1533年11月3週目。相良と阿蘇の領地の境に飯炊きと守備兵が現れて飯を提供し始める。困惑するも事情の聞き取りをさせてくれる
十一月三週目。
相良領、そして阿蘇領との境。
そこに突然、奇妙な集団が現れた。
槍を構える兵ではない。
大鍋を並べ、薪を割り、米を炊き、味噌汁を作る者たちだった。
その周囲には護衛の兵がいる。
だが、どう見ても攻め込む雰囲気ではなかった。
相良の境目を守る兵が眉をひそめる。
「おい、お前ら」
「はい?」
八郎商会の者が振り向く。
「何をしておる」
「飯を炊いております」
「見ればわかるわ!」
兵が怒鳴る。
「ここは相良との境ぞ。そんなことをしてよいと思っておるのか」
すると商人は笑顔で頭を下げた。
「まあまあまあまあ」
「まあまあではない」
「とりあえず寒いでしょう。腹減ってませんか?」
そう言って湯気の上がる椀を差し出す。
「敵から飯など食えるか」
「敵って言われましても、まだ戦してませんし」
「屁理屈を」
商人は小さな袋を取り出した。
「あと……これは、この話を少し見なかったことにしていただければ」
ちゃり、と銭の音。
兵たちは顔を見合わせる。
「……」
「飯も食べて、少し話を聞かせてもらうだけです」
しばらく沈黙。
そして一人がため息をついた。
「まあ……飯ぐらいならな」
そう言いながら椀を受け取る。
一口飲む。
「……うまいな」
「ありがとうございます」
「味噌をこんなに使って大丈夫なのか?」
「八郎領では普通ですよ」
その一言に兵たちが反応する。
「普通?」
「はい」
商人は自然に話を始めた。
「ところで最近どうです?」
「何がや」
「暮らしです」
兵が苦笑する。
「どうもこうもないわ」
「厳しいですか?」
「当たり前や」
別の兵が口を開く。
「この前、八郎領へ攻め込んだやろ」
「はい」
「負けて賠償払って、武具も取られて……」
ため息。
「その穴埋めや。結局、年貢が重くなる」
「なるほど」
商人は帳面を出した。
「では少し書いてもいいですか?」
「何を」
「借金です」
「借金?」
「はい」
兵たちが顔をしかめる。
「そんなもの聞いてどうする」
「消すためです」
「は?」
場が止まった。
商人は笑う。
「八郎領では今、それをしています」
「借金を消す?」
「はい」
「そんな馬鹿なことがあるか」
「あります」
商人は説明した。
「八郎商会が市を開きます」
「うむ」
「農民から米、野菜、薪、炭、色々買います」
「それで?」
「普通なら銭を渡します。でも借金の証文がありますよね?」
「ああ」
「その支払いと合わせて消します」
兵が黙る。
「つまり……」
「はい」
「農民は物を売った扱いになる」
「そうです」
「借金は減る」
「そうです」
「商人にも銭が回る」
「そうです」
「……」
兵たちは顔を見合わせた。
「そんなこと、本当にできるんか」
「できますよ」
商人はさらっと言った。
「八郎様の最初の薩摩川内の領地では、侍衆の借金も数百万文ありました」
「数百万!?」
「はい」
「どうなった」
「消えました」
「全部?」
「全部です」
兵たちは黙った。
借金がない。
その意味を戦国の者はよく知っている。
「……それは楽になるな」
ぽつりと誰かが言った。
「はい」
商人は頷く。
「だから話を聞いているんです」
「でも、なぜ相良でそんなことを」
そこで商人は少し声を落とした。
「まあ、もう八郎領では話が出ていますから言いますけど」
「何だ」
「しばらくしたら、八郎様は兵を出します」
空気が変わる。
「何?」
「六千」
「六千……」
「さらに島津実久様から千五百」
「七千五百……」
相良兵たちの顔色が変わる。
「攻める気か」
「はい」
商人は隠さない。
「ですが、町を焼く気はありません」
「何?」
「畑も荒らしません」
「……」
「前に攻められたことへの対応は必要です。でも八郎様が欲しいのは焼けた土地ではありません」
「では何が欲しい」
「暮らしている人です」
兵たちは黙る。
「もし戦になった時、城に入らず近くのお寺や神社に避難してください」
「敵なのに教えるのか」
「はい」
「おかしいやろ」
商人は笑った。
「よく言われます」
そして数日後。
その噂は広がった。
「八郎軍が来る」
「でも飯を配ってる」
「借金を調べている」
「畑は焼かないらしい」
相良の正規兵も動いた。
「お前ら何をしている!」
八郎側の炊き出し場へ怒鳴り込む。
商人は頭を下げる。
「ここから先には入りません」
「当然だ!」
「ですが、お侍様」
「何だ」
「借金、大丈夫ですか?」
「……」
一瞬、顔が動いた。
「余計なお世話だ」
「飯だけでも持っていきません?」
「敵の施しなど受けん」
「そうですか」
商人は残念そうに言う。
「ただ、もう少ししたら六千と千五百、合わせて七千五百来ます」
「なぜ攻められなければならん!」
「先に攻めましたよね?」
「……」
「武具もかなりこちらで預かりました」
商人は静かに続ける。
「次の戦の準備、できますか?」
「……」
「商人は銭を貸してくれますか?」
相良武士は答えられなかった。
「黙れ」
「はい」
「そんな話、聞くに値せん」
そう言って去っていく。
しかし、後ろ姿を見ながら商人たちは小さく笑った。
「あれは効いてますね」
「効いてるな」
「怒るところが違いましたから」
「借金のところで黙りましたね」
そして再び飯を炊く。
刀ではなく、米と帳面。
八郎の相良攻めは、もう始まっていた。




