11月2週目~島津分家の実久は領地に帰り八郎領との違いを感じる。まずは農民の借金の把握をするも額が大きくてビビる。
島津分家の当主実久が、自らの領地へ戻ったのは数日後のことだった。
八郎領で見たもの。
賑わう市。
毎週消えていく借金。
湯浴みで笑う民。
そして帳面を囲んで、農民も商人も侍も同じ方向を見る姿。
あれが頭から離れなかった。
「……やはり違うな」
自領の市を歩きながら、思わず呟く。
決して人がいないわけではない。
商人もいる。
農民も来る。
だが熱が違った。
「八郎殿のところは、市そのものが生きておった」
家臣が頷く。
「こちらも悪い市ではございませぬが……」
「あちらは銭が回っておりますな」
「そうじゃ」
当主は腕を組む。
「千代が一郎殿と結ばれたことで、ここにも八郎商会の市が入る」
「それだけでも大きい」
正直、期待していた。
だが同時に、一つ引っかかっていた。
八郎が何度も口にした言葉。
『農民の借金です』
『そこを見ないと領地は分かりません』
その時は、そこまで大きなものだと思っていなかった。
「……調べさせよ」
「何をでございますか?」
「農民の借金じゃ」
「借金、ですか?」
「そうじゃ」
「誰が、どれだけ借りているか」
「全部出せ」
家臣たちは慌ただしく走った。
そして数日後。
帳面が積まれた。
「……四百万文?」
当主は目を細める。
「はい」
「確認できただけでございます」
家臣は申し訳なさそうに言う。
「こんなにあったのか」
驚きだった。
戦費。
年貢。
不作。
生活費。
もちろん苦しい者がいることは知っていた。
だが数字として見たことはなかった。
「これが民の背負っていた重りか……」
すぐ八郎領へ知らせが飛んだ。
そして報告を受けた八郎は、第一声でこう言った。
「嘘ですね」
使者は固まった。
「え?」
「少なすぎます」
「四百万文ですよ?」
「はい」
「少なすぎます」
八郎は普通に答える。
「聞き取りが甘いです」
「表に出ている借用証だけでしょう」
「商人さん」
横を見る。
八郎商会と付き合う商人たちが頷く。
「ありますな」
「表に出ない貸し借りは」
「家族名義」
「米払い」
「来年収穫分」
「そういう形なら帳面に載らないものも多いです」
八郎は頷いた。
「一緒に行ってください」
「本当の数字を見ましょう」
そして商人たちを連れて戻る。
村を回る。
寺に聞く。
農民から直接聞く。
商人同士の帳面も合わせる。
数日後。
数字が出た。
「……一千万文」
島津分家の当主は絶句した。
「半分の地域だけでか」
「はい」
八郎商会の者が答える。
「おそらく全領なら二千万文前後かと」
「二千万……」
座っていた家臣たちも黙った。
誰も知らなかった。
民がそこまで沈んでいたことを。
「つまり」
「我らは豊かな土地を治めているつもりで」
「実際には借金まみれだったということか」
誰も返せなかった。
さらに家臣が小さく言う。
「殿」
「おそらく……」
「なんじゃ」
「侍衆も似た状況かと」
空気が重くなる。
「……そうじゃろうな」
島津本家との争い。
軍備。
兵糧。
付き合い。
武士だから表に出さなかっただけ。
借金がないはずがない。
「城もか」
「恐らく」
そこで初めて理解した。
八郎が言っていたこと。
『戦をすると、帳面が傷むんです』
『そこを治さないと、勝っても弱ります』
まさに自分たちのことだった。
そして三日後。
八郎商会の市が動き出した。
農民から野菜を買う。
米を買う。
薪を買う。
加工品を買う。
その代金を借用証と合わせる。
次々と線が引かれていく。
「殿!」
「三日分です!」
「いくら消えた」
「四十万文ほどです!」
「……は?」
思わず聞き返した。
「三日で?」
「はい」
「三日で四十万文です」
家臣たちも騒然となる。
「なんじゃそれは」
「何年も残っていた借金だぞ」
「それが三日?」
八郎商会の者は笑った。
「最初は早いんです」
「滞っていたものが動きますから」
「銭というより流れを作っております」
当主は椅子にもたれる。
「これなら……」
「いつか返せるな」
「はい」
「ただ」
商人が言う。
「農民だけではございません」
「侍衆」
「城」
「そこまで含めると大きな話になります」
当主は黙る。
分かっていた。
そこまで頼るということは、八郎の仕組みを受け入れるということ。
誇りもある。
島津の名もある。
しかし——。
「殿」
側近が口を開いた。
「恥と思う必要はないかもしれませぬ」
「なぜじゃ」
「八郎様は島津の武を必要としております」
「八郎家に足りぬもの」
「それが我らにはあります」
「そして我らに足りぬものを、八郎様は持っております」
当主は目を閉じる。
「武と銭か」
「はい」
「それに千代姫様と一郎様の縁もございます」
「家族として頼る形ならば、決して降るだけではありません」
しばらく沈黙したあと。
当主は笑った。
「まったく」
「あの三歳児は恐ろしいな」
「戦わずして、人の懐に入る」
「しかも助けられた方が、もっと頼りたくなる」
家臣たちも苦笑する。
「確かに」
「敵に回すより、親戚でよかったですな」
当主は外を見る。
市には久しぶりに笑う農民の姿があった。
「千代」
「良い縁を持ってきたかもしれんな」
そう呟いた。




