1533年11月2週目。一郎兄様と千代姫の結婚祝いで大量のツケや借金が消える。近々で相良を攻める予定あり。
十一月二週目。
いつものように帳面合わせの日がやってきた。
だが最近は、ただ数字を見るだけの日ではなくなっていた。
農民。
商人。
寺社。
侍。
皆が集まり、今この領地がどこへ向かっているのかを確認する日になっていた。
八郎は帳面を広げる。
「さて」
「今週ですが、少し特殊です」
周りがざわつく。
「一郎兄さんと千代姫様の婚姻が決まりました」
その瞬間、また拍手が起こる。
「おめでとうございます!」
「一郎様!」
「千代姫様!」
千代はまだ慣れず、少し恥ずかしそうに頭を下げる。
一郎はいつも通りだった。
それを見て八郎が笑う。
「一郎兄さん」
「はい?」
「もうちょっと嬉しそうにしてください」
「いや、嬉しいぞ」
「顔に出ないんですよ」
周囲から笑いが起きる。
八郎は話を戻した。
「それでですね」
「今回、この祝いに庄屋衆の皆様が一回分、原価を負担してくださりました」
「その結果」
帳面を叩く。
「八郎商会の今週利益」
「庄屋衆の原価分が四百一万文です」
場が静まった。
島津分家から来ていた者たちも言葉を失う。
「四百万……」
「一週間でか」
八郎は普通に頷いた。
「はい」
「ただ、これはお祝いです」
「毎週こうではありません」
「まあ最近感覚がおかしくなってますけど」
商人たちが笑う。
「八郎様が一番おかしいです」
「そうですかね」
「そうです」
八郎は苦笑しながら続ける。
「使い道ですが」
「まず薩摩川内の侍衆の借金」
「これを完済します」
一瞬、空気が止まった。
そして——。
「……全部?」
「はい」
「全部です」
侍たちが顔を見合わせる。
「嘘じゃろ」
「親父の代から残ってたものまで……」
「消えるのか」
八郎は頷く。
「消します」
「ただし」
「これで終わりじゃないですよ」
「借金がなくなって初めて普通になるだけです」
「ここから豊かにしていきます」
その言葉に、一人の侍が頭を下げた。
「八郎様」
「はい」
「ありがとうございます」
次々と頭が下がる。
八郎は困った顔をする。
「あの」
「そんな大げさにしなくても」
商人が笑った。
「大げさじゃありませんよ」
「武士の借金が全部消えた地域なんて初めてじゃないですか」
周りを見る。
「初めてです」
「間違いなく」
八郎は少し照れたようにする。
「まあ、少しずつですよ」
「進んでいるということです」
そして帳面を見る。
「次です」
「市の立ち上げの付け」
「九十万文」
「これも全部返します」
商人たちが頷く。
「ありがとうございます」
「いやいや」
「信用で動いていただいたので当然です」
「それから湯浴み」
「百五十万文分」
「これも一つ返します」
和尚が笑う。
「本当に次々消えていきますな」
「消さないと次に行けませんから」
八郎はそう言って、少し表情を変えた。
「あと」
「先の話ですが」
「冬から春にかけて、相良、阿蘇方面で動きがあるかもしれません」
空気が変わる。
「戦ですか?」
「戦になるか、向こうから助けを求めてくるか」
「それは分かりません」
「ただ、もし兵が必要になった時」
「薩摩川内の侍衆にはお願いするかもしれません」
「もちろん銭は払います」
すると侍たちは笑った。
「何言ってるんですか」
「はい?」
「借金全部返してもらったんですよ」
「声がかかったら行きます」
「当然でしょう」
別の侍も頷く。
「むしろ来週、帳面を消していただいた礼として寄付させてもらいます」
「十万になるか二十万になるか分かりませんが」
八郎は目を丸くする。
「いいんですか?」
「こちらの台詞です」
笑い声が広がる。
八郎は続ける。
「ただ薩摩川内については、城の借金より先に、人を見たいと思っています」
「人?」
「はい」
「冬場です」
「侍さんにも家族があります」
「暮らしがあります」
「そこを整えた方がいい」
「城の帳面だけ綺麗でも、人が苦しんでいたら意味ないです」
その言葉に、また静かに頷く者が増えた。
「本当はですね」
八郎は急に笑う。
「焼き芋料理とか増やしたいんですよ」
急に話が変わり、皆が笑う。
「また飯ですか」
「大事ですよ」
「でも量が足りない」
「今年植えた分だけでは領内全部は無理です」
「だから考えてるんです」
「琉球との交易を増やすとか」
「向こうに土地を借りるとか」
「芋を大量に作る仕組みを作るとか」
商人たちが反応する。
「琉球ですか」
「はい」
「芋だけじゃないです」
「砂糖です」
「砂糖きび」
「甘味は銭になります」
「薩摩なら絶対に強みになると思います」
周りは呆れたように笑った。
「話がどんどん遠くなりますな」
「借金返済の話から琉球ですか」
「つながってますよ」
八郎は平然と言った。
「借金を消す」
「余裕ができる」
「新しい物を作る」
「交易する」
「また銭が増える」
「全部同じです」
和尚が頷いた。
「ぐるぐる回す、ですな」
「そうです」
八郎は笑う。
「あと湯浴みも順調です」
「冬場は仕事が減りますから」
「薪割り」
「掃除」
「建築」
「そういう仕事を増やします」
「寒い時期ほど、人が困らない仕組みを作りたいです」
最後に八郎は周囲を見る。
「何か困ってることがあれば言ってください」
「うちは毎日開いてます」
「小さいことでもいいです」
「そこから新しい商売になるかもしれませんから」
農民も商人も侍も笑った。
そして島津分家の者たちは思った。
この領地の強さは金ではない。
城でもない。
皆が同じ帳面を見て、同じ方向を向いていること。
それこそが八郎の本当の力なのだ、と。




