくれたから治療できます」
「ありがとうございます」
その言葉に、元領主の肩の力が抜ける。
「怒られると思っておりました」
「なぜです?」
「領主として失格だと」
八郎は首を振る。
「今の世なら珍しくないです」
「戦をする」
「城を直す」
「武具を揃える」
「飢饉が来る」
「銭を借りる」
「でも商売の仕組みがないから返せない」
「そういう家ばかりです」
「ただ」
八郎は言う。
「責任の形は必要です」
元領主は頷く。
「承知しております」
「領地を預けます」
「はい」
「ですが命を取るつもりはありません」
「ご家族」
「側近」
「皆さん移ってください」
「薩摩川内でも」
「南の領地でも」
「好きな場所を選んでください」
「住まいはこちらで準備します」
元領主が顔を上げる。
「よろしいのですか?」
「もちろんです」
「今後は帳面整理」
「領地運営」
「経験者として手伝ってください」
「給金も出します」
「敵ではなく仲間ですから」
さらに八郎は言う。
「庄屋衆の借金については任せてください」
「市を開きます」
「利益が出始めたら」
「毎月九十万文ずつくらい消します」
元領主が目を丸くする。
「九十万……毎月ですか?」
「はい」
「薩摩でもやってます」
「米」
「野菜」
「魚」
「加工品」
「全部正しく流せば銭は回ります」
「買い叩きをなくせば農民も楽になります」
元領主は深く息を吐いた。
「……少し」
「肩の荷が下りました」
八郎は笑う。
「でしょうね」
「偉い場所に座るのは大変ですから」
「面子もある」
「家臣もいる」
「弱みを見せられない」
「大大名じゃないと、この時代は本当に難しいですよ」
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しばらくして話題は肥後全体へ移った。
「これから肥後はどう見ます?」
八郎が聞く。
元領主は考える。
「我らのような国人衆は多いでしょう」
「正月にも何人も来ておりましたな」
「はい」
「皆、苦しいのです」
「ただ最後の一歩が踏み出せない」
「家を失う恐怖がありますから」
八郎は頷く。
「でしょうね」
「北肥後は?」
「隈部あたりを中心とした国人衆はまだ独自でしょう」
「ただ」
「いずれ選択になります」
「八郎様につくか」
「大友につくか」
「大内につくか」
「飲まれるか」
「相良は?」
元領主は即答する。
「落ちます」
「もう時間の問題です」
「半分取られて」
「隣で暮らしが良くなっていく」
「耐えられません」
「兵ではなく心が折れます」
八郎は苦笑する。
「阿蘇は?」
「難しいですね」
「大友と組む可能性はあります」
「ですが……」
少し間を置く。
「大友は手を組むより」
「食べる方でしょう」
「大きすぎます」
八郎も頷いた。
「僕もそう思います」
「大友と接するのは避けたい」
「でも肥後をまとめれば、必ず近づく」
「問題は」
八郎が地図を見る。
「少弐」
「龍造寺」
「そして大友」
「その辺ですね」
「あと天草」
元領主が反応する。
「天草ですか」
「はい」
「海があります」
「魚があります」
「交易があります」
「市との相性がいい」
「海産物が流れれば、山側の暮らしも変わります」
「なるほど……」
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元領主は笑った。
「不思議ですな」
「何がです?」
「普通、領地の話なら」
『兵を何人出せるか』
『城はいくつあるか』
「になります」
「八郎様は」
『魚がある』
『市ができる』
『暮らしが良くなる』
「そこから考える」
八郎は笑う。
「でも」
「民が増えて」
「飯が食えて」
「銭が回れば」
「兵も強くなります」
元領主は深く頷いた。
「だから相良は負けたのですな」
「刀ではなく」
「飯と帳面に」
八郎は苦笑する。
「まあ」
「いつもそれで勝てるわけではないですけどね」
「大友や大内には通じません」
「だから今のうちです」
「戦わずに仲間を増やせる間に増やします」
その場の者たちは地図を見る。
肥後は少しずつ、しかし確実に。
八郎の色に染まり始めていた。




