1534年1月。八郎4歳。新年の家族の食卓。正月3日忙しくなるので今日帳簿合わせしてとっとと寝ると話す八郎。
新年。
八郎家の広間には、久しぶりに兄弟全員と母、そして千代姫が揃っていた。
外では八郎領二十二万五千石の年明け。
相良半領を飲み込み、島津本家・分家とも縁を結び、肥後の国人衆からも注目される存在になった。
だが、この場所だけは昔と変わらなかった。
飯を囲んで、兄弟が笑う。
八郎はそれを眺めながら、ふっと笑った。
「しかし……」
「皆さん元気でいてくれて、本当に良かったです」
兄たちが顔を向ける。
「なんや急に」
八郎は茶を飲む。
「いや、本当に激動でしたから」
「去年の今頃なんて、まさかこんなことになるなんて誰も思ってなかったでしょう」
全員苦笑した。
一郎が言う。
「そらそうや」
「握り飯売ってた弟が、気づいたら二十二万石やぞ」
「意味分からんわ」
笑いが起きる。
八郎も笑う。
「でも嬉しいのはそこじゃないんです」
「これだけ大きくなっても」
「誰も偉そうにならず」
「贅沢に溺れず」
「愚直に仕事してくれてる」
「それが一番ありがたいんです」
すると千代姫が静かに言った。
「私は途中から入った身ですが……」
「そこが八郎家の一番すごいところだと思います」
皆が見る。
「普通、これほど急激に大きな家になれば」
「誰かが威張ります」
「誰かが変わります」
「でも、この家は誰も変わらない」
「それは本当にすごいことです」
すると兄弟全員が首を振った。
「違う違う」
「え?」
一郎が笑う。
「早すぎて誰も追いついてないだけや」
「そうそう」
三郎も続く。
「昨日まで料理作ってたのに、急に大名の兄です言われても困るわ」
五郎も笑った。
「そもそも俺ら、庄屋の家やぞ」
「贅沢の仕方が分からん」
次郎が頷く。
「今でも十分贅沢やと思ってる」
「毎日飯食えて」
「湯浴みできて」
「布団で寝れる」
「昔なら夢みたいな暮らしや」
八郎は苦笑する。
「贅沢基準低すぎません?」
「お前がおかしいんや」
即答された。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
一郎は弟たちを見る。
「まあ結局な」
「八郎が走ってる船に乗ってるだけや」
「俺らはできることをするだけ」
「腐らん」
「足を引っ張らん」
「それくらいや」
六郎、七郎も頷く。
母はそんな様子を見て微笑んだ。
「でも八郎」
「正月くらい休んだら?」
八郎は首を振る。
「いや、違うんです」
「この飯食べて、帳面見たら寝ます」
「結局仕事するんかい」
兄弟が突っ込む。
八郎は真顔だった。
「たぶん正月三日間、挨拶めちゃくちゃ来ますよ」
「……」
「島津本家も来ます」
「貴久様と忠良様」
「また来るんか」
「来ます」
八郎は頷く。
「理由は二つ」
「一つは相良戦です」
「一兵も失わず三万五千石取った話を絶対聞きたいはずです」
「もう一つは……」
少し間を置く。
「縁談ですね」
その瞬間。
一郎以外の兄弟が固まった。
「……」
「なんでみんな怖がるんですか」
八郎が笑う。
「怖いわ」
三郎が言った。
「お前は動かしてる側やからええけどな」
「俺ら巻き込まれてる側やぞ」
五郎も頷く。
「昨日まで普通の庄屋の息子や」
「急に姫様方から見られるんやぞ」
「怖いわ」
八郎は腕を組む。
「まあ……」
「家目当てかなって思いますよね」
「そうや」
「実際どうなん?」
八郎は即答した。
「八割そうです」
「八割もかい!」
全員突っ込んだ。
八郎は笑う。
「でも、それは悪いことじゃないですよ」
「家と家の結びつきなんてそういうものです」
「その中で」
「一緒にいて楽しい人」
「支え合える人」
「そういう人を探せばいいんです」
三郎がため息をつく。
「簡単に言うなあ」
「いやいや」
八郎は笑う。
「逆にですよ」
「何もなくて四十、五十になって」
「嫁もおらず、寂しい人生になる可能性もあったわけですよ?」
「極端すぎるわ」
一郎が笑う。
「でもまあ」
「機会と思えってことか」
「そうです」
八郎は頷いた。
そして少し真面目な顔になる。
「ただ」
「今の勢いが永遠とは思ってません」
皆が黙る。
「今は相良や阿蘇だから通じました」
「借金」
「飯」
「市」
「湯浴み」
「生活改善」
「これで人の心を動かせた」
「でも」
「大友や大内は違います」
空気が変わる。
「本物の大勢力です」
「もし今、大友が本気で南下してきたら」
「うちはまだ耐えられません」
一郎が言う。
「まだ先やろ」
八郎は苦笑した。
「肥後取ったら、もう隣ですよ」
「……」
「だから今年は大事です」
「肥後を整える」
「島津と関係を深める」
「兵を鍛える」
「商いを伸ばす」
「それを全部やります」
三郎が呆れる。
「正月からそれか」
「だから帳面見たら寝るって言ってるじゃないですか」
「そこだけ三歳児みたいに言うな」
また笑いが起きた。
千代姫はその光景を見て思った。
二十二万五千石の大名家。
しかし中身は、まだ家族だった。
そして。
その家族であることこそが、この八郎家最大の強さなのだと。




